第9話 希死壊生/代打要請

 死にたい。その思いに囚われたのはいつからだったろう。最初にあったのは復讐心。目には目を。加虐には加虐を。それが虚しい妄想だと気付いた頃、自分を産んだ親への怨恨が頭をもたげた。世間体ばかり気にする矮小な人物。自分が死んだらどのくらい悲しんでくれるのだろうか。それは少しばかり気になったが、当然ながら知る術はなかった。


 無論、自分自身への嫌悪感もある。それは言うまでもない。もっと力が強かったら。もっと体格がよかったら。もっと容姿に恵まれていたら。もっと明るい性格だったら。もっと裕福だったら。もっと。もっと——。人生に失望できるだけの条件はそろっている。


 憎悪の増幅。怨嗟の連鎖。それらは止め処なく膨張し、身に余る。何もかもがくだらなく感じてしまう。「死にたい」ただその感情だけが純潔に思えたし、「みんな死ねばいい」その願いだけが正義に思えた。


    ◇


 結論から言ってしまうと、私はひどい女だった。巴は反省している。皇がきっと楽しみにしていたであろうデートを途中で切り上げてしまったのだ。巴にとっては「お付き合いしている人」とのデートこそ初めてだったが、それ以外では何度か遊んだことがあったため、特段緊張などはしなかった。しかし皇はそうではなかったようで、なかなか目を合わせてくれなかったし、ぼーっとしていそうな場面も多かった。

「どうしたの?」って聞いたら「すみません! 先輩の可愛さに圧倒されちゃって」とか言うし。

「私なんかに負けないの。がんばって!」って応援しといたけどね。


 そんなこんなで1時間ほどファミレスでイチャついていたわけだけど、それで終わってしまった。


 電話を取ったのがいけなかった。皇が「いいですよ」と言ってくれたからって、のこのこ電話に出た巴のミスだ。


 それはアルバイト先の店長・佐々からだった。

「三船さん? 佐々だけど、もう学校終わった?」

「終わってますけど、どうしたんですか?」

「それがさー、飯野さん子供が熱出したとかで帰っちゃって。1人足りてないから出られないかな?」

「え。今からですか?」

「そうそう。お金ないって言ってたじゃん?」

「そりゃ言いましたけど……」

「テスト前のお休みOKしたじゃん?」

「うっ。でも今からはちょっと……」

「頼むよー。三船さんしか来てくれそうな人いないんだよー。三船さん呼び込みやるとお客さん入るしさー。お願いだよー」

 この人も必死か。あとドラッグストアのバイトに呼び込みさせないで。あれ結構恥ずかしいんだから。

「僕だったら大丈夫なんで。気にしないでください!」

 皇が謎の援護射撃をしてくる。この場合は店長の援護になってるんだけど、お気づきかな?

「分かりました……。でも呼び込みはしません……」

「OK! 人数ギリギリだからそんなことする暇ないよ! ありがとね。じゃあ待ってる!」

 通話が切れた。

「皇くん……。ごめん……」

「先輩! そんな泣きそうな顔しないでください。キュンとしちゃいます」

「うう、だってデート……。まだご飯食べただけじゃん……」

「バイトの終わりに迎えに行きましょうか?」

「それは申し訳ない……」

「気にしないでください。家まで送りますよ」

 そのためにわざわざ来てもらうのもね……。せいぜい数分程度の道のりだし、気が引けてしまう。

「ほんとに家近いから大丈夫なの。ありがと皇くん」

 さてと——。巴は立ち上がる。

「そろそろ行かないと」

「——明日!」皇が呼び止めた。「明後日でもいいですけど、土日ってどっちか空いてますか?」

 日曜はバイトがあるからしんどいが、土曜なら。

「明日、大丈夫だよ」

 そんなに会いたがってかわいいんだから。

「あ。お会計しとくから」

 言って伝票を手に取った巴だったが、すぐに皇に奪われた。

「今日は僕が払います」

「えっ。だってまだバイトしてないでしょ? お小遣いめっちゃもらってるとか?」

「お年玉で毎年10万近く入るんで、ご心配なく」

 おお、富裕層の人だ……。じゃあいいか。

「ごちそーさまです。次は払うから!」

 巴はショルダーバッグを肩にかけながら聞く。

「皇くんももう出る?」

「はい。駅まで一緒に行きましょう」

「家帰るの?」

「帰って筋トレでもします」

「ウケる」

 ウケてる場合ではないか。皇は被害者だった。2人で店外に出たところで、もう一度謝っておく。

「ほんとごめんね」

 両手を顔の前で合わせて拝んでいると、突然目の前が暗くなる。次の瞬間、何かに優しく包まれた。

「——え」

 これは……。もしかして、抱きしめられている!? 状況が判明し、にわかに巴の体温が上昇していく。

「皇くん、ちょっと……。その、恥ずかしい、かな……」

 あっさり開放された。

「はい、これでもうチャラにしましょう」

「え、なに? そういうこと?」

 くぅー、女たらしかよー! さっきまで緊張してたくせにー。巴は形勢逆転を認めざるを得なかった。

「もてあそばれたー」ちょっと悔しいので先に歩き出す。

「え? なんか人聞きの悪いこと言ってます?」慌てて皇が付いてくる。

「皇くんはそんな子じゃないと思ってたのになー」

「ダメでした? 先輩の申し訳ない気持ちを一掃してあげようと思ったんですけど……」

「ダメじゃないよ。えい、お返し!」

 振り返って、今度はこっちからハグしてやった。見上げると、驚いたような照れたような皇の顔。

「ふふ、変な顔」

「————!」

 声も出ないようね。巴は勝ちを確信する。何の勝負なのかは置いといて。

「はい、おしまいでーす」

 ぱっと離れた巴の悪戯っぽい笑顔を見て、皇は我に返った。

「先輩……! 積極的ですね!」

「皇くんに言われたくないわ」

「オラ、びっくりしちまったぞ」

「それ何だっけ。クレヨンしんちゃん?」

「ドラゴンボールです」

 そんな調子で和気あいあいと駅までの道を歩く。流されて付き合ったとはいえ、巴にとっても悪くない時間だった。連日のバイトでだるいと思っていたけれど、頑張れそうな気がしていた。

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