第三章 迫られる選択 第21話 共通の感性!

 戦慄感の冷めないまま、スーパーを出た時、嬉しそうな声が、後ろからした。


「おお、東郷先生!」

「ああ、三穂先生じゃないですか」


 さすがにオフタイムであるせいか、彼女は、俺同様、ジャージ姿だった。色は、ランニングの時のように、スカイブルーだ。


 いや、悪いとかいう意味じゃないんだが、すごくラフな格好なだけに、普段のバシッとした白衣姿とは、かなりギャップがあった。弾けそうな声。


「偶然ですね! 運命を感じていいですか? ってのは、半分冗談なんですけどね」


 じゃあ、半分は本気だったんだろうか。


 いや、そこをつっこむべきじゃないな。


 ランニングコースが似てるから、近くに住んでてもおかしくないとは思ってはいたが、同じスーパーを使うあたり、マジでご近所さんのようだ。


 どこか期待している様子で聞かれる。


「東郷先生、ご夕食は?」

「まだです。おっと、スーパーで惣菜でも買うべきだったかな?」


 店内へ戻ろうとしたら、ジャージの腰あたりを、はっしと掴まれた。くいくい、と引っ張られる。


「よかったら、うちに来ます? ごちそうして差し上げますよ」

「えっ、いいんですか?」


 厚意はありがたいんだが、この人に、警戒心というのはないんだろうか? 別の意味で不安になって来る。


 と、夕方にもかかわらず、彼女の眼鏡が光った。


 買い物の荷物を持ったままの手で、くいっと縁を上げる。


「ふふり、警戒心がないのか? とか思ってますね? 確かに私も、強引すぎる男は嫌いですが、あなたはそういう人じゃないでしょ?」

「そ、そりゃまあ、その通りですが……」


 まさか俺も、女性にメシをごちそうになったからって、そのまま本人まで「いただきます」しようなんざ、断じて思わない。


 そこで、なんか「ねとっ」という擬音が似合いそうな感じで、彼女が口元を吊り上げた。


「別に私は、あなたになら『いただきます』されてもいいんですけどね。その場合、既成事実ができるので、手間が省けるという側面もありますし。って言うか、むしろ私から『ゴチになります!』と行きたい所なんですけど、あなたの気持ちを無視するのはアレですし」


 ぞわり。ちょっとだけ、背筋が寒くなった。


 この人って、意外と肉食系なのかも。もっとも、俺も自分が草食系だとは思ってないが。


「それはそうと、行きませんか? 栄養が偏るのは、よくないですよ?」


 催促するように、掴んだままの服を、くいくいと引っ張る手。小さくて愛らしいな、と、妙な気持ちは抜きに思う。


「分かりました。じゃあ、お言葉に甘えて」

「そうこなくっちゃですよ。じゃ、行きましょう!」


 こうして、流れ上、三穂先生のお宅にお邪魔することになった。


 彼女のマンションは、予想以上に俺のマンションと近かった。


 具体的には、歩いて五分も離れていない。


 ただ、レディース向けだからか、エントランスにオートロックがあるのは同じにしても、その先に管理人室があった。お婆さんの声。


「おや、その男性は?」

「ええ、彼氏です」


 断言された。いいんだろうか。よくないだろう。


 いや、基本男子禁制の部屋だから、我ながら嫌な言い方だが、男を連れ込む理由としては、一番説得力があるが。


「がんばりなさいよ?」

「ありがとうございます!」


 待て、婆さん。何を頑張るんだ、何を。


 っと、けしからん方向へ考える方が悪いな。


 さておき、エレベーターで四階まで上がった。403号室の前で、止まる。鍵を開ける手。


「実のところ、あんまり片付けてないんですけどね。とは言え、ドン引きされるほどでもないかと」

「お邪魔します」


 入ってみて、少し驚いた。


 片付いてない……と言うより、散らかりようのない、とても質素な部屋だったからだ。


 なるほど、ブルー系統のカーテンなんかで色調の統一はされているが、無駄なものが見あたらない。


 むしろ、最低限度のものしかないように見受けられた。


 別に、「女らしい部屋じゃない!」なんて意味で落胆したって話じゃないんだ。


 むしろ、浮ついたところが一切ないあたりに、彼女の真面目な性格が見えて、好印象だった。


 しかし、床にダンベルが転がってるのが不思議だった。


 どうにも、この人と「鍛える」という言葉が結びつかない。


 いや、毎朝走ってるぐらいだから、身体作りは、していてもおかしくないかな?


