第5話 変わらぬ穏やかな仮面
「さてと……」
今日は少し奮発してアシェルト様の好きな夕食を用意するつもりなのだ。アシェルト様が精製する回復薬はかなりの効力があるらしく、バルト団長は高額で買い取ってくれる。だから納品のお金が入った日くらいは少し贅沢な夕食を、と張り切って作るのだ。
キッチンで買って来た食材を取り出し、準備を始める。いつもより少しお高いお肉を使った香草焼き。以前作ったときに普段あまり表情は変わらないアシェルト様が、少しだけ嬉しそうな表情となった夕食。それがこの香草焼きだった。
いつも穏やかな表情ではあるのだが、それがいつもなんだか作られた表情のように見えて仕方がない。困った顔や悲しそうな笑顔。それ以外はいつも同じ穏やかな表情。一見優しそうな人には見える。私もそう思っていた。しかし、こうやって傍にいると嫌でも分かる。
それはアシェルト様が他人を受け入れていないからこその表情なのだ。
笑顔の向こうに壁がある。穏やかな表情はアシェルト様にとって、他人と接するためだけの仮面なのだ。そうやっていれば当たり障りなく過ごすことが出来るから。
それが分かったとき、私は胸の奥が斬んだ。アシェルト様の表情は出逢ったときから変わらない。ずっとこの穏やかな表情のまま……。それは……私を受け入れていないことを意味していたから……。
考え込んでしまい手が止まっていたことにハッとする。頭を振り、暗い考えを振り払う。
そんなアシェルト様が一度だけ、ほんの少しだけ、表情が和らいだのがこの料理なのよ。毎日張り付けたような穏やかな表情を見ていたからこそ気付けたのだろう。アシェルト様のほんの少しの表情の変化を。
だからこの料理は収入があったときの特別料理として出すようにしたのだ。私だって少しくらい嬉しい思いをしたい。ほんの少しでも良いからアシェルト様の喜ぶ姿を見たい。そんなことアシェルト様からすれば迷惑なのかもしれないけれど、私の独りよがりの感情なのかもしれないけれど……でも……好きな人を喜ばせたい、ただ、それだけなの……。
肉をオーブンでじっくりと焼いていると、次第に良い匂いが漂ってくる。その匂いに釣られてか、アシェルト様がキッチンへとやって来た。
「良い匂いだね。お腹空いた……」
「おはようございます、アシェルト様。もう夜ですけどね。顔を洗って髪を整えて来てください」
寝惚けたままのアシェルト様はボサボサの頭のまま現れた。そんなアシェルト様の背中を押し、洗面へと連れて行き、私はキッチンへと急いで戻る。
戻るとオーブンの肉は焼き終わり、煮込んでいたスープもちょうど良い具合に出来上がっていた。厚めの肉を切っていくと、肉汁が零れ落ち、端のほうを少し味見すると良い塩加減と香草の香りが鼻に抜け、頷いた。
切り分けた肉を皿に盛り、薬味を添える。スープも皿に入れ、それぞれテーブルに並べていく。パンとサラダも用意し、カトラリーをセットしようとしたところでアシェルト様が戻って来た。
髪も綺麗に整えられ、すっきりとした顔のアシェルト様は相変わらず目の下はうっすらと黒いがやはり綺麗な顔をしていた。バルト団長は精悍な顔で男らしい美男子といった感じだが、アシェルト様はどちらかというと中性的な美しさだ。だからこそ消えてしまいそうな儚さを感じるのかもしれないが。
相変わらずの穏やかな顔でアシェルト様は席へと着いた。
「今日は豪華だね」
「今日は納品の日でしたからね。少しだけ奮発しました」
にこりと笑って見せると、なるほど、とアシェルト様は頷いた。そうして私も席に着くと「いただきます」と二人で声を揃え、食事を始める。
カトラリーに手を伸ばし、上品に食べ始めるアシェルト様の顔をじいっと見詰める。香草焼きのお肉を一口目に頬張るアシェルト様の表情がほんの少し変わった。目元と口元がほんの少し緩むのだ。その僅かな表情の変化をこんなにも嬉しく思う私は、変な人間かしら、と苦笑する。
