第5章 学生生活最後の日

第11話 父不在の卒業式

 卒業式の前日。

 それからアンは叔母のユキとよく通っている美容院に行って髪を切ってもらった。


「もったいないわね。この髪、切るなんて」

「良いじゃん。気分転換なの」


 背中の半ばまで伸びていた髪は肩のあたりで切り揃えられており、それを見て若い頃の母ハナに瓜二つだとユキに言われた。


「本当にお姉様にそっくりね。びっくりしたわ」

「そうなんだ。こんな感じなんだね」

「そう。でも、卒業式前日に髪を切りたいなんて言うなんて、何かあったの?」

「え、それは……実はね。好きな人が遠くに行くから」


 それを聞いてからユキも神妙な顔をして話を聞いてくれた。

 ヴィクターが陸軍を退職して第三学院へ入学をすること、彼のことを好きなことを伝えた。


「離れるというわけじゃないのよね。卒業式の後にでも行けばいいじゃない?」

「うん。そうだね。ありがとう」


 しかし、心配なのはコーウェル駐屯地にいるウィリアムのことだった。


 新聞やラジオでの報道で年に一番強い寒波が襲来しており、大雪のため列車が動かないということが判明していた。


 それに卒業パーティーまでに間に合うことができないということも知っていたため、ウィリアムの部下が向かうことにしているらしい。


 部下と言ってもかなり信頼している人らしく、彼女は安心できるかもしれないと思った。


「そうなのね。明日は卒業式に行くのね」

「うん。楽しみにしてる」


 アンは叔母と別れて、すぐに早めに寝ることにしたのだった。

 それから翌日は思ったよりも早く目が覚めてしまい、準備を始めることにしたのだ。


 ネグリジェから白いシャツを着て、その上から茶色のジャンパースカートを身に着ける。


 次に襟元に赤いリボンを結んで、最後にスカートと同じ色の襟の無いダブルジャケットに袖を通した。

 そして、膝丈の黒いタイツを履いてから靴を履いて、ネイビーの指定コートを羽織って外に出た。


 ドアの戸締り等をきちんとしてから隣にあるベーカリーに向かって、朝食を買うことにしたのだ。


 雪はまだ残っているので路面の凍結とうけつに気を付けて行かないとケガをしてしまうと考えた。

 それにしてもまだ戻ってくることのできなさそうなウィリアムがとても不安になってしまう。


 卒業パーティーは午後五時半からと決まっており、終わる時間はまだ決められていないため長いものになるかもしれない。

 それまでに陸軍の礼装を着てくる事を考えるとあまり現実的に厳しい。


「おはよう。アンちゃん、今日は学院に行くんだね」

「はい。おばちゃん、今日は卒業式で」

「めでたいわねぇ、とてもうれしいわよ。これサービスしてあげるわ、いってらっしゃい」


 そう言って紙袋に詰められた六個入りのパンを持たされてしまった。

 代金はいらないと言われてしまったので、ありがたく持っていくことにしたのだ。


(教室で食べればいいかな)


 そのことを考えて急いで徒歩十五分ほどある母校となる場所へと向かったのだ。

 学院には入口に飾りがついており、旅立つ学生たちを祝っているような形になっているのだ。


「おはようございます。アンダーソンさん」

「おはようございます。今日は卒業式ですね」


 声を掛けられたのは教職課程の女性教師がこちらに来ていた。

 一番色んな授業で接してきた時間が長い教師の一人だったので、とても嬉しそうにこちらを見つめていた。


「はい。そうですね。今までありがとうございました」

「そうね。先に教室へ」

「はい」


 八年Aクラスに向かうために歩いて行くと、八年生の教室のある方からにぎやかな声が聞こえてきた。

 ドアを開けると、そこには数人の学生がいた。


「久しぶりね。アン」

「アリソン」


 それを聞いて思わずホッとしてしまう。

 約半月ぶりの再会にお互い手を取り、喜んでいた。

 アリソンは波打つ金髪を一つにまとめて、成人女性としての装いをしている。


「久しぶりだね」

「元気そうでよかったよ。本当に連絡が取れないし」

「本当にごめんなさい。縁談とか公務とかが忙しくて」

「忙しいのはわかっているよ。明日からはそれぞれの道に進むのだし」

「そうね」

「朝食食べるね」

「そうなの? まだ食べてないのね」


 そう言いながらアリソンの隣で焼きたての小さめのパンを頬張る。


 それから卒業式までの数時間を教室で過ごしている間に、徐々に学生たちが戻ってきてからは戻る。


 あと少しすれば彼らは間もなく卒業し、それぞれの道へと進むことになっているからである。

 アンや友人たちは共に寄せ書きを黒板に書いたり、それぞれの着て行く予定のローブを楽しみにしている。


 卒業生が身に包むローブは卒業試験の後に採寸をし、羽織れるサイズのものを貸し出されるということになるらしい。


「ローブがとても楽しみだね」

「そうね。紺に銀の刺繍ししゅうがとてもすごいわよね」

「あのローブを着たら卒業できるんだなと思うんだ」


 一年生のときに在校生の最前列で見たあの服を忘れることはできないのだ。


 卒業生たちが紺色に銀の刺繍や細工がされているローブは、各学年の卒業生が着ることが許されるものだ。


 そのローブが机の上に用意されていて、アンもそれに袖を通すことにした。

 銀色の刺繍と留め具は朝の太陽に照らされて鈍い光を放っている。


「似合うじゃない。アン、とてもきれい」

「アリソンもね。これをお父さんにも見せてあげたかった」

「あら、お父様は来れないの?」

「コーウェル駐屯地ちゅうとんちで足止め食らってて……どうしようかと思っているの」

「そう……それはつらいわね」


 アンの不安な気持ちがアリソンは感じ取っていたのかもしれない。


 晴れ舞台を見せてやりたいという気持ちは痛いほどわかると感じているようだ。

 寮のルームメイトだったからこそ、家族のことなどを知っているのかもしれないと感じた。


 そのあとに担任の教員がやってきてからはクラスのみんなが緊張した雰囲気が漂わせていたのには訳がある。


 学院の教員が式典のみに着る深緑のローブを身に包んでいるからで、それを目にすると式典に参加することになるのだという共通認識があるようだ。

 そのなかで担任は笑顔では穏やかに話し始めたのだ。


「みなさん、ご卒業おめでとうございます。八年生のみなさんは多くの学びを得て、今日旅立つ日になりました。それぞれ取得した資格や技術、知識を生かしてこの社会に貢献できる人材となることを祈っています」


 それを聞いてアンは背筋が伸ばして、それを聞いていた。

 その後に十時半から卒業式が行われることになっている。


 ふと、髪から結っていたはずの髪紐がほどけてしまったのを見て、アリソンがそれを結い直してもらったのだ。


「アン、大切な髪紐が落ちそうになっていたわ」

「ありがとう。お母さんの形見なの、これだけは無くしたくないものだから」

「良かったわ」


 それを聞いてから次に隣のクラスにいるヴァイオレットがこちらにやってきたのが見えた。


「マコーレーさん」

「アンダーソンさん、おめでとう」

「そちらもね」

「それじゃあ」

「ええ」


 それから校内に放送が流れて在校生の集合が講堂に掛けられているようだ。


 そのなかには仲の良い後輩たちも含まれているのでお別れになる人たちも多い。


 アンはまだ後輩たちとの関わりを持つことがあるが、故郷に戻る人たちはこれが最後の日になることがあるのだろうと考えていた。


(これで学院生活も終わりなんだ)


 そして、卒業生たちの入場のために学院の廊下には紺色のローブを着た学生たちが並び始めた。

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