第24話 彼女はヒマワリ!

 午前の授業の移動中、中庭を通った。


 生徒の姿はないが、花壇の側に、かがみ込んでいる人影があった。


 よく見るとそれは、校長だった。何やら、虫眼鏡を手にしている。


 もしかして、と思って、少し近づいてみた。


 やはりというべきか、校長は、虫眼鏡を使って日光を集め、アリを焼き殺しているようだった。


「ぐふふふふ……死ね死ね死ね……」


 その笑みのねちこさたるや、まったくいい趣味してるぜ、と言いたいぐらいだった。


 長峰の言ってた「人を傷つけて喜ぶ」タイプに該当するかもしれないが、ザコのあいつは、まずないな。陰湿な光景だ。見なかったことにした。


 そして、昼休み。


 さっき、校長の黒い一面を見たこともあり、なんとなく気分がささくれていた。


 もっとも、真に安穏としている時ってのが、そもそも少ないんだが。


 こういう時は、好きな桜を眺めながら落ち着くに限る。


 パンを買って、再度中庭へ行った。校長の姿は、もうなかった。少しホッとした。


 しかし、桜も、もうすっかり葉桜になっている。だが、これはこれで趣がある。


 適当なベンチに座って、食おうとした時だった。見るともなく見ていた風景の中に、知った顔を見つけた。


 滝さんだ。花壇に水やりをしている。


 パンの袋を開ける手を止め、彼女の所へ行った。


「よう、滝さん。当番か?」

「あっ、センセ。別に当番とちゃうよ?」


 にこやかな笑顔のまま、さらっと否定された。


 当番じゃないのに? でも、嫌々でやってる様子は、まるっきりない。


「じゃあ、どうしてだ?」

「うん。単に、花が好きやから。センセは?」


 純真な笑みだった。ちょっとグラッと来る程に。


 顔に出なかったことを祈りつつ、返した。


「ああ、今日の昼飯は、パンの気分だったんでな。あと、葉桜を愛でるのも兼ねてだが」


 何気ない話のはずだったんだが、滝さんが、どこか驚いたような顔になる。聞かれた。


「センセ、桜が好きなん?」

「大好きだが?」


 これも、別に何らの他意なく言ったんだが、彼女は、それこそ花のほころぶように微笑んだ。


「ふふふっ、桜が好きな人に、悪い人はおれへんのよ。うん、やっぱりな。うんうん」


 なんだか、一人で納得している様子だった。


 直感だが、「なぜ、どこがどう」なのか、深い理由を聞いてはいけない気がした。一通り水やりが終わったらしい花壇を見て、彼女が言う。


「よっしゃ、もうええやろ。センセ、メシ食うん、もうちょい待っててくれへん? ウチもこうてくるよって、一緒に食おうや」


 それぐらい、どうってことはない。


 と言うか、ささくれていた気持ちが、彼女の笑顔を見ると、物言わぬ桜を眺めるよりも、より癒される気がした。


「分かった。じゃあ、場所を確保しておくよ」

「頼むわ!」


 そして、彼女は小走りで食堂の方へ向かった。と、五分もしないうちに戻ってきた。


「お待たせ!」

「待ってないよ、全然」


 なんだろう、滝さんがすごくはしゃいでいるような感じに見える。


 つられてこっちも、なんだか嬉しい気分になる。


 ベンチに並んで座り、パンの袋を開ける。


 彼女は、焼きそばパンとあんパン、飲み物はオーソドックスな牛乳だった。


 食べながら、話す。


「葉桜、言うたら、桜餅やね。センセ、好き?」

「ああ、好きだな。葉っぱを残す人間もいるらしいが、俺的には信じられんよ」

「ウチも好きやね。そこに、濃いめの煎茶があったら、それだけで上等や」


 そう言えば、彼女の好み、聞いたっけな。


 凝ったスイーツよりも、和菓子系統が好きだって話だった。


「センセ、他に好きな花とか、ある?」


 期待感がにじんでいたが、少し困る質問だった。


 なぜって、いかに桜が好きであれ、その他の花については、ほとんど詳しくないからだ。


 ただ、ごまかすのはよくない。素直に言った。


「実のところ、俺も花にはさほど詳しくなくてな。他に好きなのは、梅の花とか、ツツジぐらいかな?」

「ヒマワリは?」

「おう、好きだぜ。いかにも夏! って花だよな」


 軽い気持ちで返したんだが、滝さんの目は、輝いていた。


「ウチな、ヒマワリがめっちゃ好きやねん。お日さんに向かって、真っ直ぐ伸びるやん? あの姿勢が、尊敬するほどや」

「へえ、なんか似合ってるな」

「おおきに、えへへ」


 なんだろう。「上機嫌!」というオーラを感じる。


 それに越したことはないんだが。ただ、不思議と俺も、いい気分だった。


 ちら、と、葉桜を見る。そして、次に滝さんの笑顔を見る。


「ん? どないしたん?」

「……いや、なんでもないよ。ありがとな、滝さん」

「へ? なんで急に?」


 きょとんとした顔。率直に可愛い。


 やはりだが、殺伐としていた心が、まさしく日に照らされるように、温かく和らいでいくのを感じた。それへの感謝だった。


 と、ふいに、「欠落」という言葉が、脳裏をよぎった。なぜだ?


「それより、聞いたって、センセ。 実はウチ、さっき、どーしても三穂ねえセンセと話したなってな、休憩時間に保健室行ったんよ。話が弾んでなあ!」


 心底嬉しそうな調子で、話が続いた。


 三穂先生は、「妹」にとても優しいことが、すごく分かった。


 同じ人に教えを受けたんだし、苦労話一つ取っても、花が咲くのは当然だろう。


「あ、ごめんな、センセ? ウチばっかりしゃべくって……」

「気にすんな。生徒の話を聞くのも、教師の仕事だ」

「……そういうの、抜きにできひん?」

「どういう意味だ?」

「な、なんでもない!」


 ぷるぷると首を振りつつ、どういうわけだか、微妙に残念そうな顔をされた。


 いかに俺でも、鳥頭じゃない。「そういうの」の、「そう」が、何を指すかの類推はつく。


 ただ、都合よく考えるのは禁物だろう。


 俺と彼女は、教師と生徒。そう簡単に、一線は超えちゃいけない。


 そういうもんだ……と自分の中でまとめたところ、ずきり、と、胸が痛んだ。


 おい、待て。待てよ。何を考えているんだ?


 確かに、絶対的な禁忌じゃない。彼女自身も前に言ったが、「それ」を禁じる法も決まりもない。ないんだが……。


「……は、恥ずかしいやんか」

「えっ?」

「そ、そ、そないに、ウチの顔見んといてぇな? な、な、な、なんや、その……なあ?」


 しどろもどろな声。何が「なあ?」なんだか、サッパリなんだが、知らずのうちに、滝さんの顔をまじまじと見つめていたらしい事は分かった。


 こっちが恥ずかしかった。古典的だが、咳払いをした。


「ん、んー、おほん。気にするな。さあ、メシ食ったんなら、早めに戻った方がいいぞ? 俺もそうする」

「せ、せ、せやね。ほな、また」


 彼女は、真っ赤になっていた。それも耳まで。


 なぜ……と思って、もしかして、を経由し、思い上がりはよくないな、と、自分を戒めた。


 雲の上を歩いているような足どりで、校舎の中へ消えていく背中を見送ってから、俺も戻ることにした。

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