第二章 命名、破戒教師。 第10話 少女の挑戦!

「なかなかいい趣味をしているね、東郷先生」


 京香が逃げた後、一人の教師が俺の席にやってきた。


 背丈は俺より頭半分程低く、服は白衣。背中まであるロン毛で、その髪にはやたらと艶がある。


 面立ちは、一言で言えば、細身で色白の優男風。長いまつげに、切れ長の目。まぶたにはアイシャドーなんぞ乗せてやがる。


 そして高めの鼻。薄い唇には男用の口紅、手の爪には、同じく男用だろう、淡いピンクのマニキュアまで塗って、トドメにコロンのニオイがした。


 中性的な雰囲気がプンプンして、正直、苦手なタイプだ。


 だが、軟弱な体つきじゃない。無駄をそぎ落とした筋肉が付いている。


 腕っ節はかなりある方だろう。何らかの武術の心得があったとしても、全然不思議じゃない。


 心理が警報を発する。なぜなら、皮肉交じりのセリフだが、瞳に明らかな敵意が混じっていたからだ。そいつが再度口を開く。


「直接対面で話すのは、初めてになるだろうね。僕は、稲垣沙茂二いながきさもじ。君の隣の、二年D組の担任で、担当は理科だ」


 親しげな口調だが、やはりこいつの瞳のギラつきは消えない。端的に返す。


「それで、俺に何の用ですか? 稲垣先生」


 警戒心バリバリで様子を伺うと、奴はおもむろにふぁさっと髪をかき上げる。キザったらしい。


「なに、たいしたことじゃないよ。折り入って話があるんだ。今日の放課後、ちょっと屋上まで来てくれないかな? フフフッ」


 来たか、と思った。ただのヨタ話なら、わざわざ屋上である必要はない。


 何より、今現在ビシビシ感じている、こいつからの敵意が説明できん。


 なら、結論は一つだ。


「分かりました。まあ、話は改めて伺いますよ」

「ふっ、助かるよ。では、約束は守ってくれたまえ」


 それだけ言って、背を向ける稲垣。肩越しに、ぼそりと言う。


「今度は君が、二階堂君のようになるだろうね。フフフッ」


 そして奴は、自分の席に戻った。


 決定打だった。敵だ。組織が動き出した。


 つまりは、俺を消そうって事だ。そっちから来てくれるとは、きっかけ作りの手間が省けるぜ。ぶっ潰してやる。


 ある意味でソワソワしながら、放課後を待った。


 その前に、昼休みが来た。


 気分的に今日もパンだったので、カツサンドとクリームパンを買う。飲み物は、懐かしいタイプのフルーツ牛乳にした。


 確保が終わってから中庭へ向かって、ちょうどベンチに空きがあったから座り、桜を愛でつつ、そいつらをむしゃむしゃ食う。


 食い終わってちょうどぐらいのタイミングで、誰かを探している素振りの女生徒が視界に入った。


 あのポニーテールは分かりやすい。俺のクラスの滝さんだ。


「やあ、滝さん。誰を探してるんだい?」

「あっ、センセ、ここにおったんか!」


 声を掛けると、ぱっと笑顔になる滝さん。屈託のない笑顔が、結構ツボにはまる。


「誰言うて、センセを探しとったんや」

「俺を? なんでまた?」

「隣、ええ?」


 滝さんが、俺の座っているベンチを見る。隣が空いていた。


「ああ、いいぜ」

「おおきに」


 ちょこん、と、隣に滝さんが座る。


 しかし何なんだ? 不思議に思っていると、彼女が、どこか興奮気味に切り出してきた。


「センセ、ごっつ強いんやな。ウチ、見たで? センセが二階堂の奴、半殺しにしよったん。ハナからシメまで。陰からやけど。センセも、よう気付いたなあ?」

「ありゃ、そうだったのか。大人げないところを見られたかな?」


 第三者に見られていたのは分かっていたが、この娘だったのか。


 それにしても、よりにもよって女の子に、一部始終を見られていたとは。


 ばつの悪い思いでいると、滝さんが痛快そうに微笑んだ。


「いや、ようやってくれたな、センセ。ウチもな、二階堂の横暴っぷりには、前々からムカついとってん。スカッとしたわ」

「そ、それはどうも?」


 これ、褒められてるのか? なんか戸惑う。


「ウチもなあ、チョクで二階堂の奴をボコれたら! って、今までなんぼおもたか知れんわ。しゃあけどウチ、生徒やろ? 下手に暴れたら処分食らうやん? それがずーっと歯がゆうてしゃあなかったんや。それをまさか、センセが天誅下してくれるとはなあ」


