無題.4

『カナカナカナカナカナ……』

『ザパーンザパーン……』


 俺は磯までやってきた。


 何も変わっていない。


 あのころのままだ。



「君とずっとこの場所に通って遊んでいたのを思い出す。楽しかったな」



 都会の喧騒から離れて、田舎に帰ってくるとどうして、こんなちょっとしたことでも感慨深くなってしまうのだろうか。


 そこは言ってしまえば、ありふれた田舎の風景だ。しかし俺にとっては大切な場所だ。大切にしたい、一生心のなかに留めておきたい記憶がある場所だ。



「帰ってきたんだな」



 そうだ。ちょうどあの頃も、こんな夕焼けのなかで君と一緒にエッチをしていたような気がする。


 あの頃、学校帰りのバスを降りたら、すぐに磯なり神社なりに行ってエッチをしていた。


 なにせここは漁師町だから。家には常に誰かいた。三世代世帯がまだまだ残っているところも多い。

 

 だから俺たちはそういうことのできる場所をなるべく探し回った。とてもじゃないが、室内でそういうことができる場所がなかった。本当に生きにくい場所だったと思う。


 学生ならではの、隠れながらのスリルあるエッチだった。といっても、人気ひとけのない場所がいくらでもあるから、人にバレることなんてそうそうなかったが……



「夕日を見るとどうしても、黄昏てしまう。人間とはそういう生き物らしい。果たしてこれは俺だけなんだろうか」



 都会では、夕日なんて建物に反射する間接的なものでしかない。そのままに沈んでいく夕日を見る機会なんて、お金持ちになってタワマンなり背の高い建造物に住まないかぎりないのではないだろうか。



「君はこの磯で何をしている? 釣りでもしているのだろうか。もしかするとこの3か月の間に磯釣りに目覚めて、でっかいヒラスズキでも釣ってしまったんだろうか。確かにアレを釣ってしまうと、もう逃れられない。釣りは麻薬だ」


 俺はそんな呑気な妄想をしながら、君を探した。


 ……


 ……


「そんなわけないか。君がヒラスズキを釣り上げている姿なんて少しも想像できないや。シュールすぎる」


 ……


 ……


 夕日が眩しい。


 俺のことを映画の主人公のように照らしている。


 今ならタルコフスキーを呼んでもカメラを回してくれるような気がする。


 どうだろうか。そんなわけないか。俺はただのそこらへんの、どこにでもいる大学生だ。


 夢を抱いて都会へ出ていった、大きな時代の流れのなかにいる一匹の動物だ。この時代の生き方の濁流に呑まれて、まだまだ自分が何者あるのか分からずにいる、憐れな生命だ。


 そんな俺を果たして誰が見ているというのだろう。誰が撮りたいというのだろう。君でさえ、俺のことを見てくれなくなったというのに。世の中の誰が多くの若者のうちの一人に、期待をするというのだろう。


 世の中の期待とはなんだ。ことを捨てきれずにいる、この俺という存在はなんだ。こんなことを気にしながら生きていく人間という存在はどこまでも惨めだ。その欲望を見て見ぬ振りをしてしまうのも惨めだ。そして、それを俯瞰して眺めて分析をして、何かを悟ったようになる態度も惨めだ。


 世の中のこと、世の中にいる存在のこと、それを自分なりに考えていけばいくほど、俺は惨めになっていく。


 ……


 ……


 駄目だ。せっかく故郷に帰って来たというのに、向こうのネガティブな気持ちをまだまだ引きずってしまっている。


 もしかするとは向こうが原因で生じているものではないのかもしれない。ただ、家族と彼女と離れて寂しいことが原因ではないのかもしれない。


 考えているようで実は何も考えずにこの道を歩んでしまっている、この時代のレールでしか生きられない存在であることにこそ、原因があるような気がしてくる。時代のなかにいきる、どこかぼんやりとした存在。どうしたら満たされるのか分からない存在。


 わからないからこそ、幸せを求めて幸せであると思い込む存在。幸せと思い込むことが出来ずに不幸せになっていく存在。そんな思い込みの過程を俯瞰した場所から眺めて鬱になっていくニヒリスト。


 このどうしようもない、大きな濁流のなかで、なんとなく今を生きている俺という不明瞭な存在。そのなかで情熱という名の己を突き動かすためのガソリンを求めて止まない存在。それに対する不安、失望、絶望、そして少しの希望。


