第23話 「お師匠さん」!

 そして、三人で、応接室へ向かっていた時だった。


「あ、東郷先生。昨日はどうもー……って、お、お師匠さん!?」


 三穂先生の、やたら驚いた声がした。


 眼鏡の奥の丸い目が、さらに丸く見開かれている。


 滝氏も、懐かしそうな顔になった。


「おお、お前は三穂やないか! 久しぶりやのぉ!」

「うわあ! お元気でいらっしゃいましたか、お師匠さん!! まさか、こんなところで再会するとは!!」


 どうやら、感動の再会らしいが、まるっきり分からない。


 滝氏と、三穂先生が、師弟関係? 一応、滝さんに聞いてみる。


「なあ、あれ、どういうことだ?」

「全然分からへん。おとんが、三穂センセの師匠て……?」


 揃って首をかしげる中、三穂先生が興奮冷めやらぬ様子で言った。


「東郷先生、これからどちらへ?」

「あ、ああ。授業参観が終わった流れで、ちょっと、面談を」

「私がいたら、まずい話ですか?」

「そういうわけでもないです」

「なら、私も混ぜてください!!」


 すごい勢いでの、意思表示だった。


 構わない……と言うか、俺も、彼女と滝氏の関係が気になる。


「分かりました。行きますか」

「おー!!」


 やけにハイテンションな三穂先生を交え、四人で応接室に入った。


 応接室にて。滝さん親子、俺と三穂先生、の形で向き合ってソファーに座る。


 切り出したのは、滝氏だった。ごく軽く、だがそれすら太く息をついて、感慨深げに言う。


「いやあ、まさか私も、ここで三穂と再会するとは、思いもしませんでしたわ」

「お二人は、どういう関係なんですか?」

「はい。広義での、師弟関係です。あまり長々と話すのも何ですから、簡潔に言いますわ。三穂は、『滅心めっしん流空手』の使い手でしてな。昔、私に野試合を挑んできたことがあるんです」

「いやー、あれはまったく、若気の至りでした。たはは」


 にこやかに滝氏が言って、三穂先生が、苦笑い気味に継いだ。


 彼女もまた、空手の心得があったなんて、意外にも程がある。


 だが同時に、三穂先生が身体作りを怠っていない理由も分かった。


「あの、『滅心流』というのは?」

「私ら煌心流から派生した流派です。『心を滅ぼす』という字の通り、一言で言えば、人の心の闇を源泉とします。いかなる古文書にもない、まさしく影の流派です」


 まったく初耳だった。どんな古文書にも載っていないのなら、それも当たり前だろう。


 しかし、心の闇、というのはなんとなく分かるんだが、いつも朗らかな三穂先生とは繋がらない。


 そこは、本人が照れながら言った。


「実は、私……昔はすんごく暗かったんですよね。世の中を拗ねまくってたというか」


 さらに意外な事実だった。今とは真逆だ。


 驚いているのを見てか見ずか、三穂先生が続ける。


「滅心流と煌心流は、元が同じでも、敵対してるんですよ。正確には、滅心流が一方的に敵意を抱いてるだけなんですが。なので、当時……えーっと、十三年ぐらい前ですかね? 私は中学生だったんですけど、煌心流の使い手がいる、と聞いて、無謀にもお師匠さんに勝負を挑んだんです。んで、コテンパンにやられまして」