 まさしく胸のつかえが取れた、と言わんばかりの滝さんだった。感心の言葉は続く。


「しかしセンセも、初日の授業っぷりから思たけど、一言で言うたら型破りやな。ウチ、センセみたいな教師見たことあらへんわ。好き放題やっとるみたいやけど、ええの? 校長とか教頭になんも言われへんの?」

「ああ、それについちゃ問題ない。校長も教頭も、俺には口出しできんようにしたんだ」

「へ? どないして?」

「あー、軽く言うとだな。弱みを握って黙らせたんだよ」

「うっわ、えげつな! かえって清々しいぐらいにえぐいなあ!」


 驚く滝さんだったが、まじまじと俺の顔を見る。なんかくすぐったい。


「戒律を守らへん生臭坊主のことを『破戒僧』て言うけど、センセはさしずめ『破戒教師』やな。おもろいわ。応援したってもええで?」

「あ、おう。ありがとよ」


 なんだろう。この子にこんな風に言われると、やたら心に響く。


 しかし「破戒教師」か。上手いこと名付けられたもんだが、悪くない。気に入った。


「ところで、滝さん? さっき、二階堂を直でボコりたかったって言ってたよな? ケンカの腕がそこそこある男に、君みたいな女の子が太刀打ちできるのか?」


 話を戻しての、この疑問に、滝さんは軽く、だか得意げに鼻を鳴らした。


「自慢やないけど、ウチは強いで? こう見えて、空手の心得があるさかい。今まで、どないな勝負にも負けたことあらへん」

「へえ、意外だな」


 いや、マジで意外だった。どちらかと言うと小柄な部類に入るのに、その実態は負け知らずの空手家少女だと?


 だが、それを聞いてピンと来た。


「なあ、滝さん。まさか、俺をおだてるためだけに探してたわけじゃないだろ?」


 探りを入れてみると、果たして当たりだった。滝さんが、あの不敵な笑みを浮かべる。


「お、勘が鋭いな。正解や。用事は一つ。ウチと一発勝負してくれへん? 強い男見たら、ウチ、うずうずすんねん」

「えっ、ちょ、ま?」


 予想はできた範囲だが、思いっきり戸惑う。


 別に一戦交えることにはやぶさかじゃないが、相手は女の子だ。


 正直に告白する。俺は女が殴れないんだ。


 自分でも自覚してる弱点なんだが、昔っから変わらない。


 そもそもの発端は、ボクシングの師匠である、伊坂のおやっさんから、きつーく教えられたせいだ。


「いいか、ボウズ。どんだけ強くなっても、女を殴る奴はクズ以下だ」


 そりゃあもう、鉄則レベルで言われた。


 別に、その意見に対して反論はしない。女を殴る、あるいは自分の手駒にする輩は、もれなくクズだ。


 なぜなら、すべてがそうじゃないのはもちろんだが、一般的に、女性は弱い。


 そして、俺も含めて、何らかの格闘技、ないしは武術を習得するということは、自分の身体を武器と化すことだ。


 弱者に向けて、平気で刃を向ける、いや向けられる奴が、はたして人間的に成熟しているか?


 もっと極端な例を挙げれば、往々にして弱い者を狙い撃ちにする無差別通り魔が、まっとうな人間であるか?


 誰がどう考えても、絶対に違うだろう。つまりは、そういうことだ。


 同時に俺自身、女を殴る男を過去に見たことがあるが、例外なくクズ野郎だった。


 まあそれは置くとしてだ。ここまで真っ直ぐな手合わせの申し込みを断って、変にチキン呼ばわりされるのもシャクだ。


 ええい、とりあえず受けて、それから考えるか。


「分かった。時間と場所はどうする?」

「今、ここでええよ。センセに『参った』言わせるんに、三分もかからんし」


 断言する滝さんだった。よっぽど自信があるらしい。


「い、いいだろう。んじゃ、始めるか」

「よっしゃ!」


 ベンチから立ち上がり、揃って中庭の端の方の、人目につかないあたりへ行くことにした。

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