第34話 俺の気持ち!

「センセ」


 通用門から出ると、忍が待っていた。理由の推測はつくが、わざわざ言うことでもない。


「帰るぞ」

「うん」


 自然に、並んで歩き出す。


 ややあって、彼女が口を開いた。


「……ごめんなさい」


 ほんとうに申し訳なさそうな、ぽつりとした言葉だった。


 それ以上はなかった。こっちも、必要としない。


「親父さんに、よろしく言っといてくれ」

「うん」


 やはり、短く交わすのみ。


 忍は、神妙な面持ちだった。くっ、と息をのみ、言った。


「まだ、一方通行なんは、分かっとる。しゃあけど、その、ええっと……」


 続きを言わせるには、さすがに酷だと思った。


 それ以上に、女の子から聞くような言葉じゃない。


 遮って、あえてがらりと話題を変えた。


「それにしても、煌心流ってのは奥が深いな。《氣》で、あんなことができるとはな」

「あ、うん。極めつけの最終奥義なんよ。おとんが言うには、『深い愛と慈しみの心』を持てば、会得できるんやて。ウチには、まだまだ遠いわ」


 そこで、忍が俺の顔をじっと見つめた。少しくすぐったい。


「……なあ、それはおくとして……もう一押し、て、考えても、ええ?」


 それは、質問と言うより、確認だった。実際、その通りだと思う。


「ああ、そうだな。ハードルは、あと一つだ」

「それって?」

「ナイショ、だ」


 まるっきり様にはならないが、唇に指を立ててみる。


 それを見て、忍が吹き出した。


「ぷっ……! 悪いけど、全然似合わへんわ!」


 空気が和んだ。これでいい。


 それからは、特に何も話さず、分かれ道まで来た。


「ほな、また明日な、センセ」

「おう、気を付けてな」


 忍が走り出す。その背中を見送る。


 と、彼女が止まって振り向き、ぶんぶんと手を振った。同じ仕草で返す。


 再度走り出す背中。見えなくなるまで、送った。


 帰宅後。特濃の一日だったように思う。


 身体は疲れていないものの、精神的にはかなり参っていた。


 少なくとも、忍と三穂先生の間では、ケリが付いた。


 後は、俺自身の気持ちを、ハッキリさせるだけだ。


 ……考えた。最大の問題。


 それは、忍が教え子であるという点だ。


 繰り返すように、教師と教え子が恋愛してはならない、などという、法も決まりも慣習もない。


 男の教師が女生徒と、というパターンもあるし、その逆だってある。


 それでも、いいんだろうか? と悩んで……やがて、そのあまりの馬鹿らしさに、自分で呆れた。


 何を気にしているんだ? 世間体か? おいおい、そんなもん、一番嫌いじゃないか? 座右の銘は何だ? 「我道直進」だろう?


 それに、だ。あの娘はなびかないとは思うが、例えば、同じ学校の男子が、彼女へ告白したとする。


 その方が「普通」かも知れないが、絶対に嫌だ。


 なんだよ、今までウジウジしてたのは、何だったんだ?


 俺は、自分に嘘がつけるほど器用か? そんなこと、あるわけがない。


 いつだって、己に素直だった。それは、まったく変わっていない。


 忍が好きだ。


 教え子としてだけじゃなく、一人の女の子として、好きだ。


 口の中で呟くと、晴れやかな気分だった。


 ただ、明日いきなり想いを告げるのは、さすがに唐突な気がする。


 何か、しかるべきタイミングがあればいいんだが。


 どうしてもなければ、放課後に時間を作って、だな。よし!


 翌朝が来た。ランニング中、三穂先生に会った。いい笑顔だった。


「昨日の夜、忍ちゃんには、私から話を通しておきましたから」

「ど、どうも?」

「遠慮なく、ガンガン行っちゃってください!」

「は、はあ」


 決意は固まったものの、けしかけられると、なんか変な気分だった。


 とにかく、出勤して、朝の職員会議の後、自分の席に行くと、座るところがなかった。


 いや、急にクビになったとかじゃなくて、椅子には稲垣の奴がふんぞり返って座っていた。足を組み、文字通り傲岸不遜に。


 じろり、と、睨んでくる目に問う。


「何のつもりですか、稲垣先生」

「決まってるよ。再戦の申し込みだ」


 またしてもキザったらしく髪をかき上げ、余裕たっぷりで言い放つ稲垣。奴が続ける。


「放課後、体育館裏まで来てもらおう。くすっ、予言するよ。今度こそ君は、僕の靴を舐めてでも命乞いすることになるだろう」


 ムカつく。場所が場所じゃなかったら、今この瞬間、そのツラに全力の右ストレートを叩き込みたい。


「分かりました。ですがそのお言葉、そっくりそのままノシ付けてお返ししますよ」

「ふっ、口だけは達者だね。いいだろう、楽しみにしているよ」


 稲垣が俺の席を立ち、背を向けて去って行く。


 手が滑ったことにして、奴の後頭部をぶん殴りたいのを、ぐっと堪えた。


 はやる気持ちを抑えつつ、一日を過ごした。


 実は、忍から意味ありげな視線を何度かもらっていたんだが、それどころじゃなかった。


 彼女には悪いかな、とは思ったが、やはりそれどころじゃない。


 稲垣のヤロウ、今度こそぶちのめす!


 そして、真虎を殺害した奴のことを、是が非でも聞き出してやる!

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