第40話 最終奥義!

 気が付くと、一面のレンゲ畑に立っていた。


 どこだと思って、周囲を見渡すと、側に橋の架かった大きな川が流れていた。


 そうか、これが三途の川か。


 つまり、もう死んだって事だ。


 ふと、橋の向こうに人影を見た。女だった。


 いや、あれは……


「真虎?」


 間違いない。真虎だ。呼びかけた。


「今、そっちへ行くよ」


 ところが、川の向こうの真虎は、両腕で大きなバツ印を作った。


 頭の中に、直接声が聞こえる。


「ダメ。龍ちゃんは、まだこっちに来ちゃダメだよ」

「えっ? なぜだ? 俺はもう」


 死んだんだろ? と言おうとしたら、真虎が首を横に振った。優しい声。


「あの子、忍ちゃんを信じてあげて。あの子は強い子だよ。身体だけじゃなくて、心も。実は私、上からずっと見てたんだ。思ったよ。私なんか全然及ばない。舌を巻くってこういうことかなって」


 どこか、苦笑いのような響きがあるように思えた。


 しかし、じゃあどこへ行けばいいんだ? 天国でも地獄でもなく? どこへ?


 そんな戸惑いを知ってか、真虎が、懐かしむように言った。


「くすっ、私の知ってる龍ちゃんは、ものすごく往生際が悪かったよ? 昔、言ってなかったっけ? 『俺はたとえ地獄に堕ちても、閻魔大王をぶちのめして復活してやる!』って」

「い、いや、あれは若気の至りというか、その」


 確かに言った記憶はあるが、ちょっと調子こいてた頃の話だ。今はそこまで思っていない。


 真虎が続ける。


「とにかく、龍ちゃんはまだこっちに来るべきじゃないの。忍ちゃんが待ってるよ。龍ちゃんがいるべきは、彼女のそば。嫉妬を通り越すぐらいにいい子だから、大切にしてあげてね? 今はさよなら、龍ちゃん……」


