第54話 会得!

 次の日から、いよいよ《氣》を一点集中させ、練るイメトレに移行した。


「まず、《氣脈》を丹田に集めることが、最初です。その後、集めた《氣》を、ほんまにうどんの生地をこねるように言葉の通りに、意識で練り上げるんですわ。上手いこといったら、下腹が熱うなるはずです。その《練氣》さえできてしまえば、もう後は、宿したい場所と意識を連携させれば、万事良好です」


 またしても、だが、だ。


 滝氏はさも簡単そうに言うが、実際はそんなはずはなかった。


 自分の《氣脈》は、さながら、黄金の奔流のように全身を巡っているのが分かる。


 それを丹田に集めることをイメージしても、あっさりとは行かない。


 しかし、焦ると、せっかく整然と流れていた《氣脈》が、たちまち乱れることも分かった。


 頭の中に、涼やかな清流を思う。


 光の欠片が、身体を巡っている。


 懸命に丹田へ誘おうとするが、言うことを聞かない。


 悩んでいると、滝氏にこうアドバイスされた。


「ある程度の意志は必要ですが、なるべく流れに任せるのがコツですわ。集中のしっぱなしやと、疲れますやろ? はやる気持ちはお察ししますが、もうちょい肩の力を抜きなはれ。『氣づき』さえ得られればええんです。むやみに夜更かしして体調を崩しはったら、何にもなりませんで?」

「は、はい」


 返事はするが、緩と急のバランスをどう取るかが難しかった。


 ところが、その「氣づき」は、思わぬところで得られた。


 しかも、個人的には何の苦労もなく、ひたすら精神統一していたのはなんだったんだ? と思うぐらいに。


 ある夜のことだった。


 客間で寝ようとしていたところ、ふすまがノックされた。


「センセ、起きとる?」

「忍?」


 すっとふすまが開けられ、忍が立っていた。


 ポニーテールをほどいて、やはりあまり女の子らしくない、ユニセックスらしき、薄いベージュの地味なパジャマ姿だ。


「どうした?」

「ウチ、寂しゅうて、もうあかん。助けてぇな」


 その時の彼女は、真剣に全身からSOSを放っていた。哀切に続ける。


「せっかくセンセとひとつ屋根の下におるのに、センセがごっつ遠いねん。なんぼなんでも、ウチの辛抱も限界や」


 はっとした。同時に悔やんだ。


 なんて奴だよ、俺は。


 一番愛しい恋人がすぐ側にいるってのに、全然注意を払ってなかったんだ。


「すまなかったな、忍。許してくれ。おいで」

「ん……」


 自分の寝床に、忍を誘う。まさしくすがりついてきた彼女を、しっかり抱きしめる。


 そしてその夜は、なんかすごく久しぶりに、彼女と愛を交わすことができた。


 変化は翌日現れた。


 心身共にスカッとしたせいなのか、少し精神を統一すれば、以前より明確に《氣脈》を感じることができるようになった。


 それだけじゃない。全身を巡る自分の《氣脈》そのものの、煌めきの力が強まっている確かな実感があった。


 それを、その夜になってから、自分の寝ている客間に忍を呼んで、話した。


「なんかな、お前と寝る前と後じゃ、まるっきり違うんだよ。気分もそうだが、俺の《氣脈》全体の力が」

「ええことやん。その《氣脈》をもっと磨いたら、次の《練氣》はすぐにできるで?」

「だといいんだが、《氣脈》が増大した原因が分からん」

「ウチも分からんわ。なんでやろね?」


 小首をかしげる忍。思い当たる節はないらしい。


 だが、少なくとも俺は、忍を抱くことと、自分の《氣脈》の変化の間に、どうしても関連性があるような気がする。


 じゃあ、俺の《氣脈》をさらに磨くには? と考えて、思いっきり下劣な提案が浮かんだ。


 果たして彼女に言っていいものか? 言い方は悪くなるが、忍と、互いを探り合うような視線の交錯が続いた。


「「あ、あのさ」」


 そして、見事にハモった。


「せ、センセから、ええよ?」

「いや、俺はお前の意見を聞きたいな」

「む、うう。ドン引きせえへん?」


 真っ赤になって、上目遣いで聞いてくる忍だった。


「心配すんな。俺の意見も、多分似たり寄ったりだ」


 少しの間。やがて、思い切った感じで彼女が言った。


「た、多分、ウチと、し、したことに、か、関連がある思うんや。せ、せやから、すっ、好きなだけっ、その、し、し、したら、ええんちゃう? そ、そしたらきっと、センセの《氣脈》も、もっともっと磨かれると思う、わ。し、知らんけど」

