第五章 つかの間の平穏。そして、変化と幸せ。 第41話 生徒達の信頼!

 次の日、月曜日。


 いつも通りの日常だった。


 だが、厳密にはそうじゃない。刺客の襲撃がなくなったんだ。


 どういうわけかは知らないが、ぱったりと止んだ。


 稲垣の野郎もしかりで、再戦を挑んで来るわけでもなかった。


 校長も、尻尾を出す気配がない。


 組織を潰す目的はあれど、手当たり次第に暴れられない。


 降りかかる火の粉を払うスタイルを取らざるを得ない分、敵襲がない日が連続すると、逆にどうしていいか戸惑う。


 いや、待て。組織が、さらに大きな手を打ってくる可能性が高い。


 嵐の前の静けさって奴だろうな、恐らく。


 大がかりな反転攻勢に出てくることも考えられる。


 今度こそ、束になってかかってくるかも知れない。


 迎え撃つことは出来るだろうが、少し厄介だ。


 それに、忍に矛先が向くのも困る。


 あいつのことだから、簡単にはやられないとは思うが、俺も、常時守ってやれるわけじゃない。


 よし、先手を打とう。


 ある日の朝の、職員会議の終わり際、各人の連絡事項を聞く頃になって、手を挙げた。


 立ち上がって、堂々と言った。


「俺を消したいという件について、一点申し上げます。束になってかかってきてもいいですが、俺は、漏れなく返り討ちにしてやります」


 この発言で、会議室に緊張が走った。続けた。


「その気があるなら構いませんが、俺以外の全教員が再起不能、あるいは退職となれば、世間的に困るのは、どちらでしょうねえ?」


 あえて煽る。


 組織の存在は、表立っていないはず。


 仮に構成員全て……つまり全教員を排除した場合、学校自体が運営できなくなる。


 組織と縁を切った三穂先生は別だが、養護教諭だけで、学校が回るはずもない。


 教育委員会はごまかせるかも知れないが、保護者への説明が付かない。


 それは、連中としても都合が悪いはず。


 さらに続けた。


「俺が用のあるのは、あんたらのボスだけです。そこだけは、お含み置きを。それから、あんたらも知ってるとは思いますが、二年C組の滝忍さん。彼女に手出しをすることは、俺が絶対に許しません。以上です」


 誰も、何も言わなかった。


 この場では、校長を名指ししない方がいいだろう。


 そして、まるで俺の発言などなかったかのように、その日の職員会議は終わった。


 これでいい。ボス、イコール校長がターゲットだ、ということを明言さえすれば、いずれ向こうから仕掛けてくるはず。


 単発でまた刺客を仕向けてくる可能性はあるが、サシなら問題はない。


 この対策が効いたせいか、その後も、荒っぽいことは起きなかった。


 俺としては、とりあえずというのもおかしいが、まずは教師としての本分があるから、当然そっちをこなす。


 気の抜けた授業なんぞするつもりは全くない。


 警戒感は、完全には解けないが、しばらくの間は驚くほど平穏な日々が過ぎていった。


 個人的には嫌いだが、世間体様々ってところだな。


 ある日、四時間目の授業を終えて、いったん職員室に戻ろうとしていた時だった。


 数人の女子生徒が歓談しているのを見た。


 その中で、自分の名前が出た気がしたので、声をかけた。


「本人不在での噂話は、あんまり褒められないぞ?」


 すると、女の子の輪から、黄色い声が上がった。


「噂をすれば影、ね! ちょうど今、東郷先生について話が弾んでたんです!」


 嬉しそうな調子。どうやら、悪い噂じゃないらしい。


 別の女生徒も、興奮気味に言う。


「東郷先生って、ぶっちゃけイケてますよね! 顔立ちが、なんとなく阿部寛の下位互換っぽい雰囲気だし、何よりマジで強いし!」

「前の話になりますけど、二階堂の奴を半殺しにしてくれて、ありがとうございます。あいつ、女子の間でも最低の評判だったんですよ。弱い者いじめして、調子に乗ってましたから。『いつか痛い目に遭わないかな』って、みんな言ってたんです。そこへ、先生が制裁を加えてくれたのは、心底から痛快でした」


 と、その女の子が、少し照れながら続ける。


「東郷先生だけに言いますけど、じ、実は私、布引君のこと、いいなあって、前々から思ってたんです。二階堂の奴、その彼に横暴の極みでしたから、悲しいやら悔しいやらで……」


