第13話 ひとりぼっちのたいよう/もちっぱち先生

もちっぱちさんは優しく簡明な言葉で詩を書かれておられ、犀川の好みloveなのです。特に「単方向と双方向」という作品がすごく好きでなんですよ。


ひとりぼっちのたいよう

https://kakuyomu.jp/works/16818023213364820272


 これねぇ(いきなりフランクな口調ですいません)、小学校の教科書に載せてほしいやつでしょう。そして、大人が読んでも味わい深く、さわやかな感動を覚えながらも、心の隅で「あっいけない!」という深い「戒め」を感じる作品ではないですか。「たいよう」と「わくせい」と「ほし」の立ち位置と相手にどうみられているかなどは、道徳規範や実社会での在り方をやんわりと教えてくれております。いや、そんな斜め上から読まなくとも、「じぶんがなんともおもっていないことでも、ほかのひとからみるとうらやましいとおもうことだってあるんだ」というストレートな微笑ましさを堪能すればいいと思います。そして、最後の一文が、


 深い。


 もちっぱちさんには申し訳ないけれど、これ、わたしなんかが褒めるよりも、皆さんに是非とも読んでほしい作品です。犀川、ぶっ刺さりました! わたしの話はもういいから、まだ読んでない人は先に読んでください……。


ごくごく ふつうに そのままの 

テンションで ありのまま すごしている


 これって、作家としては書けそうで書けないし、読者としてはうっかり読み飛ばしそうだけれど、かなり深いんですよね。「ありのままの存在が差別の対象になる」ということを暗示していると思うんですよ。あ、いや、そんな「汚れた大人の視点」で見て良い作品ではないと思うのですが、犀川は「うっ」ってなったんですよ。「うっ」って。わかりますか?(笑)


たいようさん なんか 

いなくなって ほしい


 羨ましさから嫉妬へ、そして嫌悪へ。そういったことを優しく、そして厳しく表現している気がいたします。

 

ひからなくても いいから

ぼくたち わくせいを みとめてほしい


「ひからなくても いい」というのは嘘。だけど、それくらいに自らを認めて欲しいという自我――え、なにこれ。もしかしてわたし、「新世紀エヴァンゲリオン」を深読みして滔々と語るオタクみたいになってません!?


むりだと おもっても

ねがいを おもい つづけるのは

だれにも めいわく かけて ないよね


 「ほし」がまた偉いのよ!


はないきを あらくさせて

いつものように ひかりはじめた


 これもね。「ほし」に諭されて元気の出た「たいよう」という場面として微笑ましく受け取ればいいんですけど、「汚れた大人の視点」で見ると、人をその気にさせる処世術=人間の単純さや愚かさを暗示しているような気がしてならないわけです。いや、これって、褒める側犀川の人格の汚さを疑われるやつじゃないですか(笑)。


にんげんも おなじだよ


 この一行がなければ、穏やかで美しい庭園に降り注ぐ、柔らかい太陽の光のような作品だったと思うのですが、この一行でいきなりひっぱたかれたような気がしました。まいったね。こりゃ。


 ということで、わたしの人格のメッキがこれ以上剥がれないためにもここまでにしたく思います。もちっぱちさん、素敵な作品、ありがとうございました!

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