第27話 漢(おとこ)の約束!
やれやれ、と思っているうちに、昼になった。
学食かパンかで迷ったんだが、その日もパンにしようと決めて、買いに行こうとしている時だった。滝さんに会った。
「あっ、センセ! 昼、どないするん?」
嬉しそうな声。なんだか和みつつ、答えた。
「パンの気分なんでな。買いに行こうかってところだ」
「ウチもやねん! 一緒に食おうや!」
「ああ、それもいいな」
「ほな、先に中庭へ行っといて! センセの分まで買うし! 何がええ?」
「そうか? 悪いな。じゃあ、カレーパンとクリームパンを頼むよ。飲み物は普通の牛乳でいい」
「うん、分かった!」
「廊下は走るなよー?」
特に時間を決めたわけでもないのに、滝さんは急いだ様子で去って行った。
彼女のお言葉に甘えて、先に中庭へ行くか。
中庭。空いている場所を探していると、またしても稲垣のヤロウが目に入ったんだが、スルーが無難だ。
と、知った生徒がいた。
「よう、布引君」
「あっ、東郷先生」
やっぱり修羅を排除したせいか、彼の顔は明るかった。
手には弁当箱、小脇にはスケッチブックらしきものを挟んでいる。
「一人か? いや、それがいいとか悪いとかじゃないんだが」
すると布引君は、少し照れ臭そうに言った。
「はい。友だちにも誘われたんですけど、僕、一人の時間の方が、色々捗るので。先生は?」
「ああ、滝さんと一緒に、ここで食うことになってるんだ」
何気なく返したら、布引君が意外そうな顔をした。
「滝さん、ですか? 彼女、とっつきにくくないです? 悪い人じゃないのは、雰囲気で分かりますけど」
どうやら、彼の言葉が、滝さんのクラス内での評判らしかった。
彼女自身、「馴れ合うのが嫌いだ」とも言っていたし、多少は浮いてても仕方ないかな、とは思う。
と、本人の声がした。
「お待たせ、センセ!」
満面の笑みだった。それを見た布引君が、さらに意外そうな顔をした。
「滝さん、あんな笑顔できたんですね……」
「おいおい、あの子をなんだと思ってるんだ? 年頃の女の子だぞ?」
「そ、それはそうですけど」
「ん? 布引君やん。どなしいたん?」
側に来て、不思議そうに小首をかしげる滝さんの仕草。可愛いと思ってしまう。
布引君が、俺と彼女を見比べながら言う。
「あ、ううん。どうでもいい話をしてただけだよ。でもなんだか、先生と滝さん、交際してるみたいだね」
「「んなっ!?」」
ハモった。俺も動揺するが、滝さんはもっとだった。
瞬間湯沸かし器のように耳まで赤くなっていた。
「な、な、な、なあっ……!? ちゃうて、ちゃうちゃう!! ウチとセンセは、そんなんとちゃうって!! 単にその、えー、なんや、あれ? と、とにかくアレや! その、え、ええっと……」
「クスッ、別に他の意味はないんだけど、滝さんがこんなに可愛い女の子だなんて、思わなかったよ」
上品に口へ手を添えて、控えめに笑う布引君だった。
滝さんは、なんか一人でパニクっていた。
「こ、こここ、こら、布引! ええかげんにせえよ!? う、ウチは……ウチはその……あ、う、え……ふはぁ……」
と、彼女が膝から崩れ落ちた。お、おいおい!!
