第30話 女のさや当て!

 稲垣のヤロウのことなんざ、どうでもいい。重要なのは、これからだ。


 まずは、忍の意向を聞いてみよう。


「忍、どこか行きたいところはあるか?」


 すると、もはや恒例だが、忍は指を一本あごに当てて、上を向いた。


 ただ、その時間が長い。


「んんんー、そう言われると、困るなあ?」

「普段のお前、休みは何してるんだ?」

「もっぱら、他の門下生の人らと、道場で修行しとるよ」

「んなっ」


 さすがにどうなんだ? と、一瞬思った。


 恐らくだが、忍にとっては、勉強が仕事で、修行が息抜きなんだろう。


 らしいと言えば、この上なくだが。


 しかし、普通の遊びに興味がないのも、何か問題のような気がする。


 こう言うと、まるでこの子を堕落させようって感じにも聞こえるが、そんなつもりはない。


「どないしよ? ほんまに思いつかへん。そりゃまあ、外食ぐらいはええかな? とは思うけど、さっきお茶したやろ? 買いもん、映画、遊園地、水族館、動物園、プラネタリウム……あかんなあ、全然ピンとこえへん。ごめんな、センセ?」

「いや、謝ってもらう必要はないぞ?」


 どうするべきか考えつつ話していると、不意に後ろから声をかけられた。


「こんにちは、東郷先生、忍ちゃん」

「ああ、三穂先生?」


 振り向くと、やはり、彼女だった。好きな色なのか、ブルー系で統一した、清楚さと可愛らしさが、いい感じにバランスの取れている服装だった。


 それはいいんだが、急にジト目で、襲いかかるようなポースをされた。


「こ・の・う・ら・み・は・ら・さ・で・お・く・べ・き・か!」

「なんでいきなり、『魔太郎がくる!』なんですか!?」

「通じたー!! は、いいとして、嘘ですよ? まさか私も、忍ちゃんが羨ましいなんて、毛先ほども思ってないですよ?」


 ニコニコ笑顔の、三穂先生。ただ、目が笑っていなかった。


「むっ……!」


 それを、忍も察知する。大胆にも、腕を組んできた。


「あー! いいなー! いいいーーーなああああーーーー!!」


 わにわにと、謎のダンスを始める三穂先生だった。


 ……いい大人のすることじゃないと思う。


「駄々っ子ですか!」

「みほたんみっちゅ!!」


 思わずつっこんだら、このリアクション。


 なんだこのシチュエーション!? ダメだ。三穂先生、プチ錯乱してる。


「忍ちゃ~ん? いい子だから、東郷先生を、お姉さんに譲ってくれなぁ~い? ねぇ~? いちごポッキーあげるからさぁ~?」


 明らかにうさんくさいまでの猫なで声で、どこに持っていたのか、本物のいちごポッキーを、忍に差し出す手。


 差し出された方は、大変分かりやすく、口を「へ」の字に曲げた。


 ぐいっと腕が引っ張られる。


「センセ、これから映画観に行こ、て言うてたやん?」

「えっ? そんなこと……」

「言うたの!!」


 噛み付くような声。どうやら、問答無用らしかった。ぐいぐいと腕を引っ張られる。


「そ、そういうわけですから、失礼します……」

「いぃいぃーー……なぁあぁあぁーーー……」


 大変妬みがましい声が、フェードアウトしていった。


 強制連行さながらに、ずんずんと引っ張られ続ける。


 いかにも面白くなさげに、ブツブツ聞こえた。


「まさか、三穂ねえセンセが、東郷センセに色目を向けるとは……ううう……」


 難しい顔の忍だった。


 いや、これは、いまだにどっちかを決めていない俺が一番悪いんだが、姉だと思っていた相手が、ライバルだと分かれば、そりゃあ複雑だろうな……


 ……と思っているうちに、映画館の前まで引っ張られて来た。


「入ってええやんな!?」

「い、いや、そんなケンカ腰で言わなくても、どうぞ?」

「一緒に入るの!!」

「分かりました!」


 あまりの迫力に気圧されて、ビシッと直立不動になってしまったりする。


 怖かった。ああ、大人の威厳はどこへ。


 そして、単純なタイミングだけの問題で、たまたま二人で、恋愛映画を観ることになってしまった。


 話としては、二時間こってり超王道。最後は、口から砂を吐くかと思った。


