無題.5

「あああぁぁぁ、ちくちょー。タイミング悪すぎやろ。なんなん、これ。なんかのドラマの撮影ですかぁ?」


 俺は君と交わっていた男を睨みつける。


 尻もちをついて汚れてしまった服や肌を軽く払っている。



「というか、磯で人を突き飛ばすとか殺人行為すぎるだろうがよぉ。あーあ、ちょっと血でてるよ。最悪だ。なにもそこまでしなくても。言葉の通じない動物じゃあないんだから。会話をしようよ、対話だよ」



 男はそのイチモツをゴソゴソとしながらズボンのなかにしまった。しばらくはズボンの膨らみは残りそうなほどの、行為直後。まだ賢者にはなっていないらしく、なおも戦闘状態を保っているようだ。


 そして彼の目もまた、俺のことを捉えて離さない。こちらも、しっかりと戦闘状態というわけだ。


 目つきがいかにも、ヤクザ然としている。身に着けている服も相当のものだ。名前は忘れてしまったが、相当なブランドを着飾っているようだ。


 あまりにも磯に不釣り合いな格好をした男。




「お前は誰だ。どうしてこんなところで、俺の彼女としている」



 

 俺は冷たい声でそう言った。何を言えば分からない状態でそう言った。


 こういう場合、自分の女を取られた男が言う言葉として、正解なのは果たしてどういう言葉なのだろうか。


 何を言っても、俺が不利なような気もする。惨めな気がする。でも、俺は感情をそのままにぶつけないと気が済まない。どれだけかっこ悪くても、言いたいことをぶつけないと気が済まない。俺はいま、そんな気持ちだ。


 ……


 ……


 ……


 こんな理不尽なことがあって許されるか。どうして帰省直後のタイミングで、遠距離恋愛をしていた彼女のことを寝取られるやつがいるというのだろう。


 あまりにも凄惨すぎる。残酷すぎる。一気に地獄に突き落とされた気分だ。


 しかし、俺がそんな気分であるにも関わらず……


 相手の男は、憎たらしい、相手の神経を逆撫でするような態度、表情、言動をしている。


 理不尽を人格化するとしたら、こういう男の存在自体を指すのだろう。


 俺は強く、そう感じた。



「この際、名前なんてもんは、必要ないだろう?大切なのは言葉だ。言葉の拳で殴り合うことだぜ」

「…………」

「おいおい、ヤーさんみたいな面してるぜぇ」

「どうしてお前みたいなやつが、殴りかかってこない。どうしてだ。お前みたいな地方のボンボンはすぐに殴り掛かると相場が決まっているものだろ」

「あはははははっは。おもろいこというなぁ、あんた。傑作やで。この状況でそんな相場とか考えてるで。あはははっ。傑作やで」



 この土地の言葉が耳障りだ。


 この男の声が耳障りだ。いちいち気に障る。


 どうしてだ。どうして俺はこんな男相手に馬鹿にされている。俺のほうが正当性はあるはずなのに。どうして、俺は一言も相手の心をエグることができない。


 どうして、こうも俺ばかりが……


 怒っているんだ。



「…………」

「はぁ、まぁええわ。あんたが彼女思いなことは、よう分かったわ。ごめんごめん。俺が悪かった。ヤる前にひとこと、あんたに連絡入れるべきやったわ」

「……もーええわ」

「おー、言葉もどってる。……やんのか、われぇ!」



 さすがに堪忍袋の緒が切れた。こいつには一回痛い目見せてやる必要がある。


 体で、力で、分からせたらな、あかん。


 俺はそんな、今までは一度も思ったことのないような思考回路を辿って、拳を握りしめた。


 自分でも分かっている。


 自分が馬鹿になっていると。後先考えずに、今目の前にいる男をどうにかしてやりたい感情に駆られていると……


 あまりにも動物的なっていると……

 

 理解しているのに、止められないんだ。


 そうして俺が今にも男に殴りかかろうとした瞬間だった。



「やめて!!!!二人とも!!!」



 君が俺のことを振り払って、俺たちの間に立ちふさがった。


 下半身を放り出したまま、立ちふさがった。



「ごめん。私が全ていけないんだ。私がいけないの。そう、全ては私の責任。彼は悪くないの。私がシてもいいって言ってしまったの。だから、彼は悪くない。怒らないであげて」



 赤い夕陽が君のことを照らす。


 真っ赤に染まった君の瞳には、たくさんの涙が浮かんでいた。


 ほろほろと、灼熱の涙がこぼれていた。



「おいおいおい。女の子にこんな恥ずかしいことさせんなよぉー」

「あなたはいい加減黙ってなさい!」

「へいへい」



 ……


 ……


 ……


 

