第19話 伝説の流派!

 そして、喫茶店に着いた。


 個人経営の、いかにも地元密着型だが、アンティークな雰囲気がそれなりに味のあるところだ。


 中途半端な時間のせいか、静かな環境音楽が流れる十五席ほどの店内に客はまばらだった。


 ただし、やはり近隣の学校の生徒向けだからだろう、そのまばらな客も、制服姿の学生ばかりだ。


 二人掛けのテーブルに向かい合って座る。揃ってホットコーヒーを頼んだ。すぐに来る。


「それで、聞きたい事って?」


 俺から、水を向けてみる。滝さんは、あごに指を一本当てて、少し上を向いた。


「いろいろあるんやけど、絞るわな。センセ、そもそもなんでボクシング始めたん?」

「ふむ、まずはそれか」


 自分のコーヒーを一口含む。文字通り苦い思い出だが、同時に大切なそれでもある。


「俺が、中学時代に家出したことがあるって話は、したよな?」

「ああ、覚えてるで。関連すんの?」

「するんだ。密接にな」


 それから、あの時はあえて省いた詳細を、彼女に聞かせた。


 十四歳の冬、極寒のあの日の夜。


 着の身着のままで家を飛び出し、行き倒れて凍死寸前だった俺を助けてくれたのは、「蛇野道ボクシングジム」の、伊坂のおやっさんだったんだ。


 あの人に凍傷の手当てをしてもらい、ジムで振る舞われたあったかい寄せ鍋の美味さは、生涯忘れることができない。


 その頃から、俺は己の弱さを自覚していた。だから、強くなりたかった。


 そのことをおやっさんに訴えた。答えは一つだった。


「おいらが教えてやる。強くしてやるよ、ボウズ」


 数日間ジムに泊まり込んで身体が癒えるのを待った後、おやっさんに連れられて家に帰った。


 おやっさんが親に事情を説明し、両親からこってり説教を食らって土下座した後、ボクシングを習いたい事を打ち明けた。


 幸いにも承諾が得られ、その次の日から早速修行が始まったってわけだ。


 俺にとっておやっさんは、文字通り命の恩人であり、師匠だ。


 これが、あの人に一生頭が上がらない理由。


 個人的には、まだまだ恩返しができてないと思う。


「ふうん、ええ話やん。安っぽいドラマ顔負けの逸話やな」


 感心しきりの声だった。こっちもなぜか、彼女に話せたことが不思議と嬉しい。


「他に質問はあるか?」

「逆に、センセからウチに聞きたいこととか、ある?」

「そうだなあ」


 少し考える。そう言えば、滝さんは捨て子だったって話を聞いた。


「滝さん、捨て子だったんだろ? どうして、施設に送られずに、親父さんに育てられたんだ?」


 それを聞くと、こう答えられた。


「自慢にもならへんけど、ウチのおとん、めっちゃいかついんよ。いっちゃん分かりやすうに言うたら、狛犬を人間にしたみたいなナリでな? んでもって武人やさかい、雰囲気も、普通からすればかなりのもんやねん」

「ふむ、厳しい親父さんなんだな」

「まあ、理不尽には厳しないけどな。そのおとんが、修行しよおもて出向いた滝壺で、木箱に入れられて捨てられとったウチを見つけたんよ。おとんも、えらいこっちゃ、おもて、ふもとの街の施設まで預けるんを、まずは考えたんやて」

「普通はそうなるよな。でも?」

「ウチは赤ん坊やったから、当然覚えてへんけどな? ウチ、おとんの顔見て嬉しそうにわろうたんやて。抱き上げたら、もっと喜んだそうな。おとん、そないな経験まるでなくてな? めっさ感動して、これは運命や! ておもたんやて。そんで、ウチを養子にしたんよ」