 果たしてその情熱に従うだけでいいのかという問い。思い込みでしか幸せになれない俺たち人間の在り方とはどうあるべきか。色々なネガティブが心を支配していく。


 そしてその心の奥底にある複雑な感情が、向こうにいくことで表面化しただけのように思えて仕方がない。俺のホームシックは思えば、そういうもののような気がする。


 

 ……


 ……


 ……



「妄想がはかどってしまう。せっかく故郷に帰ってきたというのに、考えることといえば、自分の生き方だったり将来のことだったり、そんなことばかりだ」



 ……


 ……


 ……



 しかし、一向に君が見つからない。


 こんなバカなことを考えていないで、早く君と一緒にこの夕日を見て、いろいろなことを話したい。


 語り合いたい。


 この3か月に何があったのか、じっくりとゆっくりと。


 俺が忙しくて、できなかった話。全部全部。



『カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ……』



 ヒグラシの鳴き声がよりいっそう強く、鼓膜を震わしたと思った、次の瞬間だった。



 あの場所。俺と君が、高校3年生の夏にひたすらに、体と体を交わらせてきた、あの少し奥まった磯の……



 秘密の場所で。




「あああああああああっああああああああああっ」




 君が後ろから男に突かれていた。君は甘い声をあげている。いや、叫びに近いだろうか。だろうことが、わかってしまう。そんな声を遠慮なく大自然に向けてはなっている。




『カナカナカナカナカナ……』

『ザパーンザパーン……』




「あああああああああっああああああああああっ」



 男は声を何も出しいない。静かに静かに……



 腰をふっている。


 

 本能的に……



 ただただ、ひたすらに……



 腰を振っているように見えた。




『カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ』




 なんだこれは。



 一体俺は何をみている。見せられている。



 君が俺とは違う男と本能的に交わっている。しかも大自然のなかで。




『シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』




 大きな波が磯で膨れ上がって、たくさんの潮をまき散らした。



『ザザザザザザアアアアアアアアアアアアアア……』




 打ち上げられた潮が海に帰っていく。引いていく……



「はぁはぁはぁ……」



 驚きすぎて何も声が出ない。


 君が俺以外の男と、エッチをしている。


 なぜ。どうして!!!




「もっともっと!!!!彼のことを忘れられるくらいに!!!!」



 君はそんなことを言う。



「もうめちゃくちゃにして!!!!!!!!!」



 なぜ、そういうことを言うんだ!?


 俺が一体なにを君にしたというのだ。


 どういう風の吹き回しだ。


 この状況を俺は、どう理解したらいい?


 寝取られ?


 浮気?


 略奪?


 ……


 ……


 ……


 ああ、うまく言葉を紡ぐことができない。感情がひどく複雑に交錯して、言葉が意味をなさない。言葉が飾り物になってしまう。


 君は君は……


 一体何者だ?


 誰だ?



「このやろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 俺は気が付けば、二人めがけて走り出していた。


 ゴツゴツした磯の岩々を飛び越えて……


 その秘密の場所まで走っていった。


 夕日が俺たち3人のことを赤く、強く、照らしている。



「それを、ぬけぇえええええええええええええええええ」


「えっ?」

「はっ?」



『ずぽおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!』



「ああああああああああああああああああああああっっ」

「う、うおわぁあああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 君が悲鳴に似た喘ぎをあげた。もうめちゃくちゃだ。その相手の男は間抜けな声をあげて、磯に尻もちをついた。


 状況が歪すぎて、今の気持ちをどう説明すればいいかわからない……



「はぁはぁはぁはぁ……」



 見知らぬ男を後ろへ突き飛ばした俺は、君のことを守るようにして男を睨みつける。



「なんだ!!!!お前は!!!!!!誰だ!!!!!!どこのどいつだ!!!」



 俺の声があたりに響き渡った。


 ……


 ……


 ……



 どこまでも滑稽に見える、そんな3人。



 大自然はただただ、そこにありながら……



『カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ』

『シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』

『ザザザザザザアアアアアアアアアアアアアア……』

『ザパーンザパーン……ザパーンザパーン……』

『カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ』



 様々な音を奏でて、彼らを見守っている。いや、傍観している。



 水平線にそろそろ沈もうかとしている太陽が、灼熱の炎としてその存在を示していた。



 赤い、赤い……



 情熱のような太陽が燃えていた。



【続く】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る