第46話 俺の「オリジン」!

 いい感じに腹も膨れた。


 店を出て、次はどうしようかと揃って歩きながら考えていると、忍がぽつりと言った。


「もうちょい、どっか二人っきりになれるとこ、あらへんやろか?」

「そうだなあ」


 考えてみる。残念ながら、彼女の意に沿う場所が浮かばない。


 さらに悩んでいたら、忍に、脇腹をつんつんとつつかれた。


「ちょいちょい。そない難しい顔せんでもええよ。ウチは、人混みのない、静かなところはあらへんかいな? て意味やったから。どないしても浮かばんかったら、気にせんといて?」


 気遣いは嬉しいが、簡単に諦めたくはない。


 そこで、ちょっと思いついた。


 そうだよ。遊ぶ手段をなんとかしようと思うから行き詰まるわけで、無理する必要はどこにもないんだ。


 いい場所を知っている。電車の駅までは遠くとも、少なくとも路線バスがある。


 記憶が定かなら、バスに乗って駅まで向かえば、途中の停留所に、大きな緑地公園があったはずだ。


「よし、なんとかなるな。行こうか」

「どこなん?」

「緑地公園だよ。ここからはバスになるが、そう遠くもない。何より、静かなはずだ」

「あ、それええね。多分ベストやわ。行こう!」


 ぱっと笑顔をほころばせた忍を連れて、早速二人でバスに乗り、目的地へ向かった。


 その緑地公園は、都市部の中にあるんだが、結構な敷地の面積がある。


 全体を植樹された木々で覆われていて、中には遊歩道やランニングコースが整備されていたり、白鳥が憩うことで少し名の通った池なんかもある。


 そうは言うものの、他には? と問われたなら、何もない。


 あってせいぜい、休憩用のベンチや、ドリンクの自販機ぐらいだ。


 お互い、毎日走り込みは欠かさないから、まさか、せっかくのデートにおいても走ろうとは思わない。


 遊歩道を、ゆっくり歩くことにした。


 静かだった。


 名も知らぬ小鳥のさえずり以外は、穏やかをそのまま絵に描いたような場所だ。


 忍が、すう、と深呼吸をしながら、清々しげに言った。


「なんや、こないにゆっくりボチボチ歩くと、かえって新鮮やね」

「そうだな。お互い、走りっぱなしだもんな、普段」

「んふっ、ほんまや。変に『ええんか?』とかおもてまう」


 小さく笑い合う。歩きつつ、忍に顔をじっと見つめられた事に気付く。


「な、なんだ?」

「んーん。なんも。ただ、しみじみと幸せやなあ、思て」


 ほんのりと忍の頬に朱が差す。多幸感で軽いめまいを覚えた。


「あ?」


 何かに気づいたような、忍の声。


 そっと、彼女の手を取ったからだ。


 武道をやってるのに、驚くほど華奢な手だった。何より柔らかい。


 少し強めに握って、意志を伝える。


「おおきに、ありがとう」


 照れ笑いして、手を握り返す忍だった。少しでも、伝わったかな?


 手を繋いだまま、ゆっくり歩く。


 いろんな話をした。主にどうでもいいことを中心に、楽しく。


 そんな中、忍が話題を変えた。


「なあ、センセ。ウチな、センセとの子ども、欲しいねん。絶対。愛してるからも当然やけど、もうな、ウチの『女の本能』が叫ぶんよ」

「お、おう。それは、あの、なんだ。いずれはそうなるだろうな」


 気圧されるぐらいに言われて、図らずとは言え、少し怯む。


 いかに忍が真剣か、すごく分かる。


 いや、確かに俺だって、いずれは子どもが欲しいとは思っている。


 両親は健在だし、孫の顔を見せたいってのもある。


 でも、急にその話になると、少し慌てる。


 逃げるわけじゃないが、話題を変えたかった。


 そこで、ちょっと気になることを思い出した。


「な、なあ、子どもと言えば、なんだがな? あんまり重要じゃない話かもだが、親父さんは、お前を育てるために、仮住まいの家にいた間、どうやって稼いでたんだ?」

「ああ、それ? もちろん、門下生を指導しとったんやけど、いちいちウチを山まで連れて行かれへんかったから、街にある、知り合いの師範がおる空手道場を間借りしとったんやて」