「す、すみません、先生!! 僕が余計なことを言ったせいで……!」
驚き、恐縮しきりの布引君だったが、彼の責任じゃない。
とりあえず、滝さんを何とかしないと。
「君が謝ることはないさ。俺も、理由が分からんしな」
担架があればいいんだが、取りに行くには遠い。仕方なく、抱き上げる。
軽かった。繰り出す拳の重さとは、釣り合っていない気がした。
「何はともあれ、この子は俺が保健室に連れて行くよ。じゃあな」
急ごうか、と思っていたら、すがるような布引君の声がした。
「せ、先生!」
「ん?」
「あ、あの……多分、間違ってないとは思うんですけど……滝さん、先生のことが、すごく好きなんだなあ、って、分かりました……。僕は彼女じゃないですし、先生も、立場とか色々あると思います。け、けど……できれば……」
そこで、顔を伏せる布引君。少しの間があって、顔を上げた。
真っ直ぐ俺を見つつ、決然と、いや、凜々しいまでに、言う。
「答えてあげて下さい! 今すぐじゃなくていいんです! 立場のことを除いても、先生自身、まだ気持ちの整理がついてないと思います! 先生にもう恋人がいるなら、それは仕方ないかも知れません! けど、イエスでも、ノーでも、絶対、必ず答えてあげて下さい!」
彼の訴えに、図らずも感動してしまった。
滝さんへの好意がどうとか、気持ちの整理がどうとか、真虎への申し訳がどうとかよりも、その、ともすれば過剰なまでに繊細な感性に。
そして、生半可な男には言えないだろう、強さに。
なるほど、確かに布引君は、男子としてはか弱い部類に入るかも知れない。
だが、熱い心を持っている。
その証拠に、目が、物語っていた。「漢」と書いて「おとこ」のそれだった。
痛いほどに、思った。「答え」を出すことが、俺の義務だと。
だから、ニッと口角を吊り上げ、心底から返した。
「ありがとよ、布引君。今の君、世界一男前だぜ」
「えっ? それって?」
「分かんなきゃ、気にすんな。んじゃな!」
きょとんとしている彼に背中越しで笑顔を向け、保健室へ向かった。
昼飯を食う暇は無さそうだが、一食抜くぐらい、どうということはない。
やがて、保健室。『いますよ』のホワイトボードがある。入る。
「すみません、三穂先生。急病人です」
「ああ、東郷先生……と、忍ちゃん? どうしたんですか?」
「いえ、俺と話してたら、急にのぼせたみたいで」
「あー……なるほどですねー」
なんだか、思い当たる節がありそうな声だった。
ただ、その顔は、どこか面白くなさそうだ。
さておき、滝さんをベッドに横たえる。すぐに、三穂先生が氷のうを用意した。
「姉らしく」心配している様子だったが、やがて、やはり面白くなさそうに、口を尖らせた。
「東郷先生、私と愛を育もうって合意したじゃないですか?」
「えっ、ええっ!? いや、合意した覚えは……?」
「どっちでもいいですけど、私としては、ぶっちゃけ面白くないです。この子の、あなたへの好意。実は私も、本人から直接聞いてるんですよね、プライベートのレベルで。この子の手前、口を挟むことは控えてるんですが」
むくれつつの、三穂先生だった。
そうだったのか、と思うと同時に、当人同士ではないにせよ、三穂先生の「面白くなさ」は、なんとなくでも察しが付く。
と、言うか、俺の中にまだ真虎がいることを知ってて、この展開か?
他ならぬ俺自身の気持ちが、棚上げされているように思える。
は、いいとして、そこで、彼女の眼鏡が、意味深に光った。
また、「ねとっ」と口元を吊り上げつつ、丸縁をくいっと指で上げる。
「こうなったら、やはり既成事実を作るしかないようですね。今晩あたり、早速……」
ぞっとした。誇張抜きで。
いや、決して、三穂先生も嫌いじゃないんだが、それとこれとは話が別のような気がした。
「あ、あ、あ、後はお任せします! お、俺はこれで!」
「あっ!? んもうっ、東郷先生の、骨なしチキン!」
三十六計逃げるに如かず。
罵倒の言葉にも構わず、そそくさとその場を脱出した。
……職員室へ戻りながら、布引君の言葉を思い出していた。
『答えてあげて下さい! 今すぐじゃなくていいんです! 立場のことを除いても、先生自身、まだ気持ちの整理がついてないと思います! 先生にもう恋人がいるなら、それは仕方ないかも知れません! けど、イエスでも、ノーでも、絶対、必ず答えてあげて下さい!』
彼を裏切ることはできない。
あの瞬間、「
もう、俺だけの問題じゃないんだ。
だが、もう少し時間が欲しかった。冷静になれる時間が。
その日の終業後のホームルームに、滝さんはいなかった。
適当な生徒に聞いてみたところ、早退したということだった。ちょっと心配だった。
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