第7話 魔
◆
ジャハムは一本の樹の前に立っていた。
手は土で汚れ、目の前の地面が掘り返されている。
瞳は虚ろで、生気を欠いている。
事実、ジャハムとしても自分が生きているのだか死んでいるのか判然としていなかった。
視界の端々に白い何かが瞬き、睡魔とも違う不思議な虚脱感のせいで力が入らない。
余りに大きなショックを受けた時、人はこうなるのだ。
その理由は彼が腕に抱いているモノを見れば明らかだ。
それは、生前の名前を "イリス" と言った。
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もう何もいらなかった。
何も見たくないから目は要らない。
何も聞きたくないから耳も不要だ。
何も言いたくない、だから口も要らない。
いや、とジャハムの両の目に赤い何かがチラつく。
欲しいモノが一つ、いや、二つだけあった。
ギドとアンナの命だ。
今のジャハムはそれが欲しくて欲しくて仕方がなかった。
「今のあなたでは無理でしょうねぇ」
突然背に投げかけられた声。
ジャハムがゆっくりと幽鬼染みた動きで振り向くと、そこには黒い僧服を纏った男が立っている。
「やあ、私はマルケェス・アモン。少なくとも物質界では初対面なので "はじめまして" と言っておきましょう。さて、私も余り時間がない。だから本題から入りますが、お孫さんの仇を討ちたいのですよねぇ?」
マルケェスの問いにジャハムは頷く。
「しかしあなたには出来ない。その様な老体で襲い掛かっても無駄に命を散らすだけでしょう。ギドは木こりの仕事をしている。体力に優れ、年も男の盛りだ。あなたのように老いぼれていない」
だからどうした、とジャハムは思う。
「儂の邪魔をするのか」
ジャハムはマルケェスに言ったが、それは抗議というより確認だ。
邪魔をするなら殺すという確認に過ぎなかった。
それが可能か不可能かという事はもはやジャハムの脳裏にはない。
何かを為そういう意思は磨き精錬していくと、 "出来るか出来ないか" ではなく、"やるかやらないか"の問題に単純化されていく。
いいえ、とマルケェスは答えた。
「邪魔だなんてとんでもない。ただ、お手伝いが出来ると思ったのです。もし、我々の "家族" となるなら、ジャハァァアアム……あなたに力を授けましょう。意思を為す力です。しかし覚え、知りなさい。それを得る事で、あなたという人間に魔が混じる事を。それを得る事は、我々の血肉を取り入れるに等しい事だという事を。以前のあなたは死に、新たなあなたへと変わるのです。もう二度と、あなたは真っ当な人間としては歩めなくなるでしょう!」
ひっひっ、とマルケェスは嗤う。
──そんなものはたわごとだ。力?何を言っている
ジャハムはそう跳ね除けようとしたが、マルケェスと名乗る男の目を見た。
マルケェスの瞳の奥にジャハムは地獄を見る。
黒と赤が渦巻くその世界はまさに地獄と呼ぶに相応しかった。
観念としての地獄ではなく、現実に存在する世界としての地獄だ。
嗚呼、とジャハムは本能で察する。男がどういうモノか、魂で理解したのだ。
ジャハムは頷いた。
「家族にでも何にでもなってやる。その代わり……」
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