「なるほどね。子育てには、先立つものがどうしても要るもんな」

「そういうこっちゃね。ウチらも、仮に授かったら、しばらくそっちで暮らすことになるやろね。せやけど……」


 彼女が、そこで何やらモジモジと照れて俯く。


 つんつん、と、また脇をつつかれた。


 なんだろう? と思ったんだが、いかにも恥ずかしそうな、ぽつりとした声で言われた。


「耳、貸してぇな」

「お、おう」


 忍の口元に、耳を近づける。囁く声。


「子どもが欲しいのは確かやねんけどな? まだええねん。ウチ、もうちょい、センセと二人きりでおりたいから。その、えーっと、せやからアレや、そのぅ……」


 秘密の囁きにしてなお、忍が口ごもる。


 ピンと来たが、敢えて言わない。


「た、対策だけは、しっかりしよな? お互い」


 思った通りだった。つまり、避妊対策はしっかりしましょうね、ということだ。


 別に、女の子にエッチな言葉を言わせて興奮するような、妙な性癖は持ってない。


 だが、かなりセクシーに聞こえた。


 トドメに、


「ふーっ」

「うおっ!?」


 意味深に、耳に熱い吐息を吹きかけられてみろ。


 半分「おっき」するぞ。するだろ?


 しばらく、真っ赤な顔の忍を連れて歩く。


 握っている手さえ汗ばんでいた。


 不意に、ものすごく珍しく、彼女がどこか疲れたように言った。


「休憩、できひんかなあ?」


 その相談には一瞬困ったんだが、まるで用意されていたかのように、空いているベンチがあった。


「座るか」

「うん」


 並んでベンチに腰掛ける。ごく自然に、忍が身体を預けてきた。そっと手を回す。


「なんやろ、よう知らんけど、眠いような気がする。なあ、センセ?」

「ん?」

「膝枕、してくれへん?」

「お安いご用だ」

「おおきに。ほな」


 忍が、こてん、と、俺の膝に頭を乗せる。心地よい重みだった。


「あったかいなあ、センセの膝。ええわあ」


 なんだか、猫を思わせる雰囲気だった。


 黙っていると、忍が静かに目を閉じる。


 少しの間。すうすうと、彼女の深い呼吸だけが聞こえる。


 空を見上げた。眩しいほどの、春の青空だった。


 爽やかすぎて、かえってどこか感傷的になる。


「♪ブラウン管の向こう側……♪」


 子守唄にはふさわしくないだろうが、ブルーハーツの『青空』が唇に乗った。


 小さく歌う。


 以前、三穂先生とも話したが、このナンバーが、マイフェイバリットだ。


 中学生時代に散々聞いた。


 当時は、「まさに俺の事だ!」ってほど共感して、聞く度に泣いてたっけ。


 だが、今にして思う。


 詩の美しさ、曲の完成度、純粋さにケチをつけるつもりは一切ない。


 むしろ、日本のロック史上、至高の名曲だ。


 百点満点だったら、一億点でも足りないだろう。


 しかしやはり、思春期、あるいは反抗期特有の心情だなと感じる。


 誰も自分のことなんか分かってくれない。


 そして人は、他人をたやすく出自や外見で判断する。


 無意識の偏見アンコンシャスバイアスをもって。


 それが当たり前だと気付いたのは、大人になってからだった。


 なぜなら、自分の内面、あるいは本質は、目には見えない。


 その上、他人はどこまで行っても他人でしかなくて、そのままの自分自身じゃないからだ。


 極端に言えば、親だって他人なんだ。


 ただし、だ。分かる事は出来なくても、想像する事は出来る。


 他人の心に思いを馳せ、もしかしたらそうかも知れない、という自分の解釈を得る。


 大人は汚いというのも、なってみれば分かるもんだ。


 残念ながら今の世は、正直であればあるだけ、誠実であればあるだけ損をする。


 あえて汚れることも必要だ。


 逆に、望まずに汚されることだってある。


 もちろん、汚れきって周囲に迷惑をかけるようじゃダメだが。


 社会で生きていくってのは、そういう経験の積み重ねだと思う。


 それを伝えるためってのが、復讐以前、教育の現場を変えたいというさらに以前に、そもそも、俺が教師を志した理由の一つでもある。

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