第55話 愛の力!

「なんと!」

「やっぱり!」


 稽古場に二人を呼び、煌々と輝く拳を見せる。


 滝氏は目を丸くし、忍は、ぱあっと喜んだ。


「まずはめでたいですな。こないな短期間で、ようやりはった。まさしく天賦の才。念の為に、先生。今一度、お手を」

「はい、どうぞ」


 自信を持って、滝氏に手を差し出した。

 また、がっちりと握られる。


 数秒後、感嘆の声が上がった。


「おお、フルパワーの十割どころか、それを軽うに飛び越してますわ! 文字通りの十二分以上ですな!」


 これも、忍の言った通りだった。感心しきりで、滝氏が続ける。


「正直な話、私が毎日指導しとる門下生も、このレベルまで達しとるのは、ほんの僅かです。いやはや、素質言うんは恐ろしいもんですな。ご立派としか言えませんわ」


 感心を通り越して、どこか感動しているような滝氏が言う。


「最初のご挨拶の際、お話ししましたわな? 普通の門下生の場合ですと、《氣脈》を意識できる第一段階に、どんなに早くとも一年、平均で二年です。そこから、《陽光拳》の会得までが、約三年はかかりますんや」


 どこか照れたような笑顔の、滝氏の言葉が続く。


「多少うぬぼれになって恐縮ですが、私の見る目に間違いはあらへんかった、ということですな。ほんまに、おめでとうございます」


 絶賛してくれる滝氏だが、浮かれずに真面目に返した。


「いいえ、ひとえに、ご指導の賜物です」

「いやいや、先生が礼を言うべきは、何よりも忍でしょう」

「え? なんでウチなん?」


 何か、意味ありげに微笑む滝氏だった。彼がさらに続ける。


「そもそも煌心流とは、心を第一に考える流派ですねや。そして心というもんは、他人に分け与えることができるもんです。例えば先生、『てのひら』と言う字の、もう一つの読み方はご存知ですか?」

「はい。『たなごころ』ですよね。『手の心』が転じたものと記憶しています」

「その通りですわ。言うてみれば、手は『心の蛇口』なんです。忍の、先生を想う熱い気持ちが、度重なる深いふれあいを通じて文字通り注ぎ込まれ、力を与えたんやと思います。ふふっ、忍?」

