第33話 三穂の涙!

「う……ん……?」


 次に気がついた時、そこは保健室だった。


 不思議なことに、あれだけの攻撃を受けたにも関わらず、まったく痛みがない。


 とっさには理解ができなかった。


 もしかしたら、もう死んだのか? と思ったんだが、そうじゃなかった。


「センセ……!」

「よかったです、ほっ……」

「気が付かれましたか? ですが、もう少し、おとなしゅうしといて下さい」


 安堵に満ちた忍と三穂先生の声は分かるんだが、この太い声は?


 視線を巡らせると、はたして、滝氏だった。


 俺の傷にかざされた手が、青白い光を放っている。


 不思議だった。まるで魔法のように、みるみる傷の癒えて行く実感がある。


「もう、大丈夫なはずですが、どないですか?」


 再度の太い声。何かに化かされたんじゃないかというレベルで、傷が完治していた。


「お、俺……今際の際の夢でも見てるんですか? 何をどうすれば……」


 まったくもって理解ができなかったんだが、少し腫れた目をした忍が、静かに言った。


「煌心流最終奥義、《月光掌げっこうしょう》。究極の、癒しの力やねん」


 そう言われても、まだ分からない。滝氏が続けた。


「まあ、すぐに理解しろ、というのも、難しい話やとは思います。ざっくり申し上げれば、《氣》は、応用次第でこういうこともできるんですわ」


 身体を起こしてみた。ダメージが残っている様子は、皆無だった。


 実のところ、まだ信じられなかったんだが、まさか、ここに居る全員含めてあの世にいるとは、さすがに考えられない。


「ありがとう、ございました」


 とにかく、滝氏に助けられたことは事実だ。


 礼を言ったんだが、滝氏は、その狛犬のような顔を、複雑に歪めた、


「二人から事情は聞きました。弟子が揃ってご迷惑をおかけしまして、誠に申し訳ございません」


 座ってはいるものの、深々と頭を下げられた。


 しかし、そもそもの原因は、俺にある。


 救ってもらった人に頭を下げさせるのは、何かが違うと思った。


「お顔を上げて下さい、滝さん。俺も悪かったんです。もっとしっかりしていれば」


 すると、全てを悟ったように、滝氏は微笑んだ。太く言う。


「人の気持ちは、よそからどうこうできるもんやありません。確かに、先生ご自身が責任を感じているかも知れませんが、あまりに重く考えすぎると、まさしくの毒です。お気を付け下さい。ところで、忍? そろそろ戻った方がええんやないか?」

「そ、それもそうやね。おおきに、おとん」


 泣きはらした目をこすり、忍が、親父さんと共に立ち上がる。


「ほな、失礼しますわ」

「ほんまにごめんな、センセ」


 揃って深々と頭を下げ、二人は出ていった。


 三穂先生と、残る。


 少し、静寂があった。静かに、彼女が口を開いた。


「私の滅心流には、《月光掌》に相当する技は、ないんですよね。どこまで行っても、他者を攻撃するのみの、闇の武術です……」


 ひどく、自虐的に聞こえた。


 らしくない言動だった。


 本意を聞きたかったんだが、その前に言われた。過ぎるほどに優しい笑みだった。


「東郷先生。私は……もう、いいです。身を引きます」

「えっ……」


 それは、まったく意外な降参宣言だった。


 あれほど対抗意識を燃やしていたのに、なぜ?


 また、聞くより先に、強い調子で彼女が言った。


「忍ちゃんは、『光』なのよ。あなたはもう、復讐の炎という闇に囚われている。それを照らすのは、光が必要なの。そう。ゾンビを倒すためには、太陽の波紋、山吹色の波紋疾走サンライトイエローオーバードライブじゃなきゃいけないように。あなたは! 忍ちゃんと一緒に、さらに向こうへ! プルスウルトラ!」

「『JOJO』の第一部と、『僕のヒーローアカデミア』ですか……」

「クスッ、通じた。そういうこと、よ」


 そして彼女は、どこか遠い目をして、どうしようもないようなため息を吐き、続けた。


「それに、私は……泣けなかったの。あなたが重症を負って、忍ちゃんが大泣きしているのに、一粒の涙も出なかった。好きなはずの相手が危機にあって、心配と罪悪感はあっても、泣けなかった。負けたな、と思ったわ……」


 彼女は、また微笑みを向けた。


「どうやら私、人として何かが決定的に欠落してるみたい。出直しね。忍ちゃんを、幸せにしてあげて?」


 その時、彼女の頬を、一筋伝う物があった。


「三穂先生……あなた、今、泣いてますよ?」

「……えっ?」


 眼鏡の奥の丸い目が、さらに丸くなる。三穂先生が、顔を覆った。


「や、やだ……なんで、今なの……? ちょっと、待ってよ……なにも、人が白旗を揚げたときに……なんで……ぐずっ……ひっく……うえ、うええ……止まって……止まら、ない、よぉ……」


 ぼろぼろと泣き続ける、彼女。


 はっきりした理由までは、俺に分かろうはずもない。


 ただ、しゃくり上げる声だけがあった。


「ぐすん、ひっ、うええええ……ごめ、ごめ、ごめんなさい……東郷先生……忍ちゃんには……ナイショに、して、おいて、くだ、さい……!」


 そして三穂先生は、我慢の限界といった様子で、ひし、と、俺にすがりついてきた。


 胸に、顔を埋めてくる。そっと、手を回す。


「う、うう、うあ、うああ、うわああああーーーーーーーーッ!!」


 咆哮のような、泣き声だった。


 万感が、籠もっていた。


 全て。文字通りの全てで、彼女は泣いた。


 長い間、泣いた。泣いて、泣いて、もっと泣いた。


 何も出来なかった。いや、仮に何らかができたにしても、やるべき時ではなかった。


 もう大概、涙が枯れたんじゃ? という頃になって、三穂先生が、雲の上にいるような声で言いながら、離れた。


「はあ、はあ、はへ……ほへぇ……ちょっと、我ながら……あー……」


 目こそ腫れていたものの、もう、いつも通りの彼女だった。


 何らの裏表もない笑みが向けられる。


「ふうっ。男女間に成立するのかは、諸説ありますけど……今後とも、いい同僚である以上に、いい友だちでいましょうね? 東郷先生?」

「ええ、分かりました」


 お互い、大人だ。それ以上は、必要なかった。


 外はもう、夕方になっていた。


 職員室を空けっぱなしだったどころか、まったく授業ができなかったのは、さすがに気まずかったが、幸いにもごまかせた。


 スーツがズダボロなんだし、ツッコミどころは多々あったはずなんだが、華麗なまでにスルーされたんだよな。


 ふん、やはり、場所が場所だ。敵のことなんざ、知ったこっちゃないようだ。


 もっとも、何かを聞かれたらそれで、説明が面倒くさいんだが。


 とにかく、帰ることにした。

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