第6話 拒絶

 自己嫌悪に陥りながら後片付けをしていくが、溜め息ばかりが漏れる。後悔したところでもう遅いのだ。そんなことは分かっているのに、後悔ばかりが頭を占める。


「はぁぁ……」


 謝りに行こうか……しかし、謝ったところでまた悲しそうな笑顔で「いいよ」と言われるのがオチだ。悲しい顔をさせたい訳じゃない。笑顔になって欲しいだけなのに。

 ラシャ様を思い出してアシェルト様が笑顔になることには胸が痛む。そんな自分勝手な想い。情けない。


 答えの出ない、どうしようもない私の想い。一人でモヤモヤとして、一人で後悔して……アシェルト様には関係のないこと。早く気持ちを切り替えないと。

 そう気合いを入れ、深呼吸すると片付けを終え、研究室の様子を伺いに向かった。


「あれ?」


 そっと覗き込んだ研究室にアシェルト様はいなかった。てっきり食事後もすぐに研究に戻ったのかと思ったけれど……。廊下から他の部屋の気配をきょろっと見回し探る。すると廊下の奥からシャワーの音が聞こえてきた。


「あぁ、お風呂へ行ってるのね」


 アシェルト様のいない研究室に足を踏み入れ、床に散らばった資料や本を片付けていく。相変わらず乱雑になった部屋。研究室にはほぼアシェルト様が入り浸っているため、なかなか片付けにもやって来られない。だから少し片付けたところで、またすぐに散らかってしまう。


 そうやって床に散らばったものを拾い上げながら、アシェルト様がいつも向かっている机に目を落とす。そこには現在研究しているものだろうか、なにやら球体がトレイの上に置かれていた。その横にはそれらの研究結果のメモだろうか、ノートに様々なことが書き記されている。


 そのなかでひとつの言葉に引っ掛かり、視線がそこに釘付けとなる……。


「爆発……」


「それは勝手に見ちゃいけないよ」


 背後から肩を掴まれギクリと心臓が跳ねた。


 ガバッと振り向くと、上半身裸のまま首にタオルを掛けたアシェルト様が立っていた。心臓が口から飛び出るのではというくらいの鼓動を感じ、早鐘を打つ。


 アシェルト様の綺麗な銀髪からは水が滴り、風呂上りのためかいつもより頬も血色が良い。引きこもりの割には引き締まった身体にドキリとする。妖艶な雰囲気を醸し出すアシェルト様。


 しかし……その顔は今まで見たことがないほど冷たい顔だった……。



「す、す、すみません! わざとじゃ……たまたま目に入ってしまって……」


 言い訳でしかない。たまたま目に入っただけだということは事実だが、おそらくこの研究はラシャ様に関係するもの……あの暴発した魔導具……おそらくそれなのだろう。


 アシェルト様は私が研究を勝手に見て覚えることに拒絶はしない。しかし、今感じるのは明確な拒絶。この研究は教えるつもりも、見せるつもりも全くないのだ。見てはいけないものなのだ。私は……許されないことをしたのだ……。


「ご、ごめん、なさい……ごめんなさい……」


 ボロボロと涙が零れ落ちてしまう。駄目だ。泣いては駄目よ。私が悪いのだから、泣くのは卑怯よ。そう思っても涙を止められなかった。


 俯きボトボトと涙が落ちる。顔を上げられない。アシェルト様の顔を見ることが出来ない。怖い……。


「ごめんなさい……もう二度と勝手に見たりしません」


 俯いたままアシェルト様の横をすり抜け、廊下へと走り出た。そしてそのまま家を飛び出す。


「ルフィル!」


 アシェルト様が呼ぶ声が聞こえた。それがなおさら私を辛くさせる。怒っているのか心配してくれているのか、アシェルト様の気持ちが分からない。ただ……怖い。

 冷たい顔も怒らせてしまったことも怖いのは事実。でもそれよりも……そんなことよりも……ただ、嫌われるのが怖いの。出て行け、と言われるのが怖いの。もう二度と顔も見たくない、と言われるのが怖いのよ。


 今はとてもじゃないけれど、あの家にいることなんて出来ない……。きっといつまでも泣いてしまう。泣いている姿をアシェルト様には見られたくない。心配もかけたくないし、さらに嫌われたらどうしようという思いもある。今はあの家で落ち着くことが出来る気がしない。


