第8話 ロストスターズ/虹乃ノラン先生
虹乃ノランさんとは「骨を孕む」というエッセイで出会いまして、そのクオリティの高さに驚き、近況ノートに紹介させて頂いたのがきっかけでした。ハイレベルながらもわかりやすい語り口で作品を書かれているのがすごいなと思った次第です。
詩 「Lost Stars」
https://kakuyomu.jp/works/16818023214031544165
この詩を拝読しました時、「あ、この作品なら、わたしが頓珍漢な解釈をしても受けとめてくれるような気がする」と思いました。俳句・短歌もそうだと思いますが、特に詩というのは、書いている側の意図や思惑あるいは感性があって、読者はその轍に沿った形で己が表現で感想や理解を示していくのもだろうと思います。しかしながら、それって「出題者の意図を汲んで解答せよ」というつまらぬ作業ではないですか。学校の試験じゃあるまいし、何故読者が、作者のご機嫌を損ねるような理解をしてはいけないのか。わたしは詩に対してそんなことをずっとずっと思ってきたのです。ですから、この詩を見たとき、わたしの長年の鬱憤を晴らしてもいいのではないか、と期待をしてしまいました。失礼極まりないとは思いますが、「作者の意図とは違う感想をもらって作者が失笑する」みたいなことが詩の世界にあるのであれば、詩とはなんて傲慢なものなのだろうと思うわけです。
とはいいながらも、自分の勝手な想いを投影するのも失礼ですし大人気ありませんので、そのあたりのバランスをとりながら褒めさせていただければと思います。(前置きが長くてすいません)
この詩、愛の終着地点ともいえる「同化」について表現しているのではないかと思いました。平たく言えば、「好きすぎてとって食べちゃたくなる」ということではないかと。そして、星やビックバンという表現で愛へのジレンマを表現されているのだと思います。恋愛小説における「好きだから何もかもが一緒になりたい」という感情やエネルギーを詩で表すとこうなるんだなと感動いたしました。
そして、面白いのが「ぼく」の表現と「逃げた」という結論。「ぼく」は「僕」でもなく「俺」でもありません。「ぼく」の指し示す年齢があまりにも若いように感じるのです。それでいながら、「ぼく」は君の中にあるブラックホールの存在を理解し、そこに冷静な恐怖心を抱いています。物心共に重なり合い解けて同化していくのを怖いと思っているのです。そんな人間が「ぼく」と表現しているところにわたしはすごく惹かれました。この「ぼく」は虹乃さんにとって、何歳くらいで、どんな人格の人をイメージしているのか。そんな疑問と好奇心が沸いてくるのです。
「逃げた」という結論についても、「ぼく」は「君」が怖いと思いながらも自分が悪いと思っています。溶け込んでいけない勇気のなさを申し訳なく思っているのです。そこになんといいますか、「大人っぽさ」を感じたのです。そこに「ぼく」という表現とのアンバランさがあって、大きな魅力を引き出しているのではないでしょうか。
最後に、「君」の膨大な重力のある愛は、そのまま核融合による爆発をしてしまうのだと思いました。それってどういうことか。それは太陽が光っている(※太陽は燃えているわけではない)プロセスと同じなのです。それを「僕」は地球から眺めているのではいか。そんな荒唐無稽なことをわたしは想像して、理系的な感性でこの詩を捉えるのでありました。
とても素敵で心を掴んで離さない人間の愛の詩でありました。稚拙な表現と解釈、お許し願えれば幸いです。
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