 ああ、と思った。布引君の、あの人当たりの良さと真面目さ、いや、何よりも魂の熱さを感じることができるなら、好きになる女の子がいても全然おかしくない。


 その子に、力強く言った。


「布引君は、ああ見えて、男気がある少年だ。他の奴に取られる前に、全力でアタックした方がいいぞ。えーっと、君は……」

松平深雪まつだいらみゆき、ですよ。二年A組の」


 親の教育の良さがにじみ出ているような、今どき珍しいんじゃないか? と思えるほど、「清楚」という言葉が似合う女の子だった。


 布引君と、いい恋人同士になれるという、確信めいたものがあった。


「すまん、松平さんか。布引君の人柄の良さは、俺が保証する。誇れる彼氏になるぞ、きっと」

「先生、布引君と、何かあったんですか?」


 松平さんが、不思議そうに小首をかしげた。


 だが、あまり詳しく答える必要はないだろう。


「ああ、ちょっとな。精神的に、かなり世話になったんだよ。俺も、まさか彼が、あんなに男前だとは思わなかったなあ」


 布引君の中に「おとこ」を見た時のことを思い出していると、松平さんも興奮気味になる。


「布引君の格好良さが分かるんですか! 嬉しいです! それに、彼の家庭って、すごいんですよ、先生! お父さんが画家で、お母さんが作家なんです!」

「へえ、そりゃ確かにすごいな!」


 と、驚いたところで、まさかの展開が待っていた。


「あ、あのう……ちょっといい? 僕の両親は、そんなにすごくないよ?」


 いかにも恐縮がちな声で、はにかみと共に話の輪に入ってきたのは、当の布引君だった。


 松平さんが、ポッと頬を染める。


「え、えっとさ? 確かに肩書きは、お父さんが画家で、お母さんは作家だよ? でも、全然売れてないよ。二人とも、昔に賞を一回獲ったっきりで、以後は鳴かず飛ばずで……」


 恥ずかしそうな布引君。だが、一度でも賞を獲ったなら、両親ともに標準以上の才能はあるということだ。それは十分立派なんじゃないか?


 彼の肩をポンと叩いて断言してやった。


「布引君。傲慢は罪だが、過ぎた謙遜も、同時に褒められたものじゃないぞ。君は今、両親のことが誇りに思えなかったり、嫌いだったりするか?」

「そ、そんなことは!」


 心外だ、と言いたげな布引君。


 その表情は豊かで、修羅にいじめられていた頃からは天地の差だ。


 俺は、うん、とうなずいてみせた。


「じゃあ、それでいい。ところで、布引君自身に、芸術関係の活動は?」


 あまり必要性のない、どちらかと言えば興味本位の問いに、布引君は、少し苦いことを思い出すような顔をした後、安堵の笑みを浮かべた。


「僕、お父さんの影響で、油絵を描くのが好きなんです。それで、美術部に入ってるんですよ。その、二階堂君のせいで、これまでは思うように活動できなかったんですけど、今は先生のおかげで、もう」


 本当に嬉しそうな、布引君の顔だった。


 あの中庭での時、スケッチブックを小脇に抱えてたのも、その趣味があるなら十分分かる。


 失った時間は、着実に取り戻せてるようだな。感慨深い。


「全部、東郷先生のおかげです。本当に……ありがとうございました!」

「なあに、いいってことさ」


 素直極まりなく、かつ、心から礼を言われて、嬉しくない奴はまずいないだろう。


 しかし、こうも絶賛の嵐だと、なんかくすぐったい。


 話は戻っておまけに細かいが、地味に引っかかるのが、俺の顔が「阿部寛の下位互換」って表現だ。


 互換であろうと何であろうと、俺、そんなに濃い顔してるのかな?


 自分じゃまず意識しないもんだが。微妙な気分の俺など知る由もなく、また別の女生徒が継ぐ。


「先生、滝さんと付き合ってるってホントですか?」

「ああ、本当だ。この上なく真剣に交際してるぞ」


 胸を張って答えると、さらに黄色い悲鳴が上がった。


「もしかして、逃した魚は大きかったのかも?」

「やっぱり、東郷先生と付き合い始めたからかな? 滝さん、最近は、目に見えて雰囲気が変わったんですよ。先生の話をネタに、彼女ともう少し話してみたい気分ですけど、ノロケ話は聞きたくないなあ、あははっ!」


 面白そうに笑う女の子達だった。話題のきっかけが何であれ、今後、忍の交友範囲も広がることを願う。


「ところで、東郷先生の授業って、独特ですけど楽しいですよね。私、先生の授業が面白かったので、古典文学に興味が湧いたんです。全部現代語訳版ですけど、いっぱい読むようになりました!」

「あたしも、考えることの重要性を改めて気付かされました! 先生の授業がなかったら、ただ暗記するだけのロボットみたいになってたと思います!」

「僕も、みんなと一緒です。先生の授業が、勉強とは思えないほど楽しいです」


 女の子たちに続けて、布引君も言う。


 やはり、掛け値なしでの絶賛の嵐だった。


 正直、感無量だ。笑顔で返す。


「俺が君たちに教えたかったのはな、切り口だけの問題さ。真っ正面から見ると手強そうでも、脇に回ってみりゃあ、意外と隙があるもんだよ。なんでもな」

「うわあ、マジ強い男が言う言葉って、わかりみすぎだよねー」

「あたしさ、一番初めの授業が忘れられないんだ。それまでのあたしも、どっちかって言うと学校が憂鬱だったんだけどさ? 先生にズバーッと『じゃあ退学しろ』って言われて、超気付いた。甘ったれだったって、わかりみが深すぎて、なんかもう」


 驚いたな。


 確かにそうは言ったが、正論であっても、ほぼ恫喝目的だったんだぞ?


 響いた子もいたのか。素直に嬉しい。


「ってゆうかさ、手塚治虫と東大生の話も面白かったよね! どんなにいい大学に行っても、そおんなバカにはなりたくないって、これもすごいわかりみ!」


「「「私達、東郷先生に出会えてよかったです! これからもよろしくお願いします!」」」


 異口同音に言われ、悪い気のしようはずもない。


「任せとけ。楽しく学んでいこうぜ?」


「「「はいっ!」」」


 気持ちのいい光景だった。


 おっと、今思い出したんだが、赴任初日に、ネットにアップした、教室の盗撮動画。


 アレは、生徒達がおとなしく言うことを聞くようになった頃を見計らって削除しておいたぞ。

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