第16話 一人娘と恋人

 ウィリアムは部屋で目が覚めると思わず広いベッドから起き上がる。


 室内の風景はまるで貴族の書斎と寝室が合体しているような部屋で、そのなかには家族で撮影した写真がある。


 かなりの時間がかかったものでしかも白黒なので年齢や服の色などがよくわからない。


 部屋はほとんど荷造りが行われており、コーウェル駐屯地へ向かう準備をしている。

 しかし、その風景とは裏腹にどんよりとした気持ちになる。


 それは一人娘のアンに恋人ができたことだ。

 うれしいことではあるが、相手が自分の信頼している部下ヴィクターだったことだ。


 彼自身も年齢差を感じさせない容姿をしているためか、それにしても年の差を感じてしまう。


(スミスとの交際を許す気にはまだなれんな……、全くいつの間に)


 そう思いながら書斎の机に置かれていた煙草たばこを取り出して、魔法で火をつけて一息吸う。

 窓を少し開けて換気もしながら吸う。

 アリも濃霧であまり船の出航もないようだ。 


 寒さも少しずつ弱まっているはずなのに底冷えする朝晩はカーディガンを着ていないといけない。


 何も考えずに外を見ていると、不意にヴィクターが医術師を目指すために陸軍を退職することを報告したときを思い出した。


 陸軍士官学校へ入学してから病気でせっていた母を見て、医術師という職業に憧れはあったものの戦争が終結して戦後処理も落ち着く頃になると三十代になっていた。


 その後、母を看取って実父の葬儀に参列した際は国を護るために陸軍に残ろうとしていた。


 その決意に違和感を感じて憧れていた医術師を目指すために第三学院医術師コースに一発合格したという。


 しかもそれがここ半年のことでかなり驚いてしまう。


 第三学院で規定された入学最低年齢は十五歳以上と他の王立学院とは異なり、初等教育とそれ以上の教育を受けた前提で話が進んでいくこともあり年齢層も高くなっている。

 さらに医術師コースにはさらなる専門的なことを学ぶために医術師が入学することが多いので、周りに三十代以上の学生が多いこともきっかけだったかもしれない。


「スミスも、アンも進もうとしているのか」


 実はアンとヴィクターが薄々想い合っているような気がしていたのだ。


 その頃はまだアンが想いを寄せているような感じだったのだが、それ以降は少しだけヴィクターも似たような雰囲気が出てきた。


 このことをハナが生きていればどのような相談をしただろうかと想いを馳せてる。

 恋について本人はアズマ国の女性らしい一面もあったが、意外とアンと似ている部分もあるのかもしれない。


「ハナ、俺はどうしたらいい?」


 結婚式のときに撮影した写真にはアンより少し年上のハナがウェディングドレスを着ている。

 その面影はアンによく似ており、それゆえに複雑な感情になりがちなのだ。


 部屋から出ると焼き立てのトーストとコーヒー、卵を焼く匂いがキッチンから漂ってくる。

 朝の光が射しこんだダイニングで料理をしているのが見えた。


 その姿が妻に重なり、思わず目を閉じて再び見つめる。


「ハナ……?」

「お父さん、寝ぼけてるの? おはよう」

「ああ、すまない。二十二日に行こうか、墓参りに」

「うん。そうだね」


 新聞の日付を見て不意に言葉に出たときにアンも卓上にあるカレンダーを見つめる。


 それからスクランブルエッグとハムが乗せられている皿をテーブルに置いて、その次にトーストをカゴに入れて置いておく。


 自分の分だけ少し多めに盛り付けられている。


「お父さん、ご飯多めに用意してるから」

「ありがとう」


 それを聞いてからアンはいつもと変わらない感じがする。

 今日は休暇なので久しぶりに出かけることにした。


 アンはというと学院で行われる研修があるみたいで、すぐに白いシャツに紺色のフレアスカートとミニジャケットの姿だったので急いで出かけて行った。


「お父さん、自分の洗濯と食器洗いお願いしてもいいかな?」

「わかったよ。いってらっしゃい」

「いってきます」


 そう言ってコートを羽織っていることが見えたりしているかもしれない。


 そのなかでウィリアムは自分の洗濯と食器洗いを終えてから、一度居間のテーブルに置いてある手紙を整理されているものを見る。


 久しぶりの休暇でどこに行こうかという迷いがあるため、懐かしい知り合いのもとへと行こうと考えた。


 シャワーを一度浴びてからブルーのシャツにネイビーのズボンとジャケットを合わせた。

 その上から黒のコートを羽織って戸締まりをしてマフラーを巻いて歩き出した。


