第25話 黒い《氣》!

 特に何ごともなく仕事が終わり、帰る頃になった。


 通用門から出ると、三穂先生がいた。


 なんだか、誰かを待っている様子だった。声をかける。


「どうも、三穂先生」

「あ、お疲れ様ですー! 意外と早かったですね? 待ってましたよ」

「え、俺を、ですか?」

「当然ですよ。他に誰がいるって言うんですか?」


 絶対的真理を説くように言われた。だが待て。約束なんかしてないぞ?


 そう思っていたら、先を読まれた。おかしそうな声。


「くすっ、約束してなきゃ、二人で会っちゃダメなんですか?」

「いえ、そういうわけでもないのは分かってますが。でもなぜ?」

「あん、野暮なことは言わないで下さいよ。東郷先生、飲めます? この間は、遠慮なさってる様子でしたが。軽くどうです?」


 おちょこを煽る仕草で言う、三穂先生。


 酒か。常飲する習慣はないが、下戸ってわけでもない。


 残らない程度なら、いいかもな。断る理由もないし。


「いいですね、たまには。お付き合いしますよ」

「ありがとうございます! じゃあ、早速行きましょうか!」


 嬉しそうな彼女と共に、商店街の中にある立ち飲み屋に行くことになった。


 やがて、到着。


 月並みだが、「とりあえず生中」で乾杯をして、突き出しをつまみながら飲む。


 教師生活は慣れたか、とか、保健室に来る生徒の話とか、当たり障りのない話題を転がしていく。


 そこで、個人的に重要なことを思い出した。


 今日の昼間、この人と滝氏が師弟関係にある話を聞いた。


 あの時、滝氏が気を遣ったせいで、聞けなかったことだ。


 彼女は、「闇の流派」の使い手だという。じゃあ、なぜ? 聞いてみた。


「ところで、三穂先生。滝氏との師弟関係の話なんですけど、あなたはどうして、滅心流を捨てて、煌心流に入門しなかったんですか?」

「あ、やっぱり気になります? それ」


 なんだろう。返答に困る質問じゃないらしいが、いつもの明るい笑顔が、少しなりを潜めた。


 どうも、デリケートな話題らしい。


「あっ、答えられないなら、それでいいんですが」

「いいえ、そこまで気遣われたものでもないですよ。一言で言えば、滅心流は……母の形見なんです」


 遠い目をする、彼女だった。静かに、促す。


「どういう、ことですか?」

「私は、小学五年生の頃に、母親を病気で亡くしまして。その後は、後妻に育てられたんです。産みの母が、技を授けてくれたんですよ。あ、別に育ての母と折り合いが悪かったわけじゃないですよ?」

「なるほど……。父親は?」

「父は、武の道には何の縁もない、普通の社会人です。煌心流と滅心流の関係も、まったく知りません」


 重めの過去だった。


 だが、話は分かる。産みの母に伝授された技なら、そうやすやすと捨てられないだろう。


 しかし、小学生の頃に技を使えるようになっていたとは。


 また、彼女自身が以前言った、「暗くて、世の中を拗ねまくっていた」のは、産みの母親が死んだことがキッカケだとしたら、割と納得できる。


 直感的に、この話題を続けるべきじゃないだろうと思った。だから、ビールの大瓶を手にして、聞かなかったような素振りで、言った。


「三穂先生、グラスが空ですよ?」

「あ、どうもー」


 彼女も、意図を汲んでくれたらしい。いつもの調子で、グラスを差し出してくれた。ビールを注ぐ。


 個人的には、滅心流の技が一度見てみたいと思ったんだが、これも以前彼女が言っていたように、「隠したかった」のなら、わがままを言うべきじゃないだろう。


 一時間半ほど飲んで、店を出た。


 そして、人通りの割と多い商店街を並んで歩いている時だった。不意に、一人の男と三穂先生の肩がぶつかった。


「あ、すみませんー」


 会釈をした彼女だったが、男が絡んで来た。


「ってーな! こりゃ骨が折れてるぜ! どうしてくれるんだ、ああ!?」


 見たところ、二十代後半の男。顔がずいぶん赤らんでいる。コイツも飲んだ後らしい。


 人間、酔うと本性が出やすいもんだが、いわゆる「面倒くさい」タイプだな。


「うへへ、ねーちゃん可愛いな? 身体で払ってくれたら、許してやらねえでもないぜ?」


 いかにも下卑たスケベ面をする男。と言うか、隣の俺は眼中にないようだった。


 三穂先生が、こっそり言う。


「技、見せて差し上げますよ。見たいんですよね?」


 パチリとウィンク。そして、男に笑顔を向ける。


「身体で払えばいいんですね? じゃあ、ちょっとこっちへ来てもらえます?」

「ヒュー! 話が分かるぜ!」


 やにさがった男のツラ。醜悪の一言だ。


 とにかく、三穂先生が路地裏へ向かうので、ついていく。


 路地裏。彼女が、足を止めた。


 顔が、見たことのないほど真剣なそれになっていた。


 キラリと眼鏡が光った。例によって、くいっと縁を上げる。


 そして、のこのことついてきた男に向き直る。


 そいつに向かって、右腕を伸ばし、手のひらを広げる。足を前後に軽く開き、前腕部に左手を添えた。


 一言で言えば、腕を大砲に見立てたポーズだった。


「ああ? なんだよ、そのポーズは?」

「気にしないでください。すぐに分かりますから」

「はあ?」

「《噴心波ふんしんは》!!」

「がはあっ!?」


 三穂先生の手のひらから、黒が噴き出した。


 まさしくの、砲撃だった。これも《氣》なのか?


 まともに食らった男が吹っ飛び、ダウンして、そのまま動かなくなった。


「ふー、いっちょ上がりです。あ、殺してませんから、ご心配なく」


 緊張を解き、事も無げに言う、彼女。その「力」を見るには、十分だった。


「片付くものは片付きましたし、帰りましょう?」

「そ、そうですね」


 まるで、今の一幕がなかったかのように、彼女がニコニコと言う。


 そんなつもりは全くないが、怒らせると怖いな、と思った。


 戦慄を覚えつつ、路地裏から出る。


「それじゃ、俺はこっちですから」

「はいー。では、また明日ー」


 三穂先生と別れ、その日は帰宅した。

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