 クスクスと笑いながらの滝さん。情景が目に浮かぶ。


 実際に会ったことがあるわけじゃないが、近寄りがたい無骨な武人と、それを見て無邪気に笑う赤ちゃん。


 そりゃあ、何かの縁を感じても不思議じゃない。


「そっちもいい話だな」

「おおきに。見えへん運命いうんは意外とあるもんなんやね。結果的には、ウチはおとんのおかげで、こないに立派になれた。なんぼ感謝してもしきれへんわ」


 滝さんが、優しい目をする。なんかグラッとくる。


「そう言えば、滝さん? 君の使う技は、三つほど見たが、流派名とか、あるのか?」


 伝説の、《氣》を操る武術。


 俺も、大学時代に図書館で読んだ古文書でしか知らない。そっち方面も、気になると言えばなる。


「流派名は、『煌心おうしん流空手』っちゅうねん。字は、『心の煌めき』やで」

「古文書に載ってた名前だ!」

「あ、そんな本、あんの?」


 驚きつつ、それから、「煌心流空手」について、もう少し詳しく聞いた。


 流派自体が秘伝の性質のため、日本に存在する多くの流派が参加、協力している「全空連」つまり「全日本空手道連盟」には属してはいないこと。


 ではあるものの、傘下の空手道場の師範は全員「知ってはいるが、絶対口外しない」立ち位置であること。


 その他、親父さんは、総計二十人弱の門下生に指導をしており、その月謝で生計を立てていることなど。


「なあ、どういうルートで、その門下生は集まってきてるんだ? 表立ってない、秘伝の流派なんだろ?」

「おとんな、さっき言うた、全空連の会長さんと仲がええねん。ほんで、全空連に所属しとる日本中の空手道場から、流派を問わんと、それぞれの師範が『特に見込みがある』とおもた人を、うちに推薦してくるんよ。『どないでっか?』て。ま、ほんまに煌心流に入門するどうかは、推薦された個人の自由やけど、数は少ないねん」

「それは、どうしてだ?」


 秘伝の流派に誘われたら、喜んで入門しないか?


 だが、現実問題があるのを忘れていた。滝さんが説明してくれる。


「北は北海道、南は沖縄までやから、近所やったらともかく、まず、稽古場の近辺に引っ越す必要があるやん? 加えて、みんながみんな、専業の空手家ちゃうやろ? ちゅうことは、引っ越した後、その近所で仕事も探さなあかんやん。ごっつい手間やで」

「武道を嗜む者として、伝説に触れるか? 現実路線を選ぶか? の二択か。難しいな」

「そういうこっちゃ。なんやかんや言うても、みんな、まず生活があるしな」


 今のご時世、専業の格闘家なんてのは、プロ以外にいないだろう。


 そして、その絶対数は少ない。仕事や家庭を持っていれば、おのずとフットワークは鈍る。いや、鈍くならざるをえない。


 滝さんがさらに続ける。


「それに、ヨソでの黒帯クラスが、うちに来たらまた白帯に戻るんよ。それがガマンならん、言う人もおるみたいやし、その辺諸々ひっくるめて、いかに伝説の流派とは言うても、よっぽど肝が据わってへんと『やります』とは言わんみたいやね」

「あー、黒帯まで上り詰めたプライドってやつかな? 何となく分かるな」


 俺だって、まあこれはありえない話だが、例えば、もっと有名なボクシングジムに移籍できる代わりに、今までアマチュアの試合で獲った賞を全部剥奪される! とか言われたら、断るだろう。


 それはそうと、説明が続く。


「あとな? 煌心流に入門したら、外での試合に出るんが一切禁止になんねん。表に出たらあかん流派やから」

「そりゃ、地味にきついな?」


 推薦された人間がためらう理由が、なおのこと分かるような気がした。


 なぜなら、自分の力がおおっぴらに試せなくなるんだ。


 入門したが最後、日の当たる場所に絶対に出るなってのは厳しい。


 一応、畑は違うが俺なりにフォローしておくと、対外試合に出るってのは、名誉は二の次で、純粋に自分の客観的な力を知りたいって連中がほとんどだと思う。


 それが出来ないと、どれだけ鍛錬してても、どこか不安になるんだよ。


 しかし、伝説の流派が実在していると分かると、年甲斐もなく、はしゃいだ気分になるな。ロマン的な意味で。

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