第53話
「私たちの時間が止まってて、この子だけ使える時間があったなら、この子もっと老けてるでしょ」
「あ、そっか。お母さんめっちゃ冴えてるぅ! じゃあ、あれだ! 人生二周目!」
「このパプリカは二周目……」
「じゃあ、血、繋がってないね」
沈黙が降りた。
結局、追い出される運命なのかもしれない、とコウタは思う。
「DNA検査とか、する? 証明した方がいい?」
母と姉は、見つめあった。
時々、顎をしゃくる。無言ながらも、会話をしているらしい。
「あのぅ」
「証明は別にしなくてもいい。けど――」
「これからは偽弟である可能性を頭のど真ん中に置いておくわ」
「そうね」
「そうね、って。自分で産んだ子でしょ? 実子であるという自信っていうか、そういう――」
「そんなの聖母マリアの幻想よ。私、産院で他の子のことをコウタだと思ってたし」
「アッハッハッハッハ!」
ずっと、姉にうざったさを感じていた。
今も、好感があるわけではない。
だが、この世界での少し前と比べると、彼女顔を見、気配を感じても、そこまで嫌悪が湧き立たない。
今までが続く幸せに心が向いて、今までが続く絶望が褪せていく。
「うわ、キモ。なんか笑ってる」
「あはは。キモくてすみませんね。この家に、この顔で生まれてよかったなって思ったら、こんな顔になったんだよ」
「おおお、我が子じゃない」
「母さん?」
「我が子はこんなこと言わないもんー!」
「ヤバ、お母さん泣かせた! クソコウタ!」
散々だ。
けれど、すごく、あたたかい。
「んでだ、クソコウタに頼みたいことがある。姉の頼みだ。断るな」
「……はい?」
つい先日、「あたしが焼いたというていでクッキーを焼け」と言われ、材料費半額を何故やら投資させられたうえ、作らされたばかりだ。
姉の頼み、というのは、延々続く「一生のお願い」となんら変わらない。しかし、晴れて内定を得、遠くへ行ってくれる姉に対して、残りわずかな時間で恩をうるのは悪くない。
今日も今日とて、コウタは頼みに耳を傾ける。
「髪を切らせるのだ!」
「……ん?」
「く、クッキーがきっかけで、友だちができたの。久しぶりに。ほ、ほら! 小学校とかはさ、同じクラスだから友だち、とかあるけどさ。歳をとっていくほどに、友だちってできにくいじゃん? こっちでできる、最後の友だちかなって、思ってる。その、大事な友だちがね、美容師やってんの。って言っても、まだ見習いで、カットモデルを探してて。あたしはほら、切る髪の毛はあるけど、ロングのモデルは他にいるから、ショート探してるって。女の子の友だちあたりがちだから、男の頭切りたいって。そんなわけで、役立て! 弟!」
美容師、か。
「いいよ」
「だーかーらー! 姉の頼みを……って、え?」
「いいよ。いつ?」
タルトを持って帰った日から、世界は変わった。
姉との関係は、強い言葉も態度もそのままであるけれど、凪いだ。
日が沈み、街は闇に溶け始めた。約束の時間。普段は行かない、きっかけがなければ入る気にもならない、おしゃれな美容室の前に立つ。
挨拶をしたいからとついてきた姉のメイクはバッチリ。洋服は一軍。この日のためにネイルサロンにまで行ったらしい。
ここに用があるのはどちらだと思いますか、と街ゆく人に尋ねたなら、コウタには一票も入らないだろう圧倒的差に、怯む。これではモブではなく変人だ。こんなことなら、オシャレな服の一着くらい、買っておけばよかった。それを着こなせず、似合わないとしてもだ。身に纏うものひとつで、世界への溶けやすさは大きく変わる。
「迷惑行為したら、殴るから」
「はいはい」
姉が扉に手をかけた。向こうの世界が視界に飛び込んでくる。
「いらっしゃいませ」
緊張した面持ちの女性が、ふたりを出迎えた。深々としたお辞儀は、お辞儀慣れをしていないことを微塵も隠さない。
顔をあげ、ぎこちなく笑う。視線がすっと姉にうつると、ほんの少しの安堵が浮かんだ。
「唯香、連れてきたよ」
「ありがとう、ヒロコ。助かるよ。はじめまして、コウタさん。私は――」
「友だちの唯香。唯香、コイツの頭、好きに切っていいからね」
「え、あ、いや、ちゃんとご要望を伺って、そうなるように頑張りますので。どうぞよろしくお願いします」
「……おい、コウタ。話しかけられてんだから、返事しなさいよね!」
小突かれて、ハッとした。言葉を用意していなかったコウタは、おどおどした。
「コウタ!」
「コ、コウタです! よろしくお願いします、初香さん」
「バーカ! 唯香だってば! 名前間違えるとか、超失礼! ごめんね、唯香。コイツ、こういうオシャレなところ全然来ないからさ、めっちゃ緊張してるみたいで」
「あはは。私も緊張してるし……気にしないでくださいね」
「ご、ごめんなさい」
友だち同士の雑談がはじまった。蚊帳の外のコウタは、唯香を見つめずにはいられなかった。
――ドッペルゲンガーは、自分だけじゃない。
「あ、あのぅ」
「こらぁ!」
今度はど突かれた。コウタの視線に気づいた唯香の困惑。それを姉は、迷惑行為と捉えたのだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「ダメ。姉ちゃんは許さん。唯香にはコウタよりもずっといい男が見つかるはずだから、狙うの禁止!」
「いや、そういうわけでは」
「なんだと!? さっきからずっと失礼な発言ばっかり!」
「あのさ、私は全然平気だから。っていうか、その、お店で兄弟喧嘩は……」
「コウタ!」
「すみません、ごめんなさい、もうしません!」
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