 自分の荷物は玄関に置かせてもらって、部屋の中央のちゃぶ台に座布団を用意されたので、勧められるまま、腰を下ろす。


「まあまあ、くつろいでくださいな。トマトベースのシーフードスパゲティを作りたいんですけど、嫌いなものとか、ありますか? 例えば、トマトにトラウマがあるとか、小麦とか、イカとかエビのアレルギーだったり」


 トマトへのトラウマ、って、なんだそりゃ? いや、ここはスルーすべきだろう。


「いえ、特にないです」

「りょーかいです。じゃあ、しばらく待っててくださいね? あ、裸エプロンで作れとか言うリクエストはありますか?」

「い、いえ、さすがにそれは」


 なんだろう。ノリノリの三穂先生だった。


 と言うか、仮に裸エプロンをお願いしたら、やってくれるんだろうか。そういう趣味はないんだが。


 三穂先生が、ジャージの上着だけ脱ぎ、その上にエプロンを羽織って、料理を始めた。


 そこで気付いた、彼女、結構巨乳だった。着痩せするタイプなんだろうか。


 特に胸元を強調する服装ではないにせよ、俗に言うところの「たゆんたゆん」ぶりがよく分かる。


 は、いいとして、ただ待ってるだけというのも手持ち無沙汰なんだが、そこに文句を付けても仕方ないだろう。


 と、彼女が歌を口ずさんでいるのが聞こえた。


「♪はっきりさせなくても、いい~……♪」


 メロディと歌詞で、ピンと来た。ブルーハーツの『夕暮れ』だ。


 嬉しくなった。なぜなら、俺も大好きだからだ。


 知らん奴のために注釈を入れておくと、ブルーハーツってのは、九十年代に一世を風靡したロックバンドだ。


 聞きたきゃ調べれば一発なので、それは各人に任せるが、調べてでも、聞いて損はないと断言できる。


 名曲は、世代を超えて歌い継がれる。ブルーハーツも、挙げていきゃあキリがないほどに、数々の名曲がある。


 今でもラジオで流れたり、テレビCMでも使われてたりするから、調べれば「ああ!」と思うかも知れない。


 しかし、またしても意外だったな。感性に共通するところがあると、何よりも嬉しい。

 次第に、シーフードとトマトを炒めるいい匂いがし始めた。


 誰かの手料理を食うなんて、もう何年ぶりだろう? 真虎が生きてた頃は、彼女に作ってもらったことは結構あるんだが。


「はーい、お待たせしましたー!」


 そして、トマトシーフードスパゲティが運ばれてきた。


 二皿とも、大盛りだった。ものすごく美味そうだ。


「あ、何か飲みます? ビールとチューハイとワインと、後はウーロン茶ぐらいしかないですけど」


 アルコール類だけで三種類も常備してるのか。この人、飲む方なんだろうか。


 俺も、特別に弱いわけでもなし、飲んでもいいかも知れないが、この場はやめておこう。


「じゃあ、ウーロン茶をもらえますか?」

「はーい」


 すぐに、グラスに注がれたウーロン茶が来る。上等なメシだった。


「いただきます!」

「どうぞー。私もいただきます!」


 食った。そして驚いた。


 美味い。見たところ、シーフードは冷凍のミックスらしかったが、旨味が逃げていない。


 変な言い方だが、「ちゃんとシーフードの味」だった。しみじみと、言ってしまう。


「……美味いですね」

「わあ、ありがとうございます! そう言ってもらえると、作った甲斐があります!」


 屈託無く微笑む顔。純粋に可愛かった。


「シーフードミックスが、しっかり仕事してますね。俺も、昔の話ですが、自炊しようとしてたことがあるんですけど、普通に解凍したら、味が全部逃げた記憶があるんですが」

「ふふふっ、海水と同じ濃度の塩水で溶かすのがポイントです」


 聞いたことがなかった。料理が得意ってのは、嘘じゃないようだった。


 それにしても美味い。どんどん食えるし、手料理の味は、どう足掻いても出来合いのものにはかなわない。


 食べながら、あの歌について聞いてみた。


「ところで、三穂先生。ブルーハーツがお好きなんですか? 作りながら、『夕暮れ』を歌ってましたよね?」

「えっ、通じたんですか!? 驚きましたね。もしかして、あなたも?」

「ええ、大好きです。中学生時代、何度も聞きました」


 素直に言うと、彼女の顔がほころんだ。


「嬉しいですね。すごく嬉しいです。感性に共通するところがあると」


 それから、食いながら、ブルーハーツ談義で盛り上がった。


 彼女は、『夕暮れ』の他、『TRAIN-TRAIN』や『人にやさしく』が好きなことを聞いた。


 一方の俺は、『青空』、『終わらない歌』、『リンダリンダ』あたりが好きだ。


 お互い、嫌いな曲ってのはない。どんなナンバーでも「ハズレ」がないことが、ブルーハーツのすごいところでもある。


 やがて、食べ終える。大満足だ。


「ごちそうさまでした! マジで美味かったです!」

「お粗末様でした! いやー、いい食べっぷりでしたね? さらなるフラグが立つ勢いですよ!」


 嬉しそうな三穂先生だった。なんだか、恩ができた気さえした。


「また食べたくなったら、いつでもいいですよ?」

「お気持ちは、頂いておきます」


 確かにメシは美味かったが、甘えすぎがよくないことぐらい、誰だって分かる。


 特に彼女も、食い下がってこなかった。


「それじゃ、重ねてありがとうございました」

「いえいえ。じゃあまた明日ー」


 そして、彼女の部屋を出た。管理人室のお婆さんは、特に何も言わなかった。


 あのメシが毎日食えるなら、ちょっといいかもな? とか思いつつ、その日は眠りに就いた。

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