「お前は俺か?」

「はへ?」


 きょとんとする忍。俺は、軽くため息を吐くふりをした。


「まるっきり同じ事を言いたかったんだよ。ただ、お前の気持ちを無視することは、絶対にできないからな」

「んふっ、センセらしいなあ。嬉しゅうてかなわんわ」


 艶っぽく微笑んで、忍が手をこまねく。耳を貸せ、のサインだ。


 耳を寄せると、囁かれた。


「愚問やで。前のデートで言うたやん? ウチはセンセに愛されるんが、ごっつ幸せや、て。ウチ、欲張りやねん。センセがくれる言うんやったら、なんぼでも欲しいわ。ふうっ!」

「うおっ!?」


 息の塊を耳にぶつけられ、ゾクッときた。


 この瞬間、話はまとまった。


 そして、率直に言おう。


 《氣脈》をより磨き上げる、という名目のもと、その夜から、俺達は猿になった。


 夜な夜な互いの部屋を行き来し、限界まで愛し合った。


 ちなみに避妊具については、なぜか忍が、


「こないなこともあるかも、とおもて」


 という理由で、十二個入り三パックをまとめ買いで持っていたため、心配は要らなかった。


 ……お前は、『宇宙戦艦ヤマト』の真田さんか。


 分からん奴は、絶体絶命のピンチの時に、「こんなこともあろうかと!」ってな具合で、いつの間にか解決策を用意している、かなり都合のいいアニメのキャラがいると思っておいてくれ。


 そんなある夜の、客間でのことだった。


「はふぅ……幸せやわぁ……」


 事が終わった、余韻の時間。


 生まれたままの姿の忍が、うっとりと、俺の胸に顔をうずめて甘えまくる。


 余談だが、俺はこのひとときをとても重視している。限られた隙間で急いでカップラーメンを食うわけでもなし、気持ちが通じ合う時間は大事だと思う。


 そんな中、ふと、胸の中にある嬉しそうな目に見上げられた。


「なあ、センセ?」

「ん?」

「ウチな、センセにずうっと手ぇ握られとると、ごっつ嬉しゅうて、安心すんねん。一つになっとるって実感があるから。でもな?」

「でも、どうした?」

「最近のウチ、なんや、その手ぇを通して、センセの《氣脈》の強さが分かるような気がすんねん。愛してもらうたんびに、確実に、センセの《氣脈》は正比例で増大しとるわ」


 確信に満ちた瞳だった。


 実際、俺自身も、回数を重ねるごとにそういう実感がある。


 問題は、いつ《練氣》に移れるか? のタイミングが分からないだけだ。忍が続ける。


「センセ、ちょっと、もっかいウチと手ぇつないでくれへん?」

「ああ、分かった」


 手を差し出すと、忍の白くて柔らかな手が、それを握った。


「んー……」


 少し、集中している様子の忍だった。


 しかし、しばらくすると、にっこりと微笑んだ。


「いけるわ、センセ。もういける。センセの《氣脈》、ごっつい輝いとる。明日になったら、《練氣》と拳との連携、試してみてくれへん?」

「お前がそう言うなら、いっちょやってみるか」

「大丈夫やて♪」


 そんなやり取りをした、翌朝。


 さすがに毎晩だと、そろそろ腰が痛いかな? と思いつつ、その日も本業を終えてから急いで稽古場に引き返し、前日の夜に忍から言われたことを試してみることにした。


「ふうう……」


 誰もいない稽古場で一人正座し、呼吸を整え、まずは《氣脈》の流れを意識する。


 するとどうだろう。


 俺自身も「もしや」とは思っていたが、自分の《氣脈》自体の太さ、勢い、煌めき、全てがもう最大限になっている実感があった。


 そうか、この感覚か! と、「氣づいた」。


 次に、その黄金の奔流を丹田へ誘ってみる。


 意のままに、容易に集めることができた。


 そしてそれを、そのまま練り上げるイメージを持つ。


 程なく、はっきりと自分の下腹が、かぁっと熱くなった。


 いける、という確信が持てる。


 よし、段階を進めてみよう。


 その丹田で作った自分の《練氣》と、顔の前で作った左の拳を意識で連携させてみる。


 力の塊がすうっと腕を伝う感覚があり、次の瞬間、左拳がぼうっとオレンジ色にまばゆく光った。


 自分自身、その拳に、途方もない威力を感じる。


「やったっ……!」


 《陽光拳》だ! ついに会得したぞ! 急いで報告だ!

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