第9話 流転の星々/西野ゆう先生

 西野ゆうさんは朝吹さまのところでわたしを知ってくださったようで、改めて朝吹さまのご温情に感謝いたします。


流転の星々

https://kakuyomu.jp/works/16818023214040515649


恋もどき流転の星よアンタレス


 この句、一瞬ドキッとしてしまいまいた。わたしは蠍座でB型の女という残念スペックでして、アンタレスの「火星もどき」に「恋もどき」という強めのワンツーを喰らったような気持になりました。どちらも「もどき」なのに、そこに彷徨っている愚かさよ、みたいな感じがまた重たいストレートで殴られたような衝撃を受けるのです。

 ですが、人間は所詮あまたの星々を見て「かにに見えるから、かに座!」とやっているわけで、「もどき」の中で生きている生き物だと思うのです。そんな実像と虚像の両面を詠んでいるような広く深い句だとわたしは思いました。



満面の “ear to ear” 笑顔ってグラス一杯押し込めた星


 英語を入れるおしゃれさにグラス一杯押し込めた星というのがまたおしゃれな短歌ですね。このグラスはシャンパングラスでしょうか。その中に押し込められた星の輝きを人の笑顔に例える。語彙が貧しくて恥ずかしいのですが、やっぱりおしゃれだとおもうのです。

 ear to earというのは耳に届く位に口の端が吊り上る=笑顔ということらしいです。無教養なわたしは始めて知りました。勉強になります。


詩 「私の小さな星の肌で」


 わが子を慈しむ母の語りを小指の爪を通して表現されております。そして最後には「私の小さな星」と語りかけて終わります。母の深い愛を感じますね。


他のどの場所とも違う姿をした肌


 この一節に何をこめているか、「どの場所とも違う」とは何故なのか。深いテーマが隠されているように思いました。ただ無知なわたしには想像ができませんでした。爪と肌にわが子の成長を例えているところに、唯一な存在への特別感を表しているのでしょうか。


私は君を手のひらの上で転がしたりはしない


 母の自戒なのか慈愛なのか。ひとりの母としてハッといたしました。もしかしたらわたしはいつのまにか子供達を手のひらに戻して転がしたいと思っているのではないかという気持ちになり、改めて考えさせられました。


星が瞬く間ずっと私の命を転がし続けていたい


 この一節が凄く素敵ですよね。我が命尽きるまでという思いの深さを感じました。母として、あとどれくらい転がし続けられるのか、我が身に置き換えて考えたくなる表現です。


 素敵な作品をありがとうございます。改めて参加頂いたことに感謝いたします。

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