第20話 「あいつ」の影!
とにかく、さらに続けて、滝さんが言う。
「せやね。プラス、おとんも技の安売りはせえへん、ってのと、本人の覚悟を試すために、月謝の金額もかなり高めにしとるんよ」
「そりゃあ、あんな強烈な技を、誰でも気楽に使えたら怖いよな」
「やろ?」
その日の帰宅後の話だが、滝さんから教えてもらった煌心流道場の月謝の金額と、世間一般の街の空手道場のそれを、興味本位で調べて比較してみた。
すると、相場の約五倍強という計算になり、軽く驚いた。
だが、技の安売りはしないという、滝さんの親父さんの判断は正しいかもな? とも思った。
同時に、仮にその金額かける二十が月収なら、百万円を超える。
さらにそこへ十二をかければ、年収は一千万円台だ。
当然税金は引かれるにせよ、結構裕福な家庭と言えるだろう。
ならば、養子を育てるだけの経済力もあるということだし、近年拡充された、政府が定める「就学支援金」は少ないにせよ、仮に支援がなくとも、私立の高校には通える。
また、さすがに滝さんの小遣いの具体的な額までは知らないが、彼女がバイトを考えなくても済む。
「ちなみにだが、どうして滝さんは、竜胆学園を選んだんだ?」
竜胆学園が、特に難関というわけでもないが、周辺には、公立高校だってある。そう思って聞いたんだが、滝さんは、さらりと返した。
「家から一番、ええ塩梅の距離にあったからや。そんだけ」
どうやら彼女の中では、毎朝の走り込みが前提にあって、片道三十キロがちょうどって認識らしい。
「走り込みは、いつ頃からやってるんだ?」
「そうやね、小学校高学年の頃からになるかな?」
……どれだけ鍛えてるんだか。
しかし、煌心流道場の説明を総合してみると、だ。
今現在、実際に門下にいる二十人程度は、本気で肝が据わって、覚悟もできてて、かつ、金銭面も環境面も全て納得した上で、ということになる。
それだけでも、相当な猛者揃いだって分かるな。
煌心流の詳細についての話はそれで終わったんだが、俺として少し気になることがあった。
彼女が真面目な性格なのは、初日から分かっていた。
悪い言い方になるが、「今どきじゃない」。
養父の教育というのはもちろんあるだろうにせよ、その、根幹が知りたいと思った。
興味本位の域を出ないが、この辺りも、少し聞いてみたい。
「ところで、滝さん。君は、どういう気持ちで、学校生活を送ってるんだ?」
「へ? そんなん、真面目にやろうて以外は、さほど考えてへんけど?」
「そこだよ。君が真面目なのは、俺も分かってる。『なぜ』って話だ」
「当たり前やん。学生やもん。学校て、そういう場所やろ?」
「称賛に値する答えだが、そもそも、は、どうなんだ?」
深いところを聞いている自覚はある。
滝さんも、「んー」と、あごに指を一本当てて少し上を向いた。やがて、言った。
「ウチもな、いち生徒の身分やけど、今の学校て、おかしい思うねん」
「どこが、だ?」
真面目な顔の滝さん。まずは、続きを促す。
「あのな? みんな『敬意』と『姿勢』がおかしいっちゅう話や。教師、言うたら目上の人やで? せやのに、まあこれは、東郷センセが来る前までやったけど、敬うとか、敬意を払う以前の問題で好き放題やっとった。これが一つ目やね」
「ほう、それで?」
興味深いと言うか、どこかで聞いたことがあるような意見だった。
思わず少し身を乗り出す。
「最近は、親の方も子供を甘やかしとるさかい、学校でもそうなっとる。センセらがみーんな萎縮してもうて、常にウチらのご機嫌取りと、ゴマすりをやっとるように見えるんよ。おかしない? まあ、この点も、東郷センセがぶっ壊してくれて、すっとしたけど」
「あ、ありがとよ」
滝さんが、少しだけ微笑みをこちらへくれる。うっ、可愛いかも。
「『教育』っちゅう文字は『教えられて、育つ』んや。教える側がヘコヘコしとったら、育つもんも育たんし、何より示しつかへんやろ?」
「ああ、それも、全くその通りだ」
なんだろう。俺の信念にも似ているが、どこかで、何度も聞いたような……?
「そんな調子で、学校を卒業しても、やで? 悪うに言うてみたら、猫可愛がりされて勘違いした甘ちゃんばっかしが世の中に出ることになるやん。そんなもん社会のお荷物にしかならんと、ウチは思うわ」
なんだ? なんだ、この強烈な既視感は?
今、滝さんと話してるんだよな?
