第2話霊能探偵は便利な助手が欲しい

 冷房で冷えた空気が漂うタクシーの座席に、男はまるで溶けるようにだらしなく座った。行き先を告げた男の隣に、少年もまた座るような身振りで宙に滞空していた。

 タクシーが、走り出す。

 少年は、その体を座椅子に押されることはなく――少年の体は現世の物体に干渉できない――その姿は座椅子に飲まれて、タクシーの外へと消えた。

 そんな幽霊芸を見せられた男は、腹を抱えて笑い出す。

 何がおかしいのか――怒り以上の不審さと不気味さを感じながら、運転手はバックミラー越しに白衣の男を見た。


 空中に座るような動きをしたまま、少年はその場所に残されていた。

 視界の先には、発進してしまったタクシー。そこでようやく、自分はタクシーの動きに合わせて飛び続けないと男の隣にいられないということを少年は理解した。

 慌てた少年は、自分を見ることができる男が乗るタクシーを見失うまいと、トップスピードでその場から飛び出し――

 ひゅん、と男の視界の真横を、白い影が走り抜け、タクシーの車体の外へと飛び出していった。

 一瞬、男は笑い声を止める。ようやく落ち着いたか――運転手の男が無意識のうちに安堵のため息を漏らして。

 タクシーの進路上でやるせなさに打ちひしがれている少年の姿を見て、男は再び笑い出した。


 それから、実に三十分ほど。

 少年幽霊は男の話を聞くべくタクシーに同乗しようと奮闘し続けた。

 タクシーの速度に合わせて飛びながらその車体の中に入ることに成功するも、タクシーの速度が変化してしまうことですぐに体の位置がぶれ、車外に飛び出てしまったり、あるいは座椅子や車体内部へと体をめり込ませていた。そして、そんな霊体を張った芸を見て笑い続ける男と、まともな会話が成立するはずがなかった。

 スピードが上がり、下がるたびに少年は車外に飛び出し、あるいは右折や左折のたびに少年は行き過ぎてまっすぐ進んでしまった。


 タクシーが目的地にたどり着いたころには、少年は精神的な疲労でぐったりとしていた。


「そんなことで助手は務まらんなぁ」


 にやにやと笑う男に、助手、と尋ねて。声が聞こえていないことを思い出した少年は、身振り手振りで男の言葉の意味を問う。

 くくく、と抑えた笑い声を響かせながら、男は少年の動きの意味を必死に考えて――ああ、とその手をたたいた。

 そういえばまだ教えてすらいなかったな――そんなもったいぶったセリフとともに、男は白衣のポケットに手を入れて、自分が思う格好いい体勢になった。


「俺は霊能探偵だ。幽霊を見ることができるこの力を生かして金を稼いでいるなんでも屋のようなものだと思えばいい。そしてお前は臨時の助手。俺を抱腹絶倒の刑罰に処した罪は償ってもらうぞ?」


 笑いすぎて腹が痛いんだよ――そんな自業自得な言葉を告げた男は、これですべてだ、とばかりに少年に背を向けて歩き出した。

 向かうは、コンクリートむき出しの工事現場。まだところどころ鉄骨がのぞく建築物は周囲を黄色いテープで取り囲まれ、紺色の制服を着た警察たちが厳しい視線で周囲をにらんでいた。

 そんな警察の者の中の一人、くたびれたスーツに体を進んだ、白髪交じりの五十代ほどの男に、霊能探偵は片手をポケットに突っ込みながら、やあ、と気安く片手をあげた。

 見たくないものを見てしまった――そんな顔で、壮年の警察官は顔をしかめる。


「俺の記憶が正しくなければ、この霊能探偵様を呼んだのはアンタだったと思うんだけどなぁ?」


 傷つくなぁ、仕事放り出そうかなぁ――煽るように霊能探偵はしなを作って男に語り掛ける。

 眉間に浮かんだ青筋がぴくぴくと動く。吐き気をこらえるようにぐっと口を引き結んだ男は、やがて肺にたまった空気をすべて吐き出すように深呼吸する。大人の対応で煽りを受け流した壮年の警官を見て、つまらないな、と探偵は笑った。

