第一章 邪道上等、討ち入りの日 第1話 俺の日課!
「はっ!?」
次の瞬間、俺は、自分のベッドで跳ね起きた。
時計を見ると、午前四時だった。
いつもの時間に起きられたのはいいとしても、またか。また五年前の、あの夢か。
ちくしょう。よりにもよって、今朝見なくてもいい物を。
現実味を得るべく、ぐるりと部屋を見渡す。
真虎の死以来、部屋の雨戸は閉め切っているので、陽の光は入ってこない、1Kのワンルームマンション。
階層は三階。部屋は八畳のフローリング。
壁の棚には、主に大学生の頃に獲った、ボクシングの大会のトロフィーや賞状なんかが飾ってある。ちなみに、ほとんどが優勝のそれだ。
後は、ノートパソコンが置いてある机と、仕事関係の書籍なんかが入った本棚。
部屋の空気は、発している俺自身で分かるが、殺伐としている。
悲願が達成されるその日まで、これが和らぐことはないだろう。
とりあえずベッドから起き出し、歯磨きと洗顔をする。
その後、パジャマを脱いで洗濯機の中へ放り込み、ジャージに着替える。
「ふー」
脳裏にこびりついた悪夢を追い出すように息をつき、ぴしゃりと顔を両手ではたく。
そしてランニングシューズを履き、玄関の施錠確認だけはしっかりやって、家を出た。
「はっ、はっ、はっ……」
リズミカルに息をしつつ、川べりの土手を走る。
往復で約三十キロ。毎朝メシの前に走るのが日課だ。
四月。季節は春。日の出はまだなので、夜桜の趣がある桜並木が美しいが、早朝の空気はかなり冷たい。
「あ、おはようございますー」
「どうも」
向かいから走ってきた、同じくジャージ姿の、小柄な若い女性と、すれ違いざまに挨拶する。
ランニングコースが似ているせいか、この彼女とは、毎朝のように会う。挨拶以上の言葉を交わすことはないんだが。
やがて、走っていくうちに、折り返し地点が見えてきた。
街外れにある、小さなボクシングジムだ。「
やがて、その前まで来た。勝手知ったる、でドアを開けて入る。
「おはようございます、おやっさん」
中に入ると、中央にリング、周囲にはサンドバッグや各種トレーニング用の機材が整然と並んでいる。
床をモップで掃除しているのは、今年で五十四歳って言ってたかな? いかつそうな、スキンヘッドで丸く太った、だが、よく見れば優しげな目をしたトレーナーだった。
彼が俺に気付く。
「よう、ボウズ。おはよう。今朝も精が出るな?」
「いえ。と言うか、もう俺も二十七なんですから、いい加減ボウズ呼ばわりはやめてくれません?」
「がはは、うるせえよ。おいらにとっちゃ、オメエは永遠のボウズだ」
「それは失礼致しましたっと」
色々あって、この人には一生頭が上がらない。だから、豪快に笑われようが、永遠にボウズ呼ばわりされようが、何の問題もない。
おやっさんこと、
「今日から、だったよな」
「はい、そうです」
「いよいよ、か。真虎ちゃんの仇、討てるといいな」
「何が何でも、やってみせますよ」
強い決意で、答えた。
おやっさんも、俺の事情は知っている。
真虎のことも、彼女が謎の死を遂げたこと、その復讐のことなど、全部だ。
元々、ボクシングは長いことやっていた。だが、復讐を決意し、足りないと思った。
だから、徹底的に身体を鍛え直すために、俺は、まさに昨日までの五年間、文字通り血のションベンを出し尽くすまで、このジムで自分をいじめ抜いた。
ちなみにその間は、バイトで食いつないだ。少しでもトレーニングの足しになればと思い、ガテン系や、引っ越し、倉庫整理の仕事なんかをやった。
成果が上がったという実感は、ある。
再度おやっさんが、俺の全身を上から下まで見て、満足げに言う。
「仕上がってるぜ、ボウズ。身体は嘘をつかねえな。で、今朝はどうする?」
「はい。得意技の切れ味を、確認しておこうかと」
「そうか。よっしゃ、来いや!」
おやっさんが両手にミットをはめ、リングに上がる。後に続く。
そして、リング上で間合いを取る。はた目には、キャッチボールでもするのかって遠さ。だが、これがいつも通りだ。
「じゃ、まずは一発!」
「っしゃ!」
「しっ!」
静かに構え、ざうっ! と大きく一歩を踏み出し、左拳を閃かせた。スパーン! と爽快な音が、静かなジムに響き渡った。
ひゅうっ、と、おやっさんが口笛を吹く。
「確実に威力は上がってやがるな。グンバツのバズーカっぷりじゃねえか」
「もういっちょ行きます! シュッ!」
トントンと足でリズムを取りつつ、もう一度左を閃かせる。
バスン! と、おやっさんの右のミットが吹っ飛んだ。
「ってぇ……。さすがヘビー級だぜ、ボウズ。たかが左のジャブ一発が、ミット越しでこれだもんなあ? おまけにそのリーチ。特訓に特訓を重ねた甲斐は、十分以上にあったようだな。上出来だ」
「はい。全部、おやっさんのおかげです」
「べーろい、おいらの力なんざ、微々たるもんだ。これは紛れもなく、オメエの努力の成果だぜ、ボウズ」
「ありがとうございます」
「しっかしなあ、くどいようだが、こんだけの実力がありゃあ、十分プロでやっていけるぞ? だが、オメエにその気はねえんだろ? もったいねえ話だ」
何回目かは忘れたが、おやっさんが、心底残念そうに言う。
「その点だけは、すみません、おやっさん。俺の目的は、あくまでも復讐です」
「それにしたって、今日からだろ? ドタキャンは……できねえか、ははは、悪い。冗談だ」
苦笑いのおやっさんだった。別に、この人の気持ちが分からないわけじゃない。
もしプロに転向すれば、そして仮にベルトでも獲った日には、ジムの知名度も上がるし、メリットが山ほどあるのは知っている。
ただし、俺の目的とは明らかに相容れない。
とは言うものの、割り切っているつもりのおやっさんとて、未練が吹っ切れたわけじゃないのも、また分かる話だ。
ここ最近は頻繁に、割と真面目な調子で、こう言われている。今朝も言われた。
「なあ、考え直さねぇか? オメエなら、ぜってぇベルトが獲れるぜ?」
だが、やはり俺には、プロになろうという気はない。
だから、あえて軽い調子でおやっさんに返す。
「ですから、それについては、すみませんとしか。じゃあ、ちょっと機材を借りますね」
「おう、好きなだけ使え」
おやっさんに軽く頭を下げ、後は少し、サンドバッグ相手に他の技を練習する。
もう少し時間が遅かったら、所属している他のボクサー達も来るだろうから、スパーリングをさせてもらうこともできるんだが、俺のスケジュールとは合わない。
「んじゃ、今朝のところはこれで失礼します、おやっさん」
「くれぐれも気をつけろよ、ボウズ」
「はい」
時間の許す限り、気が済むまで練習してから、おやっさんに一礼し、ジムを出て帰途を走り出した。
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