第37話 アイ・ラブ・ユー!

「ちょいビビったけど、センセが無事で何よりやったわ」

「ああ。助かったよ、ありがとな」


 そんな、刺客の件はどうでもよかった。


 雲間からの月明かりが差し込み、忍を照らしていた。


 ――彼女に、じっと、見つめられていた。


 何かを、訴えかけるように。


 悟った。


 今が、「そう」だと。


 決意の時がいざ来ると、胸が高鳴った。


 目眩にも似た感覚。


 窓の外。


 雲の切れ間。


 月光。


 壁に伸びる彼女の影。


 その背中。


 羽の幻を見た。


 戦乙女のようで。


 だが、何よりも可憐で。


 圧倒的。


 ただ圧倒的な衝動。


 叫びたいほどの。


 かろうじて堪え。


 できるだけ短く言う。


「ちょっと、外へ出ないか?」

「ん? ええよ」


 ギクシャクしていた。


 自分でも分かる。


 彼女は今、どう?


 もはや気にしない。


 校庭。


 その縁の土手。


 並んで腰を下ろす。


 雲の切れた夜空。


 揃って、見上げる。


 煌々とした月。


 優しい微笑みの顔。


 無言。


 数瞬の永劫。


 言った。


「月が綺麗だな、忍」


 息を呑む音。


 聞いた。


「……それ、漱石的意味で言うてくれてるん?」

「ああ」


 それは恐らく幻聴。


 しかし、ばくん、と彼女の心臓が跳ねた音がした。


「……やっと……言うてもろた……」

「悪い。待たせたな」


 煌めいた言葉。


 受容の沈黙。


 どっ、どっ、どっ、どっ。


 心臓の早鐘。


 どちらがどちらか。


 もはや分からない。


 声。


「……なあ、センセ?」

「うん?」

「その月……手ぇ届くところに、あるで?」


 静かに。


 しなだれかかってくる。


 腕を伸ばす。


 肩をかき抱く。


 細かった。


 あの勇ましさ。


 今は嘘みたいだ。


「つかまえた」

「……うん」


 もうたまらない。


 抱きしめた。


 柔らかく。


 強く。


 腕の中。


 顔を見つめる。


 潤んだ瞳。


 可憐な唇。


「んぅっ……」


 キスをした。


 自然に。


 ごく当たり前のように。


「ふむ、ん、ちゅう、んく……」


 途方もなく甘かった。


 少し貪った。


 彼女は受け入れた。


 長く、長く、長く、長く。


 どっ、どっ、どっ、どっ。


 互いで互いの心臓を乱打する音。


 きつく、きつく。


 すがるように抱きしめ合った。


「ふはあっ……」


 つう、と銀色の糸を渡し、唇が離れる。


 くたり、と身体を預けられる。


 愛おしかった。


 泣けるほど。


 抱擁。


 長い間。


 また静寂。


 暖かで。


 柔らかで。


 まさしくこわれもので。


 ただ、ただ、純粋に。


 言葉なく。


 むしろ不要で。


 万の言葉を並べるよりも。


 饒舌なる無言で語り合った。


 沈黙は金、雄弁は銀。


 ならば。


 今この静寂しじまはダイヤモンドだ。


 愛を。想いを。切に。切に。


 心の喉笛が枯れ果てるまで。


 声なき声で、叫び合った。


 どれぐらいそうしていただろう?


 もっと、もっと、もっと。


 彼女を知りたくなった。


 あるいは、直に包み込みたくなった。


 静かに、立ち上がる。


 彼女の手を取る。


「よっ」

「ひゃっ?」


 おもむろに抱き上げる。お姫様のように。


 やはり軽かった。拳はあんなに重いのに、羽か真綿を思わせた。


 そのまま彼女と、宿直室まで戻る。


 そして、俺達は、深い契りを交わした。


 窓からは、優しい月光が差し込んでいた。


 翌朝。この上なく満ち足りた気分で、忍と共に目を覚ました。


「ほんまは、おとんが作ってくれたんやけどね?」


 と、照れくさそうに言いつつ、彼女が持ってきてくれた弁当を朝飯に食って、お互い着替える。


 準備が整ったところで、揃って宿直室を出ようとした。


 そこで、落とし物に気付いた。忍のお守りだった。


 中から、黒い鍵が顔を出していた。


 頭の部分の刻印が、朝日に照らされて見えた。「D.S.T.」と読めた。


 ハッとした。


 そうだ! あの、図書館の隠し金庫! 同じ刻印があった!


 なぜ忍が持っているかは、今はどうでもいい! もしかして!?


「し、忍? そこにお前のお守りが落ちてるが……あれ、少しの間、貸してくれないか?」

「へ? ちゃんと返してくれるんやったら、別にかまへんけど?」

「すまん、ありがとう!」

「う、うん?」


 打算的な意味では断じてないが、忍の深い信頼を得られたことが、今は助かる。


 彼女のお守りを、自分のポケットに入れた。はやる気持ちを抑えて、あえて明るく言う。


「さあ、今日も一日、頑張るぞ!」

「うん!」


 その日の職員会議の後、三穂先生に呼び止められた。


「おはようございます、東郷先生。どうやら、叶ったようですね?」

「えっ? 何も言ってないですけど……」

「うふふっ、言わせるような野暮はしませんよ。って言うか、顔を見れば分かりますって♪」

「そんなに浮かれてます? それはそれで、少しどうかと思うんですけど」

「あーもう、そういうことは言わないでくださいよー? せっかくお祝いしてるのに?」

「す、すみません。ありがとうございます」

「あーあ、早いところ、私もいい人見つけないとなあ」


 ひょい、と、肩をすくめる三穂先生だった。


 おっと、そうだ。隠し金庫の件、三穂先生に助力を願おう。


 図書館の司書も、組織の構成員である可能性を考えると、前回、金庫の存在を見られたのは、単なるラッキーだったと考えるべきだろう。


 手で、彼女を呼んだ。周囲に聞こえないように、こっそり言う。


「ところで、例の隠し金庫の鍵らしきものを、手に入れました」

「えっ!? ほ、ホントですか!? ど、どうやって!?」

「詳しい話は省かせてもらいます。早速、今日の昼休みに図書館へ行きたいので、人払いだけお願いできますか?」

「分かりました!」


 よし、これでいい!

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