第42話 奴のアブナイ趣味!

 そしてまた、別の日。こんなシーンも見た。


「むっ!」


 授業を終えて、職員室へ戻る途中、廊下の向かいから、稲垣の奴が歩いてきた。警戒態勢を取る。


「ふっ」


 ところが奴は、こっちを一瞥したきりで、たまたま俺の隣を歩いていた男子生徒に興味を示した。


「おお、君は可愛いね。どうかな? 僕と少し遊ばないかい?」


 男子生徒に向かって、稲垣が、そのアイシャドーの乗ったまぶたで、バチーン! とウィンクを決める。


 見た。男子生徒がビリビリとしびれ、瞳がハート型になるのを。


 バンコランかよ!?


 分からん奴は、眼力一発で美少年を骨抜きにできる、超絶な色男が出てくるマンガがあるって認識で構わん!


「どこへでも連れてってください!」

「くすっ、いい子だ」


 そして稲垣の奴は、男子生徒の手を引いて、理科準備室へ向かった。


 その時奴が、


「ふふっ、男女通算で、八百六十七人目だ」


 と、口元を吊り上げたのを、見逃さなかった。


 こいつ、リアルで千人斬りやってんのか!?


 怖い。別の意味で怖い。


 しかし眼力もさることながら、バイセクシャルだったことも驚いた。妙な偏見は持たないにしてもだ。


 だが待てよ? つい、背中を追って肩を掴んだ。


「おい、いいのか、妻帯者?」

「フッ、無粋はやめたまえ。千人斬りは、妻の公認の元だ。むしろ、応援してもらっているんだよ」


 ……ダンナがダンナなら、妻も妻か。揃っていかれてやがる。


「僕はこれから、楽しむんだよ。邪魔だ」

「……好きにしやがれ」


 それ以上は言えなかった。うっとうしげに手を払われる。


 だが、気にする余力はない。


 努めて、奴をもう見ないことにした。


 そんな穏やかな日々が、奇妙なほど長続きした。


 その間、分かったことがある。


 有り難いことに、校内には男女問わず、俺のシンパが結構な数いること。


 そして、俺の授業のやり方が、変化球であることは全員承知の上で、ウケが総じて良いことだ。


 いや、確かに復讐のためにここへ赴任してきたわけだが、いかに作戦上であれ、「正しい教育」をせんとする本業が予想外に好評だと、やはり手応えを感じる。


 やりがいがあった。


 なお、生徒達は、俺以外の授業でも、以前と比べて比較的おとなしくなったそうだ。


 これについては、二年C組のある男子から、こう聞いた。


「東郷先生の授業に比べると、面白みには全然欠けますけど、少しは真面目になった方が、やっぱりいいかなと思って。俺達を叱ってくれた東郷先生に、なんだか失礼な気もしますし」


 まさか、生徒達がそこまで考えを変えてくれたとは思いもよらず、軽く驚いた。


 もっと分かりやすい変化があった。


 ある時、職員室に、思い詰めた表情で、俺のクラスの女子生徒が来た。


 用件は「内密の相談があるから、俺のLINEのIDを教えてくれ」、という懇願だった。


 別にいいかと思って教えたら、その日の夜、彼女からすごく真面目な恋愛相談が来た。


 無下にするのも悪いので、俺なりに話に付き合ってやったら、その子にとても感謝された。


 それどころか、その情報はあっという間に他の生徒達にも広まり、俺のトークルームは、たくさんの生徒達からの様々なお悩み相談で埋まってしまった。


 正直な話、あまりに多く相談が来るもんだから、到底一日では全部を相手しきれず、おのおの日程と時間を双方で調整して決めて、順番に対応することにした。


 さすがに、それぞれの悩みにすべて完璧に適切な答えができるはずもないんだが、やはり生徒達は、聞いてもらえるだけでも喜んでいるようだった。


 しかし、この手のお悩み相談って、普通なら保健室の三穂先生の守備範囲なんじゃ? と思って、ある時、本人を捕まえて聞いてみた。


「私にさえ話せないことを抱えてる子、ってのも、多いみたいですよ? まあ、私が東郷先生を勧めたってのもありますけど」


 ……嫌ってわけじゃないが、仕事を増やしてくれるな、と言いたかった。言わなかったが。


 生徒たちから予想外の信頼を得られていることには驚いたが、同時に大いに反省した。


 相手は、思春期の子ども達なんだ。


 どこにも吐き出せない悩みの、一つや二つはあって当たり前だろう。


 そんな子達の叫びに、俺達大人が耳を傾けないでどうする?