 そんな二人のコントを、少年は少しだけ目を輝かせながら見つめていた。

 自分は、こんな気安い会話にあこがれていた気がする――そう思って、ふと少年はその思いの根源が何にあるのか、記憶を探り始める。

 そして、少年は今になってようやく気付いた。自分が、生前の記憶を持っていないことに。どこの誰なのか、どんな人生を送り、どうして死んだのか。

 そのすべてが、少年には思い出せなかった。

 頭を抱えて宙を舞う少年を、男が鉛のようによどんだ目で見上げていた。それから、男は少年から視線を外し、先導する警察官の男の後を追って事件現場へと一歩を踏み出した。


「……はん、最近よく見る手口だな?」


 灰色のコンクリートの上に両足をだらしなく投げ出し、柱の一つにもたれかかっている男を見て、探偵はそうつぶやいた。

 どういうこと、という少年は、相変わらず探偵に無視されていた。これのどこが助手なんだろう――少年はそう考え、そしてはたと気づく。

 男の助手をやって、いったい自分になんのメリットがあるのかと。

 少年は、死体から目を背けるための口実として、頭に浮かんだ疑問をこねくり回す。


 少年は、自分を見てくれるものを欲していた。自分を観測してくれる者が現れることを望んでいた。それは、誰にも観察されず、誰ともかかわることがない状況が、少年の精神を追い詰めていたからで。

 自分を見ることができる存在が現れれば何かが変わるかもしれないという漠然とした思いに突き動かされるように、少年は世界を漂っていた。

 そして、霊能探偵を名乗るおかしな男と出会って、けれど状況が大きく変わることはなかった。彼はあくまでも幽霊である少年の姿を見ることができるだけ。それで、何かが変わることはなくて。

 けれど、自分が変化するための――おそらくは死後の世界に向かうための――手がかりとなるだろう男を、そのまま去らせるわけにはいかなかった。自分の姿が見える者を探す虚無のような時間に、少年は戻りたくなかった。

 だから、少年は立ち去る男を追って、この場所についてきていた。

 そして、霊能探偵を名乗る男は、少年に助手としての役割を求めていた。

 少年は考える。これは、交換条件なのだと。

 自分の願いを、この状況からの解放を男に求める代わりに、男は自分が助手になることを求めている――そう、少年は考えた。


 そうして、少年は男の背中を見つめながら、男が自分に声をかけるのを待ち続けた。


「……やっぱり、青枝組か?」


「だろうよ。腕にこんなけったいな傷跡を刻む阿呆どもなんかほかにいないだろ。逃げ出した奴の粛清、被害者もホシも組の人間だな」


 青枝組。壮年の警察官が確認のようにつぶやいたその名は、最近ここらで幅をきかせている暴力団の名前だった。大陸から渡ってきたボスを中心とした、麻薬売買などの活動の可能性を指摘されている青枝組。

 目の前の男は両目を奪われたうえで、その象徴である紋を、ナイフと思しき刃物で腕に刻まれていた。


「自分の立場を見誤った阿呆に粛清、ってところじゃないか。まあ、組に恨みを持っている奴の犯行って可能性もないとは言えないが、まあ十中八九当たりだろ」


 警察官もそれが予想できて、だからこそ苦々しい表情で探偵へと懇願の視線を向ける。

 気持ち悪いんだよ――そう言いたげに、探偵はうえ、と吐く真似をして見せた。


「……あー、また来てたんですね、ホムラ先生!」


 場違いな声が事件現場に響く。早歩きで近寄ってきた女性警察官が、ビシ、と上司――ではなく探偵に敬礼して見せる。

 霊能探偵ホムラは、やぁ、と気さくに片手をあげて見せる。


「久しぶりだね、アヤネちゃん」


「先生こそ、お元気そうで何よりです!また遠藤さんに依頼されたんですか?この人、いつも面倒ごとを先生に押し付けてないですか?」


 先生?と少年幽霊は探偵ホムラのことを見ながら首をかしげる。ただ残念ながら、事件現場に咲く一輪の花に視線を向けているホムラは、少年のことなど見ていない。

 ピシ、と壮年警察官遠藤の眉間に青筋が浮かぶ。


「おい永田、お前上司のことをこの人呼ばわりとはどういう了見だ?」


「え?だって面倒な事件を先生に投げて、その手柄を横取りするような人ですよ?」


 うぐ、と遠藤は苦い顔をしてうめく。もっと言ってやれ、とホムラが煽る。はい、と気勢よく頷いた女性警察官のアヤネ。そのマシンガントークが炸裂する前に、遠藤が慌てて手で制止させた。