 自宅のある東区の端から商業区へと向かって歩いていく。

 今から向かうのはとある大きな商店へと行くことにして、楽しそうな表情をしているのが見える。


「今日はいるかな。買い付けに行っているかもしれないな」


 そして、緑色の大きな建物が見えてからは『シルヴィア商会』という大きな看板が出ているのが見えた。

 そこは勢いに乗っている輸入雑貨などを取り扱っている場所で各国の特産品などがあるのだ。


 ここで働く買い付けをする人物に会うためにやってきたのだ。

 白髪交じりの女性がこちらを見つめて、笑顔で会釈をしているのが見える。


 彼女はこの商会のまとめ役で経営手腕もしっかりとしている。


「あら、アンダーソンさん。お久しぶりです」

「こんにちは。シルヴィアさん、ジャクソン氏はどこにいますか?」

「ああ、彼ならいま二階で事務の手伝いをしていますよ。呼んできましょう」

「お願いします」


 そう言っている間で店内の商品を眺めたりしているだけで時間が過ぎてしまう。

 二階から豪快な笑い声を響かせて降りてくる男性がこちらにやってきた。


 スリーピースのジャケットを脱いだ状態でやってきた彼は胸板が厚く、長身の方に入るので初対面だと逃げてしまいそうになる雰囲気を持っている。

 短く整えられた髪に金色の瞳は弧を描いてウィリアムと握手をして肩を叩かれる。


「久しぶりだな。ウィル、老けたな?」

「ジャクソンも久しぶり。相変わらず元気そうだな」

「まぁな。最近チビが学院を卒業して働きだすからな」


 ジャクソンの一番下の息子はアンと同い年だが十四歳のときに入学して、今年五年生で卒業して晴れて三月からは王立図書館で司書として働くことが決まっている。


 二人は士官学校時代の同期で年齢はジャクソンが五つ上だが、未だにフランクに学生時代のように話せる存在だ。 


 それから行きつけのカフェに入り、お互いにメニューを頼む。

 コーヒーを飲みながら窓の外に向けて話そうと考えた。


「そう言えば……お前卒業パーティーに来なかったな。代わりにスミスが来てたけど」

「俺は次の赴任地のコーウェル駐屯地で引き継ぎをしていたのに、悪天候の影響で二日間足止めを食らったんだ。アンの卒業式の前日には戻れる予定だったのに」

「その様子だとかなり悔しいみたいだな。スミスが来たときは周りの女子が釘付けだったぞ」

「だろうな……陸軍の儀礼装で行ってたから。新しくなった漆黒の」

「アンちゃん大きくなったな。いつ会ったっけか」

「アンが七歳くらいだから……十二年前か」

「時の流れは早いよなぁ」


 それを聞いてジャクソンはコーヒーを飲みつつ、ウィリアムと似たような表情になる。


「そうだな……アンが嫁ぐのも、時間の問題か」

「え、アンちゃん恋人いるの?」

「ああ」


 その言葉を聞いてジャクソンは思わず身を乗り出している。

 それはまるで寮の四人部屋で話していたときに似ていて、あの頃と全く変わらないなと笑ってしまう。


「そうか、年頃だもんな。どんな奴かは見たことある?」

「身近なやつだったよ。思いもよらない」

「え、ああ~。そういう事ね。スミスか」


 ジャクソンの方を向いて無言でうなずいて、コーヒーを飲んでため息をついている。


 彼の姿を見て思わず苦笑してしまったが、一人娘なので余計ショックを受けているかもしれない。


「なぁ、交際を許しに来たら投げ飛ばした方が良いのか迷っていてね」

「おいおいおいおい、お前さ」

「許すなら俺の屍を越えてゆけと言いたい」

「それ以上ヒートアップするな! 落ち着けって」


 その言葉を聞いてウィリアムは二杯目のコーヒーを頼み、深呼吸をして煙草を吸い始める。

 それを見てジャクソンも煙草をもらい、吸い始めたのだ。


「それでも許さないのか? お前だって嫁さんに許婚いいなずけがいるのに結婚しちまって、人のこと言えないんじゃないか?」

「う、それはそうだけど……俺は軍人に嫁いでほしくないだけだ」


 彼の言葉はとても重くのしかかるようなものだ。

 戦場で大切な人を奪われてほしくないという気持ちが大きい。


 それを知っているジャクソンは言葉を選んで話し始める。


「俺は二人の意思を尊重できると思ってる。ウィルが幸せを選んだときみたいに」

「たぶん俺は受け入れるのに時間がかかる」

「うん、それでいいんだ。まずは気持ちを伝えてやれ、二人にな」


 ジャクソンの言葉に彼は何か決意したかのようにうなずいた。


 そして、無言でコーヒーを飲み、笑いあってカフェを後にした。

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