第51話 「武人」と邂逅す!

 忍の家へ行く……のはいいんだが、道中の山道の険しかったこと。


 一応登山道はあるんだが、勾配がきつくて参った。


 鉄板入りの靴を履いたままというのを差し引いたにせよ、正直、ここを走れと言われたら少し遠慮したい。


 こんな道を毎日軽快に走れる忍って? とか、恋人ながら底の知れなさを感じたりもした。


 そして、登ること数時間。


 すっかり陽が暮れた頃、目の前が開け、かなり立派な平屋の民家が現れた。


「お疲れさん、センセ。着いたで」

「はあ、ふう、おう。やっとか」


 いかに日々トレーニングをしていても、キャパシティってのがある。


 ここまでの道のりは、想像以上にハードだった。


「おとん、稽古場で待っとるんやて。こっちな。多分ウチは邪魔やろから、自分の部屋におるわ。ほなな?」


 忍に案内されて、別棟の稽古場へ向かった。


 引き戸を開けて入る。広さは、ざっと見て十五畳少し。


 壁と床は板張り。まず入り口に、靴を脱ぐための土間があり、その左には下駄箱。


 靴を脱いで上がると、入ってすぐ脇の壁に、門下生のものだろう、名札がかかっている板がある。


 また、向かって右側の壁沿いには、着替え用だろう、灰色の縦長ロッカーが、ざっと数えて十数個ほど並んでいるのが見える。


 後は、正面の突き当りの壁に窓。最低限のものしかない、そんな稽古場だった。


 そして、その中央に、滝氏が、目を閉じて座っていた。


 武人としての、彼が。


 数多の汗と労苦が染みこんでいると分かる、着古した白の道着に、赤帯姿。


 改めてじっくりと、面立ちを見る。


 目鼻口それぞれに、何と言うか、一本の、見えないが強靱な筋が通っているように思われた。


 そして、力と鍛錬の積み重ねを象徴するかのような、ゴツゴツに節くれ立った手。


 骨太な武人。その一言が、一番しっくりくる。それ以外に形容のしようがない。


 これまでにも片鱗を感じたことはあるが、まとっている雰囲気も重厚だった。


 無駄にいかつくはない。しかし、威厳に満ちていた。


 単に偉そうなのではなく、盤石以上の裏打ちがあるそれだ。


 滝氏が、そっと目を開く。


 立ち上がった。


 所作にはやはり、一分の隙もない。


 前から知ってはいたが、背丈は、どちらかと言うと小柄な方だ。


 だが、今、察した。


 車でたとえるなら、軽自動車の車体に、大型ブルドーザーのエンジンが積んであると見て間違いない。


「ようこそおいでなさりましたな。東郷先生」

「お、お世話になります」


 相変わらずの、太い声だった。


 だが、包み込むような優しさと、力強さがある。


 緊張しつつも、まずは一礼した。


「忍から、話は聞きました。よろしくお願い致します」

「あ、いえ。こちらこそ」


 そして滝氏は、そのごつい右手をこちらへ差し出してきた。


 促されるまま、握手する。


 そのゴツゴツの手を握った瞬間、この人が今まで積み重ねてきた鍛錬の蓄積を容易に感じ取れた。


 はっきり言って、俺なんかの比じゃない。


 レベルが違いすぎる。ネズミと象ぐらいの差はあるだろう。


 少し戦慄しつつ、滝氏と数秒手を握り合う。長い握手だった。


 その時、気のせいだろうか? 彼が、少しその目を見開いたような?


 分からなかったが、それはいい。滝氏がおもむろに手を離し、再度床に座る。


 俺も自然と、きっちり正座してしまう。


「まあまあ、先生。そないにかとうならんとってください。こちらも、お礼が言いづろうなりますよって。せめて足ぐらい崩してもろても、構いませんし」

「で、では」


 柔らかく言われて、足をあぐらにした。


 ふう、と一息ついたのを見てか、切り出された。


「東郷先生。忍を見初めてもろうたことに、まずは、心よりお礼申し上げます」


 深々と頭を下げられる。何と言うか、畏れ多い。


「い、いえ。純粋に素敵な娘さんで、自然と惹かれて、その」


 どう答えていいものか、少し慌てていると、滝氏が寛大に笑いながら言った。


「親が言うのもなんですが、忍の性格を考えた時、生半可な男には惚れへんやろとは思っとりましたんや。それがもう、あの変わりようです。おのずと私も、先生に、より興味が湧こう言うもんですわ」