 なんだ、これは。どうして君が庇う。そんなやつのことを庇う。


 俺はどこか別の世界にでも紛れ込んでしまったというのか。ここはパラレルワールドだったりしないか。まさか、そんなわけがない。


 ここは現実だ。彼女の声も、存在も、立ち振る舞いも……


 全てが、あのときの彼女のままだ。体つきは少しだけ太っただろうか。しかし、この際そんなことはどうでもいい。


 これは紛れもない、君だ。


 そして君は……



「ごめん。私が全部悪いの。だからね……。少し落ちついて欲しいの。何も言い訳はしないから。正直に全て話すから。ごめん。こんなことしておいて、なに上から語ってんだって思うかもしれないけど。私は二人にケガなんてしてほしくないの。ね、わかって」



 そんなことを真面目な顔で言った。


 下半身を露出させて……


 夕日に照らされた、下半身を解放させて……


 そんなことを真面目な顔で言ったんだ。




「…………」



 俺は何も言えなかった。


 そんな君の姿を見て……


 俺は言葉を失ってしまったんだ。



『カナカナカナカナカナ……』



 ヒグラシが鳴いている。


 水平線に差し掛かっていた太陽はいつの間にか、この一瞬でその姿を向こうへと沈めてしまった。


 夜がやってくる。


 田舎の真っ暗な夜がやってくる。暗闇が俺たちを飲み込んでしまう。



「おうおうおうおう。なんか白けてきたのう。ほんなら、俺は帰るで」


 

 男はそう言って、踵を返した。あまりにも割り切りすぎている。物事の切り替えが早すぎて怖いと思えるほどに、一気に俺への関心が消え去っていた。


 まるで、もう面倒ごとには突っ込みたくないと、そんな大人の態度でも取るかのように。



 ……


 ……


「あ、そうそう。おい、あんた」



 しかし、その男は思い出したかのように俺の方へ振り返って、最後の言葉を吐き捨てた。最後に言うだけいって、自分が気持ち良くなるための言葉。吐くだけ吐いた、責任の含まれない言葉。


 そんな雑で無遠慮で残酷な言葉を……


 男は吐き捨てた。


「俺がこんなん言うのもあれやけどなぁ。よう話し合えや、あんたら。まだまだチンチクリンのガキやろぉ。まだまだ大人じゃないんやから、言いたいこと正直に言えるんとちゃうか。それと、あれやで。いうのんは、見かけじゃあかんで。つながりっていうのは、その繋がり方の種類が多ければ多いほど強固になってくもんやで。そんでそれが健全な精神的なもんやったら完璧やなぁ。要は正面から向き合え言う話や」



『カナカナカナカナカナ……』



「あ、そやそや。あんたら高校生のときやりまくってたらしいやん。……あはは、セッ〇スだけじゃあかんに決まってるやろ。あれは下手にやると二人ともを動物にしてまう薬物と一緒やで。人間なんやから、もっとうまくやらな。あはは……あほか、あんたら。せやからな。まぁ先輩からのアドバイスやと思ってな。受け取ってや、この言葉。それとごめんな、彼女さんのこと使ってしもて……。まぁ、なんや」



『カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ……』



「たかがセッ〇スやろ。許してや」

「…………こいつっ!!!!」

「やめて!!!!!!!」

「おわああああぁぁぁ、こわいこわい。かえろかえろ」

「おいこら!!まて!!!!おい!!!!」



 男はそんな言葉を置き残して、そそくさと歩いていく。



「あいたっ。あーー。ちくしょっ。あいつほんまに殺しにきとるんちゃうか。痛い痛い。血でとるやんけ」



 ブツブツと独りごとが磯に響き渡って…………


 ついには、男は磯の陰へと消えていった。


 理不尽が去っていった。



「おい!!!!まて!!!!!!!おらぁああああああ!!!!!」



 ……


 ……


 理不尽と思えるものは、いつも決まって向こうからやってきて、そして必ず向こうから帰っていく。


 どこか知らないところへ、帰っていくように見えるんだ。


 ……


 ……



『カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ』



 ……


 ……


 ……



 夕焼けが俺たちのことを相変わらず、赤く照らしている。



「おかえり」



 少し赤みを失った、君のその顔と下半身は今までよりも少し暗く、儚げに映るようになった。



「ごめんね、こんなことになってしまって」



 君の頬には涙が流れ続けている。とどまることをしらない。


 赤くに染まった、太陽の涙が流れている。


 まだまだ海に反射して伝わる、夕焼けの存在が残る時分。


 俺は君とやっとのことで、二人っきりの再会を果たし……


 そして、今。


 初めて本当の意味で君と向き合おうとしていた。


 悔しくも、あの男の言う通りになろうとしていた。




「…………」



 俺はまだ、何も何も……


 言葉が出てこなかった。



『カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ……』



 黄昏時。


 ひぐらしのなく頃に。


 その大きな、壮大の自然のなかで……


 景色のなかで……


 二人の人生が再び交錯を始めたのだった。



【続く】

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