「まあ、なんやかんやと偉そうに言わせてもろたけど、ウチはやっぱ生徒やから卒業まで結局何もできんかも知れん。それでも、や。このおもろない今を、少しでも変えたいねん。空回りになってもええから、あがけるだけやりたいんや」
強い意志のにじむ言葉。はっとした。変える。今を。
何度もそう誓い合ったじゃないか。
――真虎と。
そうだ、滝さんの考えは、真虎の信念にとても似ている。
まさか、こういう場で、しかも生徒に、似たようなタイプを見つけるとは思わなかった。
「ん? どないしたん、センセ?」
あ然としているところを不思議そうに覗き込まれ、我に返る。
「あ、ああ、いや。なんでも。しかし、いい心がけだな。俺の中じゃ、喝采レベルでな」
「おおきに。こないな話しても、周囲にはなかなか理解してもらわれへんからな」
率直な賛辞を述べたら、すごくいい笑顔を返された。クラッとするほどだった。
気取られないようにして、さらに聞いた。
「でも、だ。滝さんに、大学へ進む意志はないんだろ? なら、将来、教師になろうって気もないよな?」
「うん、ない。センセみたいに型破りでおれたらええんやけど、そないな思い切り、ウチにはないし。あかん?」
「そんな事は言ってないさ。君の将来は、君自身のものだ。誰が強制なんかするか」
「ふふっ、話の分かるセンセでよかったわ」
冗談抜きで笑顔が眩しい。いかん、生徒相手に何を考えてるんだ。
「ところで、話は戻るが、滝さん?」
「え、何?」
「さっき『変えたい』って言ったよな? それについて、何か自分の中でプランはあるのか?」
その問いに、滝さんは少し困った顔を浮かべた。軽いため息が漏れる。
「それがなあ、今んとこ、なんも具体性があらへんねん。ウチとしていっちゃん近いやろうなて思うんは、三年生になったら生徒会長選挙に立候補するぐらいかな?」
「いいじゃないか。やってみれば」
シンプルな話に聞こえたんだが、彼女の中ではそうではないようだった。ひょい、と肩をすくめられる。
「あかんて。ウチ、自分で思うんやけど、大勢の上に立てるような器やない。それに何より、人望あらへんもん。仮に来年立候補しても、ウチに投票するやつなんか、おらんのちゃうやろか? 言うたやろ? ウチはツレすらおらんって」
「ふうむ、言われてみればそうだなあ」
なんとか代案がないかと、俺も少し考えてみるんだが、滝さんが不意に言った。
「あ、待ちいな」
「どうした?」
「いやな、ウチのこと考えてくれるんはありがたいんやけど、それはもう、半分以上答えは出とるんよ」
「と、言うと?」
「前提として、やで? ウチは、四角四面のカタブツやない。模範生になるつもりもあらへん。しゃあけど、や。『学生の本分を果たす』ことと、『誰が見ても間違ったことは、絶対に許さへん』だけかな。きっと『誰か』がそれを見てくれて、針の穴程度でも『変わるきっかけ』になるんやないやろか? て、ウチは信じとる」
少し照れながらだが、やはり、強い意志を持って言い切る滝さんだった。
俺としては、それで十二分じゃなかろうか? と思う。
「その真面目さと信念は、さらなる称賛に値するよ。俺が君に言えるとしたら、たった一つだ」
「それって?」
小首をかしげる滝さんの目を真っ直ぐに見て、俺は断言した。
「ぶれるな。貫け」
「……うん、おおきに」
心に響いたのか、ぱっと破顔する滝さんだった。なんだろう、この喜びは。
と、そこで、一組の学生カップルが店に入ってきた。
雰囲気的に、いかにも仲睦まじそうだ。滝さんが、目で追う。
「……ちゃうからな?」
「えっ?」
いきなりそんな事を言われた。意味は分かるが、かなり唐突だ。
「そりゃそうだろ? 俺と君は、ただの教師と生徒だ」
「せやね。ウチも、男のツレが欲しいなー、とはぼんやり思うんやけど、センセと生徒やもんね。もっとも、それがまかりならん、っちゅう法も決まりもあらへんけど」
「彼氏が欲しいのか?」
これについては、特に不思議には思わない。
この子も、年頃の女の子なんだし、むしろ自然だろう。
だが本人は、どこか気まずそうに言った。
「そないなるかなあ? 焦って今すぐ! っちゅうわけでもないんやけど、ね」
少し照れてみせる様が、やっぱり可愛いと思った。教え子なのに。
滝さんが、俺の顔をしばらく眺める。
「な、なんだ?」
「センセ? 勘違いせんとってや? センセのホンマの目的を知った以上、ウチも気分的には一蓮托生や。しゃあけど、それと、惚れた腫れたは別やからな?」
「ああ、分かってるよ」
彼女への印象は、正直かなりいい方だ。
今後、もっと仲が深まる可能性も、なきにしもあらずだが、そのあたりの線引きは、俺としても、きっちりやっておきたい。
と言うか、三穂先生に迫られた時も思ったが、やはり真虎に申し訳が立たない。
それはいいとして、滝さんが言った。
「それに……」
「ん?」
「エロ教師は、論外や」
言葉の割に、彼女は、にこやかに笑っていた。
深いところまで話してくれたことを含め、許してくれたとみるべきだろうか? 安心した。
そして、気付けば、お互いカップが空だ。
話の区切りが付いたこともあり、会計を済ませ、店を出た。
「ほなウチ、こっちやから」
分かれ道で、滝さんが山の方向を指さした。
「また明日な、センセ!」
彼女が走り出す。その背中が見えなくなってから、俺も帰ることにした。
帰宅後。明日は授業参観の日だったりするので、その準備をしている中、朝飯の備蓄が尽きかけていることに気づいた。
買いに行かなきゃならない。晩飯を食う前に、急いで、商店街のスーパーへ向かった。
荷物が多くなるのは、毎度のことだ。大ぶりのカートを引いて行く。
そして、スーパー。サバ缶のケース一つと、卵と牛乳を買えるだけ買う。
と、人が卵を手に取ろうとした時だった。別の人の手が、同時に伸びた。
それを見て、一瞬ギョッとした。
なぜなら、その手はゴツゴツに節くれ立っており、何より太かった。
間違っても、専業主夫の手じゃない。
「ああ、どうぞ」
声すら太い。ちら、と、顔を見る。
また驚いた。狛犬のような顔つきの、初老の男性だった。
鍛えに鍛えていることが、一目で分かった。
なぜ、こんな人が、スーパーに? という疑問は的外れだろう。
人間である以上、食わなきゃやっていけない。そして、食材は空から降ってこないんだから。
「ど、どうも」
とにかく、先を譲られ、卵のパックをカゴに入れた。
普通の買い物帰りだというのに、奇妙な戦慄のようなものを抱いていた。
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