「……はぁ。大体上が出てこないのがおかしいんだよ。いくら別件で忙しいっつっても一人二人の人員くらいこっちに回せるだろ?こんなうだつの上がらない奴に事件を放り投げるのがおかしいんだよ」


「遠藤さんへの上の人たちの評価、最近うなぎ上りなんじゃないですか?そのせいで遠藤さんに事件を押し付けて、困った遠藤さんがホムラ先生に事件を押し付ける負のスパイラルに陥ってしまっているんですよ」


「俺は金になるから構わないぞ。むしろもっと依頼をくれてもいいぞ。ちょうど今は便利な助手がいることだしな」


 そういって頭上を見上げたホムラの視界には、コンクリートの灰色と、そこに漂う白い少年幽霊の姿があった。あ、幽霊ですか――アヤネがつぶやく。きらきらと目を輝かせるその様は、オカルト好きのそれだった。


「被害者の怨霊がいるんだったらそう言えよ。その証言さえあれば犯人を断定して捜査が進められるんだ」


 まあ証拠にもならないから裏どりが必要なんだけどな――苦い表情でつぶやく遠藤だったが、首を振るホムラの動きを見て頭をひねる。


「……幽霊じゃ、ないのか?」


「いいや、幽霊だ。ただ、この事件には何も関係がない、な」


 殺された恨みを持った幽霊――あるいは怨霊――に自分を殺した犯人を聞くことで、一瞬で犯人を見出して見せるホムラの十八番が使えないということに、遠藤はがっくりと肩を落とした。その顔は、地道な足を使った調査を思い、げんなりとした表情に染まる。最近足腰にガタが来ているんだが――小さく愚痴を漏らす遠藤に、アヤネが冷たい視線を送る。


「そんなに体が不調なら、いっそのこと警官を辞めてしまったらどうですか?そうすれば先生にこれ以上迷惑が掛かることはありませんし」


「その場合、俺の後任はこいつを起用しない……つまり、ホムラに金が入らないぞ?」


 それはだめです、とアヤネは見事な手のひら返しをして見せる。にやり、と遠藤の部下の心を完全に掌握して見せているホムラが怪しく、あるいは遠藤を馬鹿にするように笑う。

 堪忍袋の緒が切れそうな怒りを深呼吸で吐き出して、遠藤は改めて真剣な表情でホムラに向き合う。どうするつもりだ、とその目が疑念を告げていた。


「簡単だ。死者本人から聞き取り調査ができないのであれば、被疑者本人から話を聞いてしまえばいいんだ。幸い、今回の犯人はほぼ確実に青枝組の人間だと思われるわけだしな」


 さあ出番だ――悪魔の笑みを浮かべた霊能探偵ホムラが少年幽霊に微笑む。自分を指し示す少年を見て、そうだお前だ、とホムラは頷く。

 何をするのかと、少年は首をかしげる。


「そりゃあお前、暴力団にカチコミに行くんだよ。お前ひとりで、な」


 いやだ絶対に嫌だだってぼうりょくだんってすごく怖い人でしょ――必死に首を振る少年を見て、ホムラが冷めた目をする。今更何言ってんだこいつと、助手になることを少年が了承していないことなど棚に上げて、ホムラはやれやれと肩をすくめた。

 むっ、と少年が顔をしかめる。言いたいことはたくさんあったが、言葉はホムラには伝わらない。


 いいから行け、さっさと行け――上から目線で威圧してくるホムラに負けて、少年は暴力団の拠点へとたった一人で乗り込むことになった。

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