第52話 忍の素質!

「ところで、先生。忍を見つけるに至るまでで、少し不思議な話をしてもよろしいでしょうか? 先生には、なんとはなしに、知っておいて欲しいような気がする話ですので」


 ふいに、滝氏が、そんな事を言った。


 不思議って、どんな話だろう? とりあえず聞いてみたい。


「あ、どうぞ」


 促すと、滝氏は、本当に摩訶不思議な出来事を思い出すような顔になって、言った。


「これが自慢に取られましたら、それは、私の不徳の致すところではあるんですが、私には少し、自然の声、いうのが感じられるんですわ。物言わぬ木々や、川のせせらぎ。それらが発している声なき声が聞ける、と申しますか」


 滝氏が、オカルトめいた話をしていると思うか? いや、俺には思えない。


 なぜなら、それこそ伝説の書物における、拳を極めたレベルの武闘家は、それが可能だと読んだことがあるからだ。


 例えば、森の木に向かって語りかけ、揺さぶりももぎ取りもせず、木の葉を一枚、その手にする。


 あるいは、力を色も形もない「風」ととらえ、相手に自分の力を知らしめるためには、風が木々の枝を揺らしてその存在を教えるがごとくに、相手に伝える。


 要は「力の差を教える」ことで、「全てを打ち砕き、倒す」のではなく、「勝負に勝つ」。


 それが「拳を極める」ことだと、その書にはあった。


 つまり、極めんとする途上の境地にある武道家は、自然の声が聞けても、何の不思議もないということだ。


 俺なんぞには文字通り雲の上の話だが、それは関係ない。聞いてみた。


「もしかして、呼ばれたんですか? 滝壺から」

「あ、あの、先生? えらい飲み込みの早さですが、笑いませんのか? 自分で言うのもなんですが、現実離れしとる話やと思うんですが」


 逆に、少し驚いている様子の滝氏だった。短く、説明を加える。


「はい。俺は決して、あなたを笑いません。人間も自然の一部であり、求道の果てには、木々や川などの声が聞こえるようになると、昔、ある古文書で読みました」


 その言葉に、滝氏はいたく驚いたようだった。


「いや、軽う感服しましたわ、先生。『武』について、理解が深いようにお見受けします。ちなみに、いつ頃からそう思わはるようになったんですか?」

「それは、俺が大学在学中の話ですが、大学の図書館で、その書を読んだんです」

「なるほど。もしかすると先生は、私と同じ書を読まれたのかも知れませんな」


 意外な共通点に、少し微笑む滝氏だった。


「可能性はありますね。それで、やはり滝さんは『呼ばれた』んですよね?」


 その確認に、滝氏は、大きくうなずいた。


「はい。仰る通りですわ。滝壺からの風に乗って、私はその日、まさしく呼ばれたんです。ゆえに、声に従って、そこへ向かいました。そうしましたら、赤ん坊の入った木箱を見つけた、言うことです」

「運命めいてますよね、そうなると」

「ええ、そうとしか言えませんわな」


 そういうこともあるんだな。まるっきり想像は付かないが。


 納得すると同時に、以前忍も言った「おとんに拾われたのも、運命」というのが、別の面からも裏付けられたことになる。


 しかしこの人、どこまで鍛錬のレベルが高いんだろう?


 最初、「ネズミと象」にたとえたが、もはやここまで来ると「イワシとシロナガスクジラ」の比じゃないかとさえ思う。


 決して自分を卑下するわけじゃないんだが、少なくとも俺は、五年間必死になっても、自然の声なんてまるで聞こえない。


 だがそもそも、修行の年数だけ切り取っても、俺が費やした時間と、この人のそれとは、少なくとも三倍以上はあるだろう。比較する方がおかしいな。


 それはそれで、だ。滝氏が、忍についての驚愕の事実を話してくれた。


「話を戻しましょ。私が、忍に技を教え始めたのは、あの子が小学生高学年になった頃からなんですが、まるでスポンジでしたわ。教えた側から理解して、吸収して行きました。そしてなんと、忍が《陽光拳》を会得したのは、わずか二週間後のことでした」

「そ、そんなに早く!?」


 待て待て待て。


 さっき、滝氏は言ったよな? 普通の人の場合、三~五年かかるって。


 それを、二週間だと!?