「お、お恥ずかしい」

「ほんまに、嬉しゅう思います。忍が、自分で幸せを掴んでくれたことが、どれほどの喜びか」


 そう言って、滝氏が目を細める。


 親としての情に溢れていた。


 いかに血の繋がりがなかろうが、この人がどれだけ娘のことを大切にしているか、痛いぐらいに分かった。


 細めた目を静かに閉じ、数瞬。


 すっ、と再び目を開け、こちらを見つめた。


「さて、先生」

「は、はいっ」


 真面目な面持ちの滝氏。怒られているわけでもないのに、妙に緊張する。


「初手からきついことを申し上げるようで恐縮ですが、我が煌心流は、付け焼き刃でどないかなるような、底の浅い流派ではありません」

「そ、そりゃそうですよね。聞こえは悪くなりますけど、常人離れした技を操るわけですし」


 もしかして、面会だけでやっぱり無理か? と思った。


 浅はかだったのかも知れない。


 滝氏はさらに、現実の話を続けた。


「後で説明させていただきますが、《氣》を操るためには、二つの段階が必要となってきます。まず、第一段階までで早くて一年、平均で二年はかかります。そこから次へ進むのに、もう二年、あるいは三年はかかるのが普通です」


 なんてこったと思った。


 考えが甘いどころの騒ぎじゃない。


 最短でも、三年は修業が必要なのか。


 しかし、分からない話でもない。肩を落としていると、滝氏が意味ありげに微笑んだ。


「先生、落胆するのは、少々気が早いですな。私が今言うたのは、普通の人の場合ですわ。何にでも、例外、言うのがあります」

「と、申しますと?」


 まるっきり分からなくて、続きを促すしかできない。


「その前に、軽うに基本を説明させてもらいます。《氣》、いうもんは、別になんも不思議なもんやあらしまへん。万人に流れとるもんです。現に、『病は氣から』とか、『根氣を出す』とか言いますやろ?」

「は、はい。確かにそうですね」


 特別なものではない、というのは分かるんだが、自分の中にあるのかが疑わしい。


 そんな思いを読んだかのように、滝氏が説明を続ける。


「ご心配なく。先生にも流れとります。その、《氣》の濃さ、言うもんが、私には読めるんです。言葉で説明するのは少し難しいんですが、人の身体が、グラスのように見えますのや。そこに、そうですな、ワインを注いだかのごとく、『輝き』が入っておるんですわ。つま先を『底』としますと、頭のてっぺんが『上限』になります。その『満たされ具合』を、ゼロから十割で読みます」


 なんだか、超能力めいて聞こえる。


 ただ、この人がデタラメを言っているとは思えなかった。


 なぜなら、目が、至って真面目だったからだ。疑うのは失礼なレベルだった。


 とにかく、さらに説明が続く。


「《氣》の濃さは、個々人によってばらつきがあります。なんも修行を積んでおらへん、普通の人間の場合、基本は平均で、三~四割程度なんですわ。たまにおらはるんですが、あまりに割合が低い人も、中には。そういう方は、少なくともうちでの修行には、時間がかかりますな。途中で音を上げて辞めはった方も、過去に何人かおりました」


 入門しても、脱落者がいるのか。相当厳しいんだろうな。


 俺が難しい顔をしていると、滝氏が、目の前に、いきなりピースサインを出した。


 なんだ? 不思議に思ったんだが、彼は、それとともに口角を吊り上げた。


「ですが、二人の例外がおります。忍と、先生ですわ」

「えっ? ど、どういうことですか?」


 一口に例外と言われても、ピンとこない。


 戸惑っていると、説明が入った。


「実は、先程のご挨拶の際の握手で、先生の元々持ってはる、《氣》の濃さを読ませてもろとったんです。私はそれに、内心仰天しましたわ」

「ど、どういう意味で、でしょうか?」

「ええ意味で、ですわ。先生はすでに、九割以上を持ってはります。十分に例外と呼べます。もっとも、忍は、それ以上に凄まじかったんですが」

「どう、凄まじかったんですか?」

「はい。今から十六年前、私が滝壺であの子を見つけて抱き上げた時、当然、その笑顔にも宿縁を感じました。しかし、それより驚いたのは、あの子が、ほんの赤ん坊にも関わらず《氣力》にみなぎっておったことです。十割どころか、その倍、ともすれば三倍は軽うにありました。ありえへんレベルの、まさに事件でしたわ」

「そ、そんなに!?」


 待て。


 さっき滝氏は、「三~四割で普通」って言ってたよな?


 それが、生まれつき、十割の三倍だと!?


「つ、つまり、彼女には、生まれながらにして、とんでもない素質があった、ってことですか?」

「そないなります。こないに《才氣》溢れる子どもを、みすみす街の施設に預けて埋もれさせては、我が煌心流の最大の損失やと思いました。それが、私があの子を養子にした、もう一つの理由です。また、お恥ずかしながら私は独り身ですので、後継者をどないするか? というのもございましたし」


 そう言って、意外に人懐こく、少し照れ笑いをする、滝氏だった。


「なるほど……」


 独身男が、赤ちゃんを養子縁組しようと思ったら、手続き自体はできるだろうが、育児の手間が相当かかるのは、当然のことだ。


 そのことを滝氏に覚悟させるだけの才能が、忍には生まれつきあったということだろう。


 それはそれで、すごいことだと思う。


 もしかしなくても、とんでもない女の子を恋人にしたんだな、俺。

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