 そして、花畑の風景が、猛スピードで遠ざかっていった。



「う、ん……?」


 目が開く。


 夕暮れの空が見える。


 もう、月が出ていた。


「あっ! センセ! 気ぃついたんや! もうちょいやさかい、おとなしゅうそのままでおって?」

「忍? あっ?」


 気付けば、あれだけ深く刺された傷の痛みが、ぱったり治まっている。


 出血もしていない。


 少し頭を起こして、傷口を見ると、そこにかざされた忍の手が、青白い光を放っていた。


「まさか、できたのか? 忍?」

「うん。土壇場のギリセーフや。これぞ、煌心流最終奥義月光掌!!」


 感動に打ち震えている、忍の声。


 あの時、こいつと三穂先生の勝負を止めた時のケガを、滝氏に治して貰ったのと、同じ感覚がした。


 いや、それ以上に温かな光。


 傷が癒えるどころか、普通なら出血多量で輸血は必須だろうに、身体の奥から活力が湧いてくる。いや、みなぎってくる。


「もうちょい、もう一押し……どないやあっ!」


 一際強く、忍の手が輝く。


 がらん、と、脇腹に刺さっていたナイフが、筋肉に押し出された。


 そして、傷口が完全に塞がった実感があった。


「忍……」


 身体を起こす。何らの苦痛も、一切ない。


 目眩すらなく、むしろ、熟睡した後のように元気だった。


「センセ……!」


 忍が、ぼろぼろと涙をこぼす。歓喜の涙だった。


「よかっ、た……! ほんまに、よかったぁっ……!」


 ひしっとすがりついてくる忍。顔中に、キスの雨あられが降ってくる。


 忍は俺の胸で泣いた。泣いて、泣いて、泣き疲れるまで泣いていた。


 その、健気で最高の恋人を抱きしめ、ただ、何も言わない。


 この感謝は、到底口じゃ言えない。


 彼女の涙を全部お返しのキスで拭ってやって、もう一度無言の抱擁でしばらく心を感じ、立ち上がった頃にはすっかり夜になっていた。


 天を仰ぐ。


 空には、優しげな月が輝いていた。


 文字通り、癒しの光だった。


 これからも、月を見るたびに思い出すだろう。


 忍の愛の深さを。


 彼女の献身ぶりを。


 慈しみの暖かさを。


 生涯かけても返しきれない恩だ。


 だが、損得勘定は彼女が嫌うはず。


 ならば、俺の答えは、やはり決まっている。


 忍を終生愛し抜くこと。


 愛には愛で応えること。


 そして、守り抜く事だ。


 なあに、一度死んだに等しいんだ。今さら何を恐れるものか。


 その決意を新たにしたのはいいとして、困った。


 彼女の家に行きそびれた上に、もう送れない時間だ。夜の山道ほど恐ろしいものはないし。


「忍、今晩は、仮住まいの家の方に帰るか?」

「んー、難儀やなあ。ウチ、そっちの鍵、今日は持ってへんねん」


 さらに困ってしまった。


 俺の家に泊まらせることも考えたんだが、散らかってるわ狭苦しいわ、その上シングルベッドしかないから、一緒に寝るには窮屈すぎる。


 どうしよう、選択肢がない。いや、あるにはあるんだが、どうなんだろう?


 結局その夜は、それ以上考えても無駄だったので、もちろん忍の了承を得た上で、ラブホテルに一泊した。


 ホテルで燃えに燃えたのは、まあ余談だな。


 翌日は土曜日だったんだが、前夜にちょっと張り切りすぎたせいもあり、ホテルを出た後は、そのまま忍と別れ、帰宅した。


 さすがに一日寝込む程じゃなかったが、仕事用のスーツを新調したかったことを思い出し、紳士服屋に行ったり、その他の買い物を済ませているうちに、一日が終わった。


 そして、日曜日。忍に会いたかったんだが、電話すると、珍しく元気のない声で言われた。


『ごめん、センセ……。ちと、アレの日やねんよ……』

「アレって言うと、女の子の日、か?」

『うん……』


 要するに、生理の日って事だ。


 いくらなんでも、調子が悪いところを連れ回したりするなんてできない。


 一人で適当に時間を潰すことにした。


 ところで、その日曜日に、軽く商店街へ出向いたら、三穂先生に遭遇した。


「どうしたんですか? 顔つきが、以前にも増してハンサムですけど?」

「ええ、実は……」


 不思議そうな彼女に、説明した。


 予想外なところで刺客に襲われたこと、そして、忍の《月光掌》で、命が助かったこと。


 それを聞いて、三穂先生も、その丸い目を、さらに丸くした。


「す、すごい……。忍ちゃん、そこまで行ったんですか。もう、無敵ですね」


 無敵じゃないかも知れないが、忍が、ますます強くなったことには変わりない。


「頼りっぱなしってわけにもいきません。俺が、全力であいつを守りますよ」

「ふふっ、返す返すいい顔ですね、東郷先生。応援してますよ?」


 三穂先生が、ぐっと、サムズアップをした。


 その気持ちが、素直に嬉しかった。


「ところで、その忍ちゃんは?」

「ああ、女の子の日らしいです」

「なるほど。じゃあ、今お一人ですか?」

「ええ。実は、暇を潰すのにどうしたものかと、少し」

「なら、軽くお茶でもどうです?」


 そんなわけで、普通に三穂先生とお茶をすることになった。


 忍と結ばれたからと言って、他の女性と一切接触してはならない、なんて決まりもないし、あいつも、こんなことで逐一妬かないだろう。


 三穂先生がお気に入りだという、ちょっとお高めのカフェに入った。


 ホットコーヒーを揃って飲む。


 値段は嘘を吐かないのか、忍と入る安いチェーン店よりも、かなり味がよかった。


 今度、あいつを連れてきてもいいかもな。


 たわいもない話をしている中、前々から気になっていることを、三穂先生に聞いてみた。


「ところで、組織の話なんですけど、三穂先生。あなたは、裏切りの件で、襲われたりしてないんですか?」

「されてますよ? 割としょっちゅう」


 さらっと言われた。


 どうやら、見えないところでのことらしい。


 だが、困っている様子はまるでない。


「その都度、撃退してるだけです。どうってことはないですよ」


 事も無げな口ぶりからして、ピンチだったことはないようだ。


 やはりというべきか、彼女も相当な武道の心得がある分、多少襲われたところで、軽くあしらえるんだろう。


 特に、心配する事はなさそうだ。


 この話題は、あまり引っ張るものでもないな。


 三穂先生も、同じ事を考えているらしかった。


「ここのカフェ、ドリンクは二杯目が半額なんですよ。もう少し、どうです?」

「あ、いいですね。じゃあ、もうちょっと」


 こんな感じで、さらにどうでもいい話をしながら、時間を過ごした。


「それじゃ、ありがとうございました」

「いえいえー。また機会があればー」


 笑顔の三穂先生と別れ、帰宅した。


 そしてその後は、翌日の授業の仕込みをして、終わった。

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