アシェルト様は特になにも話さないため、いつも私が一人で勝手に話している。今日はどんなことがあったとか、誰とどんな会話をしたやら、買い物でおまけをしてもらったとか。アシェルト様は食事を続けながらもフンフンと聞いてくれている。魔導師団の話をするとやはり辛い記憶が蘇るのか、少し眉を下げるけれど、バルト団長の話となると、「バルトは元気にしていた?」と聞いてくるのだ。
そんなに気になるのなら自分から会いに行けばいいのに、とは思うのだが、やはり魔導師団のあの場所へは赴くことが出来ないのだろう、ということは分かっていた。だから私は「会いに行け」とは言えない。バルト団長が元気だった話をするだけだ。
「美味しかったよ、ごちそうさま。そういえばルフィルって貴族だよね? なんでこんなに料理が上手なの?」
今まで不思議だったんだけど、と、今さらながらに聞いてくるアシェルト様。
「僕はこうやって一人暮らしを始めても、なかなか生活に慣れなかったのに、ルフィルはやたらと慣れているよね」
うん、アシェルト様は慣れの問題というよりも……性格の問題のような気がする……。まあ確かに私は一応男爵家の人間なので貴族ではあるわけだが。そういうアシェルト様も確か伯爵家のお坊ちゃまなんだけどね。
「アシェルト様は伯爵家ですよね? 学園には通わなかったのですか?」
「うん? あぁ、僕は学園には通っていないね。魔力が高くて、幼い頃から制御のために家庭教師が付いていたからね。学園入学の頃には通う必要がないくらいの知識があったから」
「へぇぇ、そうなんですね」
さすが天才魔導師だ。と、感心する。
この国には十三歳から十八歳までの才能ある子供たちが通う王立学園がある。そこでは普通科、魔導科、騎士科とあり、寮生活となる。貴族や平民関係なく、才能ある者たちが集う学園。
私の家は男爵家だったが、ド田舎にある貧乏貴族。アシェルト様に憧れて、魔法を勉強し始めたのは良いのだが、田舎の街で勉強するには限界があった。だから両親に無理を言って、王都にある王立学園に入学させてもらったのだ。
十三歳で入学し、もちろん魔導科に進み、十六歳で魔導師団に合格し入団と共に学園を卒業。学園にいたころには寮生活だったのだが、貧乏貴族だったため、出来るだけ両親に負担をかけたくなくて、食事はほぼ自炊をしていたのだ。
男爵家にいたころから貴族あるまじき行為なのだろうが、少ない使用人たちと一緒になって雑用をこなしたり、掃除をしたり、料理を作ったり、ということもしていた。だからアシェルト様の家に転がり込んだときも、掃除や料理などは一切苦に思ったことはない。
男爵家にいた頃のこと、学園にいた頃のことを話すとアシェルト様は納得したように頷いた。
「あれ? 学園に通われたのでないのなら、ラシャ様とはどこで……あ、す、すみません!」
ラシャ様とどこで出逢ったのかが気になって、思わず口にしてしまった。さあっと血の気が引く。そんな私の表情に気付いたのか、アシェルト様は苦笑しつつも、いつものあの悲しそうな笑顔になってしまった。
「ハハ、良いよ。ラシャとは魔導師団で出逢ったんだ……」
ラシャ様を思い出しているのか、今まで見たことがないような優しい顔となり、ドキリとする。しかし、すぐに悲しい表情に戻り、「ごちそうさま」と席を立って行ってしまった……。
あぁぁ……、なぜラシャ様の名前を出してしまったのよ。せっかく美味しそうに食べてくれているアシェルト様だったのに。幸せな気分になれたのに。ラシャ様を思い出すあの笑顔。その優しい顔に胸の奥がギシリと痛んだ。
あんな顔を今まで見たことがない。あんな顔を私に向けてくれたことはない。悔しい。悲しい。辛い。そしてあんな悲しい顔をさせてしまった自分が憎い……。
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