「あ、あかん……。話は理解出来たけど、ちーとも共感の余地があらへん……」


 映画館を出て、げっそりした顔の忍だった。


 俺も、似たようなもんだ。


 美しい話ではあったし、普遍性もあるとは思ったが、あまりにコテコテすぎて、やっぱり砂を吐く気分だ。


「けどまあ、センセを独り占めできたんは、よしとしとこうかな?」


 疲れながらも、にこっと微笑む顔。かなり可愛い。


「ああいうことができるのは、オトナだけですよねー?」


 ……待て。なぜこの声がする?


 恐る恐る振り向くと、果たして、別れたはずの三穂先生がいた。


 その眼鏡が光る。くいっと縁を上げた。


「ふふり、なぜ私がここにいるのか? が不思議ですか? 簡単です。近隣の映画館と言えば、ここだけ。目的地が分かっているのなら、後をつけるのみ! なんなら、私も映画を楽しみましたさ!」


 三穂先生、満面のドヤ顔だった。「ストーカー」という単語が、頭をよぎった。


「東郷先生? 今からご飯でも行きませんか? ちょっと早いかも知れませんけど」


 三穂先生が、腕を引っ張ってくる。


 すると、負けじと忍も、もう片方の腕を引きながら言った。


「ほなら、ウチも行く!」

「むむむっ」


 見た。二人の間に、視線の火花が散るのを。


「ま、まあまあ、仲良くしましょうよ?」


 思いっきり上滑りした声で、そう言うのがやっとだった。


 三穂先生が、軽いため息をついた。


「しょうがないなあ、のび太君は。じゃあ、三人で行きますか」


 ドラえもんネタにつっこむ余裕はなかった。


 そしてすまん、布引君。白黒つけるより先に、とんださや当てに巻き込まれたよ。


 ……その後の事は、あえて短く語るのみにさせてくれ。


 三穂先生のチョイスで、カジュアルなイタリアンレストランに行ったんだが。


 隙あらば対抗心を露わにし、火花を散らす二人に挟まれて。


 はっきり言って、まるっきり飯の味が分からなかった。


 落ち着けという方が無理だった。店を出るその時まで、二人は張り合っていた。


 こうなってくると、さっさと結論を出さない俺が、一番の罪人のような気がしてならなかった。と言うか、実際そうだろう。


 次に気が付いた時には、一人で、自分の家に戻る道を歩いていた。


 ものすごく疲れていた。今晩はゆっくり休みたい。ひたすらに、そう思った。


 やがて、自宅。思いっきり盛大なため息が、まずは出た。


 それから、部屋着に着替えた。時間的には夜だった。具体的には、午後七時頃。


 いくらなんでも寝るには早いと思うんだが、その日はもう、何もする気になれなかった。


 考えた。


 イエスか、ノーか。


 忍と、三穂先生。


 二人から、好意を向けられていることは、嫌って程分かる。


 俺の気持ちはどうなんだ?


 どっちのことも、嫌いじゃない。そんな要素はない。


 しかし、「好意に答えるだけ」は、愛とは呼べないだろう。


 「俺の気持ち」だ。「俺が」好きなのは、どっちなんだ?


 さらに考えた。どちらかと言えば……むしろ明確に……だ。


 なんだか、最初から決めていた気さえする。理由は分からない。


 と言うか、そんな物は必要ないだろう。


 自分の中で、既に答えは出ている。


 だが、踏み出すのは、たやすいことではないな、ということだけは、確実だった。


 と、部屋の中に、わずかな違和感を覚えた。


 最初は分からなかったんだが、よく見ると、机の上の写真立てが倒れていた。


 真虎とのツーショット写真が入っているそれだ。


 身体には感じなかったが、地震でもあったんだろうか?


 特に何も考えず、写真立てを元に戻した。


 しかし、疲れた。


 別段、今寝てはいけないという決まりもない。


 なんだか妙な敗北感があるような気がするが、もう寝よう。


 着替えたばかりの部屋着を脱ぎ、パジャマを着る。


 そして、ベッドに潜り込み、灯りを消した。

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