 乱暴な言い方をすれば、俺は、彼ら、彼女らを、どこかで血の通う人間扱いをしてなかったのかも知れない。


 我ながら恥ずかしいが、以後は改めればいいだろう。


 しかし、職員室での居心地はイマイチになった。


 先手を打って、忍への手出しを封じていたのは、まだ効いているらしい。


 だが、「不純異性交遊教師」なんて、甚だ不本意なレッテルを貼られた。


 当然、おおっぴらにそう呼ばれてるわけじゃないんだが、聞こえよがしの陰口は、嫌でも耳に入ってくる。


 ある時、俺の席に一人の女教師が来た。


 ぱっと見は三十代後半。


 背はまあ標準だが、いかにも栄養が足りてなさそうな貧弱な体つき。


 服装も地味というか、野暮ったいというか、暗い。


 髪はおかっぱで、角張った眼鏡をかけている。


 そこに、世の全てを拗ねたような細い眼光が加われば、もう「私はモテません! むしろ男が嫌いです!」と全力で言ってるみたいだった。


 確か、こいつの名前は、山留やまどめナントカ。数学教師だったはずだ。


 その山留が、汚物を見るような視線を俺に投げかけながら言った。


「東郷先生。滝さんが可愛そうだと思ったことは、おあり?」

「おや、どういうことですか?」

「アナタのような汚れた不純教師に弄ばれている、彼女が可哀想だと言っているんです!」


 心外にも程がある。と言うか、一方的な決めつけすぎて、スゲエムカつく。


「滝さん本人から、その言質は取ったんですか?」

「いいえ、でもそうに決まっています! 純真無垢な生徒をたぶらかすなんて、言語」

「待てよ、オイ」


 軽くキレた。山留を遮り、殺意の籠もった目で睨む。


「ひ、ひぃっ!?」


 一発で山留がすくみ上がるが、腹の底から言ってやる。


「悪いがな、俺はマジで忍を愛してるんだ。一片の嘘偽りもねえ。彼女を生涯愛し続けて支えるのが、俺の使命なんだよ。テメエ、真の愛ってのを知らねぇだろ?」

「あ、あ、あ、あのっ、そのっ」


 視線を宙に泳がせ、しどろもどろになる山留だが、ムカつきが収まらない。


「オマケになんだ、オイ。忍本人からウラも取らずに、彼女が嫌がってるだと? なんなら、今すぐここに忍を呼んで、確かめてみるか?」

「よ、よ、よ、よろしいでしょう。本人から確認さえ取れれば、きっと私の考えが正しいはずです!」


 虚勢丸見えの山留だった。


 俺は、ひとっ走り放送室まで行って、即座に校内放送で忍を呼んだ。


「来ましたで、センセ! どないしたん?」


 再度、職員室。


 程なくして、笑顔の忍がやってくる。軽く説明してやった。


「いやな、この山留先生が、忍は俺と嫌々付き合わされてるんだ! ってご意見を譲らねえんだよ」

「ですわよね? 滝さん!」

「……へえ?」


 すると、一発で忍が不機嫌そのもの、むしろ怒った。


 ひくひくと口元が引きつっている。はた目には笑顔を作っている分、なお怖い。


 この先生、虎の尾を踏んだな。


「山留センセ? 世の中、言うてええことと、あかんことがあるのは、知ってはります?」


 顔は一応笑ってはいるが、圧倒的な怒気だった。オーラとして目に見えるほどの。


 山留がさらに怯む。


「ひえっ!? え、あ、まさか、本気で?」


 忍が、山留の目をド正面から見据える。


 もう笑顔ではない。純粋な怒りを露わにしていた。


「ウチは本気中の本気ですで? ウチと東郷センセは、鉄、ちゃうな。ダイヤモンドより固い愛の絆で結ばれてますんや。ウチが嫌がってる? そない思たことなんぞ、ほんの一瞬さえありまへんわ。勝手に決めんといてくれますか? めっちゃムカつくっちゅうより、さすがのウチでもキレますで? なあ?」


 爆発寸前の忍だった。勢いとしては、今すぐこの山留をぶん殴りそうだ。


「東郷センセは、ウチの全てです。この人を侮辱することは、イコール、ウチにケンカ売ってるんとおんなじでっせ?」

「ひ、ひ、ひ……」


 忍の怒気に圧されたのか、ガクガクと膝を大爆笑させる山留だった。


「さて、山留先生? 本人もこう言ってますが?」

「お、お見それしました!」


 突然、山留が土下座した。顔を伏せながら言う。


「わ、わ、わ、わたくし、お恥ずかしながら、男性との交際経験がまるでございませんで! 平たく申し上げれば、単なる嫉妬にございました! お二人の絆が、ただただ眩しすぎます! なにとぞお許しを!」


 土下座を続ける山留を見下ろし、忍がため息交じりに言う。


「あーあ、おんなじ女としてハズいわ。嫉妬ほど醜うてどーしよーもないもん、そうありまへんで? 悔しいんやったら、自分もええ男の一人ぐらい見つけてみなはれや?」

「ど、努力します!」

「分かったのなら、それでいいです。顔を上げて、お戻りください」

「は、はいっ!」


 そして、慌てて姿を消す山留だった。


「ありがとよ、忍。感動したぜ。お前こそ、俺の全てだとも」

「えへへぇ、おおきに♪」


 頭を撫でながら褒めてやると、でれん、と幸せそうに顔を緩ませる忍だった。


 ああ可愛い。そして抱きしめたい。


 この一幕が効いたのか、以降は陰口をたたかれなくなった。

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