「ええ、さようです。それから、一通りの技を会得するのに、一年もかかりませんでした。神童、申し子、と言う言葉がありますが、まさに忍がそうでしたわ。そして、先生」

「は、はいっ!」


 戦慄しているのを知ってか知らずか、滝氏は再度、にやっと微笑んだ。


「先ほども申し上げましたが、先生ご自身が、もう一つの例外です。努力次第ではありますが、忍と同程度の期間で、少なくとも《陽光拳》は会得できると思いますわ」


 うむ、とうなずきながらの言葉だった。そこへ少し、補足が入った。


「三穂の素質も、それは素晴らしいもんがあったんですが、いかに元が同じとは言え、流派が違いますんでな。今は、あえて除外させてもらいます」


 そりゃ、三穂先生も、中学生の時点で一通りの技が使えてたらしいし、素質については文句なしだったんだろうな。


 しかし、例外呼ばわりは、なんだか仰々しい気もするが、少なくとも、道は閉ざされてるわけじゃないらしい。


「あ、ありがとうございます。安心していいんでしょうか?」

「ええ、ひとまずは、よろしいかと」


 にっこりと微笑む滝氏。とても寛大な笑みだった。


 そのまま、説明が続く。


「拳足に《氣》をまとわそう、とおもたら、最低八割、欲をかいて九割まで己の《氣》を育てる必要があります。普通の人は、そこに時間がかかりますんや」


 さらに滝氏は、どこか嬉しそうに続けた。


「ところが先生は、元々九割です。最初から、ここまでの濃度の人間におうたのは、忍を含めて二人目です。ゆえに、例外と呼ばせていただきました。一つの、天賦の才ですな」

「は、はあ、恐縮です」


 褒められているのは分かるが、買いかぶられている気も少しする。


 いや、滝氏を疑うわけじゃないんだが、普段全く自覚がないだけに、どこか複雑だ。


「ただ、いかに先生といえども、コツを飲み込む必要はあります。簡単ではありませんが、先生ならできるとおもております。私としても楽しみですわ。こないに素質のある方が、どないなるか。期待させてもろてええですか?」


 笑顔の滝氏だが、こっちは恐縮しきりだ。


「す、すみません。確かに技の会得は必要なことではあるんですが、あまりプレッシャーをかけられると、その」

「おお、それは失礼しました。ともかく、よろしい。明日から早速始めましょか。言うても、そうたいそうに考えなさりな。できる、と信じとったら、結果はついてくるもんです」

「はいっ」


 その日はとりあえず、疲れていたこともあって、風呂を頂いて、夕食後は早々に客間で休むことにした。


 ちなみに食事は、前々から忍に聞いていた通り、滝氏が作っていた。


 一例として、初日の夕食のメニューは、さわらの西京漬けに、ほうれん草の味噌汁、小鉢として、筑前煮、そして白ごはん、箸休めにたくあん。


 立派な定食だった。しかも、その味がいい。いかにも家庭的な味で、どこかホッとした。


 俺の勝手なイメージとしては、武道家ってのは、修行の一環として粗食で済ませると思っていたんだが、滝氏の理由と、その考えは、納得のいくものだった。


「食べる、言うことは、身体作りのすべての基本です。そして人間というのは、脳で食事をするもんなんです。粗食で修行という意見も、一応は分かりますが、不要なところで辛抱して、変にストレスを溜めるのもあかんでしょう」


 これには、大いに賛同したい。


 特に「人間は、脳で飯を食う」というのは、俺としても「我が意を得たり」の気分だ。


 誰だって、


「白ご飯に塩を振っただけのメシで、必要な栄養素は全部サプリメントで」


 なんて食生活を、一日三回、毎日続けられないだろ? つまりは、そういうことだ。


 しかし、一流の武人なのに料理が得意ってのが、なんかミスマッチと言うか、何と言うかだ。


 滝氏は、笑いながら追加で言った。


「辛い修行の中、せめて飯ぐらいうまいもんを食わな、さすがの私もやっとれませんわ。それに、育ち盛りの大事な我が子に、粗末な食事をさせるわけにも行きませんしな。わははっ」


 そんな理由で、若い頃から、武道の修行と同じぐらい、料理にも研鑽したって話だった。


 この辺はもしかしたら、食にこだわる関西人気質なのかな? とか思う。


 いや、そんな話はまさしくどうでもいいんだが。

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