 ひょい、と、おどけ気味に肩をすくめてみせる三穂先生だった。


 どうやら、徹底的にやられたらしい。


「あの、割り込んで済みません。六佐志さんは、女性を殴れるんですか?」


 この問いには、三穂先生が答えた。


「お師匠さんは、そんな人じゃないですよ。私の技が、そのまま跳ね返されましてね。言わば自爆したんですよ。何度挑んでも、その都度自爆です。そりゃ、参りますって」


 少し安心した。滝氏が続ける。


「三穂の素質には、目を見張るものがありましたんや。ただ、当時の彼女は、自分の力を制御しきれない風に見受けられましたんでな。その辺を、教え込んだわけですわ」

「その節は、お世話になりました。いや、ホントに。お師匠さんのおかげで、私は、闇に飲まれず、力のコントロールができるようになったんです。感謝してもしきれませんよ」


 懐かしみつつ、嬉しそうな三穂先生だった。


 滝さんは、指を一本あごに当てて上を向いていた。視線を戻して、言う。


「……っちゅうことは、おとん? 三穂センセって、ウチの姉弟子に当たるん?」

「まあ、そないなるかな?」

「へえ……。なんや、めっちゃ嬉しいな! 言うてみたら、三穂センセて、ウチのお姉ちゃんやんか!」

「そうなりますねー」

「嬉しいわ。ウチ、お姉ちゃんが欲しいなて、ずっと思っとったんよ。三穂センセ、これから『三穂ねえセンセ』って呼んでええ? あ、ウチのことも『忍』でええし!」


 興奮しきった様子で、まくし立てる滝さんだった。


 唐突気味に聞こえるお願いだったんだが、三穂先生は、慌てず騒がず、むしろ嬉しそうに微笑んだ。


「うふっ、いいわよ、忍ちゃん。私も一人っ子だったから、妹がいたらなあ、って思ってたのよ」

「やったぁ! あらためてよろしゅう、三穂ねえセンセ!」


 快諾する言葉に、ぱあっと破顔する滝さんだった。


 なんとなくだが、気持ちが察せられる。


 元々捨て子で、父一人、子一人だったんだ。いかに養父が立派であれ、身内、特に女のそれがいないのは、どうしても寂しいだろう。


 父親以外に甘えたい相手が欲しいのも、分かる話だ。


「しかし、まったく意外でしたね、三穂先生。あなたも、空手の覚えがあったとは」

「恥ずかしいので、できれば隠し通したかったんですけどね。お師匠さんに会えたので、そこはまあ、OKとしときます」


 そして三穂先生は、「実はですね?」と続けた。


「二年C組に、滝さん、という生徒がいると知ってはいたんですが、そんなに珍しい名字でもないですから、お師匠さんと関係があるとは思わなかったんですよね。でも、滝さんが以前、《仰光拳》を放つのを見て、もしや、と」


 その言葉を受けたのは、滝氏だった。どこまでも太い声で言う。


「忍が三歳ぐらいの頃やったかな? お前と手合わせしたんは。あの時期は私も、忍の手がかかる頃やったんで、山やのうて、ふもとの仮住まいの家におったからな。手ほどきができたんも、ある意味、ええタイミングやったんやろう。はっはっは」


 なるほど、出会いがその頃なら、滝さんも知らない、あるいは覚えていないだろうのも納得がいく。


 しかし、少し気になる言葉が出てきた。聞いてみる。


「仮住まいの家、と言うのは?」

「言葉の通りですが、正確には、私と忍の、戸籍上の住所ですわ。主に暮らしとるのは山の方ですが、さすがに私らも、悪天候の時など、山を登られへん時は、そちらの家でしのいでますんや」


 地味な謎が解けた。年中晴れの日なんて、ありえない。


 天気が悪い時、例えば梅雨とか台風シーズンなんかはどうしてるのかが、ちょっと気になってたんだ。


 その説明を、滝さんが続けた。


「これはウチも、おとんから聞いただけなんやけどね? 小さい子どもを育てるんに、山やったら具合悪いやん? 例えば、赤ちゃんが熱出した時とか、急いで医者に連れて行かなあかんのに、悠長に山を登り下りしとられへんやろ?」


 言われてみれば、もっともだ。緊急事態に、のんびりしてられないよな。


 さらに滝氏が補足してくれる。


「加えて、山の中っちゅうのは、住所が割り当てられておりませんのや。仮にそうやったにせよ、まさか私も、宅配便や、郵便の配達員に、逐一『山を登れ』とは言えませんし」

「せやから、基本的には、仮住まいの家の方は、ウチが週一ぐらいで行って、郵便物のチェックとか、掃除とかやってんねん」

「なるほど、合理的だな」


 求道するのにスタイルは自由だが、社会生活を犠牲にしたなら、その実態は、限りなくホームレスに近くなるだろう。


 まして、養子を迎えようと思ったら、「住所不定」じゃ、話にならない。深く納得した。


「ところで……」


 そこで、三穂先生と滝氏の関係に関して、割と大きめの疑問が浮かんだんだが、最後まで言うより先に、滝氏が、ちらと壁の時計を見て、申し訳なさそうな顔になった。


「すんませんな、なごうなりまして。ほんまは、東郷先生についても伺いたかったんですが、私的な話であまり長々と引き止めるのも、気が引けますわ。またの機会にさせて下さい。私はこれで失礼します。三穂も、達者でな」

「はい! お師匠さんも!」

「おとん、おおきにな」

「俺からも、ありがとうございました。滝さん、急いだ方がいいぞ」

「うん!」


 滝さん親子が、部屋から出て行く。俺も三穂先生と別れ、職員室へ戻ることにした。

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