 暗い夜道を、息を切らしながら走る。走って走って、気付けば街の中心地までたどり着いていた。夜も更け、街は静まり返り、飲み屋だろうか、何軒かの店からは人が集まり賑やかな声が聞こえる。しかし、中央広場にはひと気はなく、ひとりベンチに座り空を見上げた。


 必死に走っている間にいつの間にか涙は止まっていた。しかし、落ち着いてくると再び涙が溢れる。情けない。


「う、うっ」


 必死に堪えようとするが嗚咽が漏れる。

 あぁ、私はもうアシェルト様の傍にはいられないのだろうか。アシェルト様を怒らせてしまった。嫌われてはいないと思っていた。しかし、ラシャ様に関することは絶対に関わらせてもらえない。拒絶しかない。嫌われていなくとも受け入れてもらえている訳ではなかったのね……。この距離は一生埋まらないのかもしれない……。私は……どうしたらいいんだろう……。


「うぅ……」


 ボロボロと涙が零れて止まらない。


「ルフィル?」


 声を掛けられ、驚き顔を上げると、そこにはノアがいた。


「ノア……」

「こんなところにひとりでどうし……ん? え? な、泣いてるのか!?」


 ノアがぎょっとした顔で慌てて、私の横に座った。そしておろおろとしながらハンカチを渡してくる。その姿になんだかホッとし、ハンカチを受け取った。


「ありがと……」


 ノアの優しさが沁みて、しかし、それに甘える自分が許せなくて、胸の奥がぎゅうっと締め付けられる。


「ど、どうしたんだ? こんな時間に一人か? なんでこんなところに……」


 ノアはあわあわとしながら、矢継ぎ早に聞いてくる。その姿にクスッと笑う。あぁ、温かい。さっきまで暗く重い気分だったのが軽くなっていく。


「ノアこそ、なにしてたの?」


 ノアから借りたハンカチで涙を拭いながら聞く。きっと酷い顔だろう。顔を上げられない。


「俺は魔導師団の連中と飲みに出ていただけだ……」


 そう言うノアがチラリと視線を向けたほうには、同僚らしき男たちが何人かいた。その人たちに向かい手をひらひらとさせ、「先に帰ってくれ」と促している。同僚たちはなにやらこそこそと話していたが、ニヤッと笑うと手を振り返し去って行った。


 そのなかには私自身見覚えのある人物も数人いたが、どうやら向こうは気付いていないようでホッとする。自分から魔導師団を辞めておいて、こんなところで泣いているとか、どう思われるか。


「で、どうしたんだ?」


 ノアは同僚たちの姿が見えなくなると、こちらに向き直った。そして覗き込むように私を見ると頭を撫でる。その手の温かさにまた涙が零れてしまった。


「お、おい、本当にどうしたんだ!?」

「ご、ごめん……な、なんでも、ない……とは思えないよね……」

「そりゃ、これだけ泣いてりゃなぁ。大丈夫と言われても信じられるはずないよな」


 そう言いながら苦笑するノア。


「だよね……ごめんね……心配をかけて……」

「なにがあったのかは言いたくないのか?」

「…………ごめん」


 アシェルト様のこと、ラシャ様のこと、それはおそらくノアも気付いているのだろう。でも、今口にしてしまうと、今までの不安や辛い想いや、全て吐露してしまいそう……。それはアシェルト様のせいでもなんでもないのに、アシェルト様を恨んでしまいそうで怖い。だから言えない。これは私の勝手な想いだから。アシェルト様には関係ないから……。

 それを伝えてノアにも負担をかけたくはないし、アシェルト様に対して偏見を持って欲しくもない……。


「ごめん」


 ノアは大きく溜め息を吐いて、再び私の頭に手を置いた。


「はぁぁあ。言いたくないなら無理には聞かないけど……あんま溜め込むなよ? お前、いつも一人で抱え過ぎなんだよ。愚痴くらい聞くから、あんまり一人で悩むな」


 ワシワシと頭を撫でるノアの優しさが嬉しかった。私はなんて良い友達を持ったんだろうか。こんな私を心配してくれる人がいる。自分勝手に仕事を辞めて、アシェルト様のところに転がり込んで、勝手に傷付いて……そんな私をこうして励ましてくれる友達がいる。


「ノア……ありがと……」


 泣き腫らした顔を上げ、ノアと目を合わせ微笑んだ。


「ハハ、酷い顔だぞ」


 ノアは私の頬に手を伸ばすと、泣き腫らし赤くなっているのだろう頬をすりっと撫でた。


「ルフィル!」


 突然降って来た声にビクリとし、恐る恐る声の主に顔を向けた。


「アシェルト様……」


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