「な、なに? おとん」

「夜の声は控えめにな? はっはっはっはっは!」

「あう、う、うう……」

「す、すっかりご存じで……」


 寛大かつ豪快に笑う滝氏。


 揃って赤面して、苦笑いする以外にどうしろと? って話だった。


「まあ、私もええ歳して、若い二人に嫉妬なんぞしとりません。重ねて、おめでとうございます、先生。そして、忍もようやった」

「ありがとうございます!」

「うん!」


 その後、滝氏が話を変えた。


「生まれ変わった拳の力、試してみはりますか?」

「あ、ウチも見たい!」


 忍もそう言ったことだし、何より、俺も実際に試したい。


「じゃあ、お願いします」


 そして、さらに少し後。


 いつもの俺の間合いの先に、滝氏が、右手の指二本で、デカいコンクリートブロックを持って立つ。


 と言うか、あんなデカくて重いカタマリを、つまむ程度でゆうゆうと持てる、滝氏の握力と腕力が恐ろしい。


「今回の的はこれです。やってみなはれ」

「はい」


 滝氏なら、《氣》なしの拳でも、あの程度のブロックぐらいたやすく割れるんだろうなあとか思う。


 それはどうでもいい。今は自分の力を試す時だ。


 ふー、と静かに息を吐く。《練氣》を終え、左拳に伝える。


「しっ!」


 踏み出し、光る左ジャブを放つ。


 それが当たった瞬間、ばごおっ! と音がして、ブロックが粉々に砕け散った。


「す、すごい……!」

「上出来でんな」

「やったやん、センセ!」


 我ながら信じられなかったが、滝氏はニヤリと笑い、忍はパチパチと拍手した。


「そのリーチ、この威力。さながら砲撃ですな、先生」

「はい。このジャブ、ボクシングの師匠からも、前々から『バズーカ』とは言われてたんですが」

「ほう。まさしくですな。ほな、名付けましょ。このジャブ、《陽光砲ようこうほう》いうのはどないです?」


 《陽光砲》か。ピッタリだ。気に入った。


「その名前、頂戴します。ありがとうございます」

「はははっ、予言と言うとたいそうですが、この《陽光砲》をまともに受けて、無事でおられる者は、まずないと思いますわ。先生の仇敵も、例外ではあらへんでしょうな」

「おめでとう、センセ♪」


 忍も祝福してくれる中、自分の拳を見つめて感慨にふけっていると、不意に、滝氏が驚いたような声を上げた。


「おお、せや! 唐突で失礼ですが、ほんまに今さらながら、大変、大変に大事なお礼を忘れておりましたわ、私としたことが。これを言わずして、何のために先生にお越し頂いたのやら。忍、お前も座りなさい」

「あ、うん」


 そして、滝氏と忍がおもむろに正座し、揃って俺を真っ直ぐ見てくる。


 自然と、こっちも正座して向き合う。


 神妙な面持ちで、滝氏が言った。


「先生。忍の《月光掌》会得の件、心より御礼申し上げます。まさか私も、娘がこうも早く最終奥義を会得するなど、夢にも思っておりませんでした。全ては、先生の愛が為せた業かと。ほんまに、ありがとうございます」

「ウチからも、改めて、礼を言わせたって。ほんまに、ありがとう。センセ」


 手を着いて、揃って深々と頭を下げられる。


 なら、返す言葉は一つだろう。


「お顔を上げて下さい、滝さん、いえ、お師匠さん。そして忍も。お師匠さんは、素晴らしい娘さんをお育てになりましたね。俺にはもったいないぐらいです」


 その言葉を聞いて、お師匠さんは目を潤ませた。


「ああ、その一言で、今までの全てが報われますわ。まだまだ至らんところの多い娘ですけど、どうか、どうか末長くよろしゅうにお願い致します」

「はい。約束、いえ、誓います」

「おおきに、ありがとうございます」


 お師匠さんと、固い握手を交わす。


 そのゴツゴツの手は、やっぱり、強さと、ぬくもりと、何より、無限とも言えるような優しさに溢れていた。


「あはは、なんやウチ、おらんほうがよかったみたいやなあ」


 苦笑いの忍だったが、そういうわけでもないだろう。


 笑顔のお師匠さんが言う。


「しかし、忍よ。お前の免許皆伝も、もうじきのことやろな。後はお前が、他人の《氣》の濃さを読み取る《読氣どっき》さえできれば」

「な、なあ、おとん? それやったら、ウチ、多分やけど、もうできるで?」

「なっ、なんやと!?」


 忍がそっと言うと、お師匠さんが目をむいた。


 俺から、説明を加えることにした。


「実は、昨日の夜のことだったんですけど……」


 そして、お師匠さんに、自分が忍に《氣脈》を読んでもらい、そのアドバイスの上で今日に至ったことを説明した。


「お、おお、おおおおおっ……! なんと、なんと……!」


 感激に打ち震えているらしい、お師匠さんだった。


 やがて、満面の笑顔を浮かべる。


「まずは、私も見てみんことには分かりませんが、いずれにせよ、めでたいですわ。祝杯を上げたいところですけど、先生、酒は飲まはりますか?」

「あ、たしなむ程度ですが」


 そう言われ、素直に答える。


「今度来はった時には、一献やらせてもらえませんやろか?」

「いいですね、楽しみにしてます」


 即答した。断る理由がない。


 この人となら、美味い酒が飲める確信がある。


 予定は決まってないが、本当に楽しみだ。


 さておき、目標は達成だ。


 ここで得た物の、学べたことの、なんて多い事か。


 お師匠さんと忍に尽きせぬ感謝を覚えると同時に、宿敵の顔も浮かぶ。


 おい、稲垣。首洗って待ってろよ。テメエの美学がどうのなんぞ、次は言わせるつもりはないぞ。


 忍を利用した罪、たっぷり償わせてやる。


 俺がお前に、地獄を見せてやるよ。


 お師匠さんに見えないように、少し邪悪な笑みを浮かべた。


 翌朝。もう一度お師匠さんに深く礼を述べ、晴れやかな気分で下山した。


 通算すると二週間と少しの修行だったが、その密度は濃かったとしみじみ思う。


 心がはやっていた。


 さらなる強さを手に入れたことよりも、やり遂げた事への達成感が強い。


 同時に、いい歳のくせにちょっと自慢したくなった。

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