第四章 月光の契り 第31話 親以上の……!

 ――夢を見た。


 五年前の、桜の季節。


 あの、大学キャンパスの風景だった。


 傍らには、真虎がいた。


「龍ちゃん、×××××××××ね?」

「お前が言うなら、分かった」


 おかしい。真虎が言った言葉が思い出せないのに、何を俺は「分かった」と言ったんだ?


 あの時の真虎の顔は、やけに優しかった。


 そこで、目が覚めた。夜中だった。


 気になっていた。真虎の言葉が。聞こえなかった箇所が。


 いったん気になると、なんだか、もう眠れそうになかった。


 結局、いやにモヤモヤしたまま、日曜日の朝を迎えた。


 月曜日の仕込みをする以外、特に予定はない。


 ふと、真虎に会いたくなった。


 よし、と思い、彼女の墓参りに行くことにした。


 駅までバスで十五分、電車に乗って、小一時間。


 そこからさらに、山を登るバスに乗り継いで、十分ほど。


 石材店の前で降りて、無料の送迎マイクロバスに乗る。


 その先、見晴らしのいい山の上の霊園に、乃木坂家の墓はある。


 霊園内は、お盆の時期でもないので、人影は全くない。


 途中の商店街にある花屋で買った花を手向け、線香も供え。


 静かに手を合わせながら、口の中で「南無阿弥陀仏」を唱えた。


 軽く息を吐き、彼女と「対面」する。


 この区画にも、桜が植えられている。葉桜が、美しかった。


「……真虎。あの時、お前はなんて言ったんだ? 思い出せないんだよ。俺が同意したことだけは覚えてるんだが……」


 当然、物言わぬ墓碑が、答えを返してくれるはずもない。


 だが、その時、一陣の突風が吹いた。


 ごう、と、葉桜がうねる。


 そのざわめきが収まったとき、肩に、一枚の桜の葉が乗っていた。


 意味があるように思われた。


 手で摘まむ。不思議な気分だった。


 その葉を見つめていると、真虎の笑顔が浮かんだ。


 だが、困ったようなそれに変わった。


 さらに、叱るような顔が見えた。


 天国から、彼女に叱咤激励されているような気がした。


「お前は……許してくれるのか?」


 聞いても、葉桜が、あるいは墓碑が答えてはくれない。


 黙って、墓地を後にした。


 そして、帰宅後。


 まだ、気分がスッキリしなかった。


 身体を動かした方がいいな、と感じた。


 なら、行くべき場所は一つだ。


 ジャージに着替え、蛇野道ジムへ走ることにした。


「ちわっす」


 ドアをくぐると、ジム内は活気に満ちていた。


 他の門下生が、めいめいトレーニングやスパーリングをやっている。


「あれ? 東郷さんだ。チース!」

「チワッス!」


 門下生連中とは、馴染みの仲だ。軽く挨拶を交わす。


 おやっさんが気づいた。


「よう、ボウズ。どうした? らしくねえほど、しけたツラしやがって?」


 さすが、長い付き合いの人だった。一発で、悩んでいることを見抜かれた。


「ちょっと、スパーでもしようかと思うんですけど……」

「あー、モヤモヤしてんのは分かるが、やめとけよ、今日は。サンドバッグになるオメエを見るのは、おいらも嫌だからなあ?」


 身体のキレは出ないだろうことは、何となく実感としてはあった。


 無理矢理にでもと思っていたが、どうやら、自覚している以上に、ぼんやりしているようだった。


「話せるもんなら、聞いてやるぜ? もっともおいらにゃ、それ以上のこたぁできねえかも知れねえが」


 まさしくの親身になった、優しい声。


 俺の事ならほぼ全て知っている第三者がいるのは、真剣に助かる。


 応接室へ案内された。


「酒を飲ませるにゃあ、早えな。シラフで話せる事か?」


 湯呑みに入った冷たい煎茶を勧められ、とりあえず一口含む。


 美味かった。実はこの人、お茶にはうるさかったりする。


 もう一口飲んでから、切り出した。


「つまらない話です。自分の意気地のなさが、ほとほと嫌になりまして……」

「ボウズ、世の中に『つまんねえ事』なんてのは、ねえぞ? 昔っから言ってるだろ?」

「そ、そうでしたね」


 軽く叱るように言われて、自分の言動を恥じた。


 そうだ。つまらないなんてことはない。


「顔に書いてある事を読む限り、女の問題か?」


 鋭かった。


 まったくこの人には、どこをどう取ってもかなわない。


 静かに、うなずいた。


「真虎ちゃんへの義理、だろ?」


 おやっさんが超能力者だったとしても、驚かない。


 いや、そんな比喩を持ち出すよりも、単にこの人は、俺の全てを知っているんだ。


 ある意味じゃ、実の父親よりも深く。


 もう一度、うなずいた。長めの息を吐かれた。


「ふー、オメエが義理堅いのは分かってるが、死んだ女に、永遠に義理立てしねえとならねえなら、おいらはどうなるんだよ。大罪人か?」

「そ、そういうわけでは!」


 滅相もない事を言われ、慌てた。


 このおやっさん、バツイチから再婚してるんだよな。


 最初の奥さんは、病気で亡くしてるんだ。


 確かに、散った恋を忘れてはならないという、明示的であれ暗示的であれ、法や慣習があるなら、再婚という行為自体が罪になる。


 そんなことが、あるはずもない。


「まあ、オメエのことだ。おいらは何も言えねえ。だが、おいらが考えるに、だ。真虎ちゃんだって、いつまでもウジウジしてるオメエなんざ、見たかねえと思うぞ? 少なくとも、おいらの知ってる彼女は、そうだったがなあ」

「ですよ、ね……」


 紹介したことがあるから、この人も真虎のことをよく知っている。


 やはり、俺の気持ちの問題だ。


 たった今、背中を押してくれた。


 だが、もう一押しが欲しかった。


 まったく、意気地無しだった。


 と、なぜか、にこやかに言われた。


「そのチキンぶり、まだまだ伸びしろはあるようだな? これからもしごいてやっから、覚悟しとけよ? うわはははっ!」


 あえて、だろう。豪快に笑う、おやっさんだった。


 少し、ホッとした。


 と、「ところで、もういっちょ、いいか?」と、続いた。


「幽霊の類はあんまり信じてねえんだが、おいらも経験があるんだよ。昔の女がどうしても忘れられなきゃ、相手の方から『なんか』の形で、こっちに知らせてくれるぜ、きっと。おいらは、前の嫁が、夢枕に立ったんだ。マジでだぜ?」


 冗談めかしての口調だったが、目が真剣だった。


 さすがにオカルトに頼ろうとは思わないが、参考として聞いてはおこう。


「茶のお代わり、いるか?」

「いえ、ごちそうさまでした。ありがとうございます、本当に」

「今さら水くせえこと言うなよ、ボウズ。めんどくせえ奴ほど、可愛いもんだ」


 父親より優しい微笑みを浮かべる、おやっさん。


 感激で、可能なら泣きそうだった。


「じゃ、今日のところはこれで」

「おう、またな」


 深く一礼してから、応接室を出て、そのまま帰宅した。


 その日の残りは、明日の仕込みに充てて、夜になったので、ベッドに潜り込んだ。

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