第4話 椿と北極星/鍋谷葵先生

 鍋谷さんとの出会いはスティリアさまの必死に書いてボコられるというドMにはたまらない鬼企画の終盤に燦然と現れた時でして、非情に衝撃を受けました。率直で簡明。そして丁寧な小説という、わたしが好きなタイプの作品なのが印象的でした。

 

詩 「椿と北極星」

https://kakuyomu.jp/works/16818023214020434497


 まずはタイトルがいいですね! 冬の寒さの中に色濃く咲く椿と堂々と同じ方向を指し示す北極星。このコントラストだけで「うん、好き!」ってなりました。ちなみに調べて知ったのですが、北極星も静止しているわけではないので微小ながらズレていってるそうです。一万年後くらいには北極星はベガになるのだとか。


 さて、本作品に戻りましょう。この詩、一通り拝読した後に思いましたのは、「誰がどのような位置から椿に語りかけているのか」です。鍋谷さんの年齢を存知上げないのですが、すべて若者視線で語っているような気がいたしました。


 一連目ですが、若者(二十代後半程度)がある種の「俺のようになるなよ!」という、どこか自虐と後悔をこめた感情で新しい生命に語りかけているようにも思えます。あるいは老練な人間が辛苦を味わい尽くした上で、敢えて純粋な希望と期待を篭めた父親のような優しく厳しい語りかけをしているようにも思えます。語りかけているのが誰であるかによって意味合いも色合いも変わる気がいたしました。どちらから語っているにせよ、何か若々しい精神性を感じてほほえましくなりました。そこには鍋谷さんの率直な人間性が滲み出ているようで、椿のような鮮やな赤の美しさを感じるのでした。


散りゆく花よ、雨垂れを受け止めろ!

盛りの終わりは夜風をほのかに香りづける。

ただ倦怠の夜を呪いながら、

木肌を潤す無情の露を知れ!


 二連目ですが、解説から無為で未熟な自分への自省を表現していると拝察いたしますが、わたしはそれだけではなく、「それだけではなかったはずだ」という自分への励ましの声が聞こえてきました。過去に対する未練だけではなく、自分は少なくとも雨垂れのような試練を何度かはくぐってきたはず。無情の露といいながらも、それが自分=椿を成長させてきた糧であったことは確かなはずだ。そんな思いを感じるのです。

 若さとは未熟で無鉄砲で空虚です。そのことを恥じてこのような叱咤を自分に向けているかもしれません。ですが、それでも椿は美しく瑞々しさをもって咲いているのです。それで十分ではありませんか!


慟哭さえ受け止める聖なる沈黙よ、

地に落ちた我らに北極星授けたまえ。


 わたしが年をとったせいでしょうか。三連目にも老練さの完成美よりも老いへの恐怖や惨めさを詩っているように感じます。若者のイメージする老い、とでもいいましょうか。北極星に不動の哲学や完成した人格を想像させます。ここになんといいますか、良い意味での「青さ」を感じます。老いとは終末ではなく人間の雑念が削ぎ落とされた完成形であり、北極星になりたいと思う克己心は、やがて自分も所詮は移ろいゆく星となんら変わらないという諦観という納得に昇華されていくことをまだ知らぬ者の叫びにも思えるのです。


 ですが、わたしのいうような年寄り臭い理屈などはどうでもいいのです。この詩には深い期待と諦めそして希望や自戒という、素直な感性が美しく散りばめられています。この椿をどう見るのか。わたしはそれ自体が素晴らしいことなのだと、この詩によって学ばしていただきました。


 ありがとうございます。今後の更なるご活躍を期待しております!


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