第5話 作品集「溢盃」/上月祈 かみづきいのり先生
「溢盃」
https://kakuyomu.jp/works/16818023213892330241
上月祈さんはとにかく誠実で真面目に作品に取り組まれている方だと思っております。今回も溢れる情熱が一杯の作品になっております。
我が身とて
うつりにけりな
亡き君の
思いしたたる
目一杯かな
「うつりにけりな」に百人一首の小野小町を思い出しますが、こちらは花ではなく、わが身が「うつりにけりな」ということで、気がついたらこんなに老いてしまったよ、という感じなのでしょうか。
「思いしたたる目一杯かな」は方までもなく、君のいなくなった寂しさや悲しさが再来してしまったのでしょうか。人の世の流れと無情を感じますね。
そして目一杯に「目にいっぱい」と「めいいっぱい」の二つを感じまして特に後者に感情を揺さぶられます。ウチの旦那もわたしが先にいなくなったら、こんなふうに全力で泣いてくれるでしょうか(笑)。
姉御肌
隣に座った
面影に
たった一杯で
夜も眠れず
すいません。他の方との字数のバランスの関係で、いくつかの作品を選んで書かせていただきます。
この短歌いいですね。解説通り、下の句は上喜撰(蒸気船)からの使用とのことですが、姉御「肌」と「一杯」を使われております。この姉御肌の「肌」はたまたま隣に座った快活な女性の肌を指しているのか、あるいは会話をしている中で感じた性格としての姉御肌なのか、どちらにもとることができますよね。解説ではお酌を、ということで「そういうお店」のお姉さんかもしれませんが、なにやらドキドキがこちらにも伝わってまいります。わたしとしては、バーでたまたま横の席にいたノースーブのお姉さんが憂鬱そうにメンソール系の煙草をふかしながら宙を見ている(描写が細かい!)さまを見た純朴な青年(小瓶のビール)というシチュエーション萌えをしたいです。この姉さん。チラっと青年を見て「まだねんねかな」なんて、一夜のパートナーには物足りないと諦め、また宙を見るみたいなシーンを……(妄想が長い)
幼き日
退屈だった
されど今
肌身いっぱい
おもひでぽろぽろ
解説通りの短歌と思いますが、「肌身いっぱい」というところに、実感や歳をとったなあ、という慨嘆を感じられます。わかります。わたしにとっては銀河鉄道999がこれになります。子供のころは車掌さんと美しいメーテルにしか目がいきませんでしたが(笑)、大人になって見直すと、深いテーマが描かれていて、「え? そんな話だったの!?」とびっくりした記憶が蘇りました。
人は死ぬまで「あれはそういうことだったのか!」の繰り返しなのかもしれませんね。そんなことを再確認させてくれるとてもシンプルながら味わい深い短歌だと思いました。いいですね。共感が持てます。
ありがとうございました。これからも短歌や詩への追求、応援させていただきます!
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