13・K@iKo
第52話
姉の就職活動は、思いのほか順調だった。家では凶暴であるが、仮面を被るのが上手いらしい。とんとん拍子で最終面接へとコマを進めたという。
「なんか、キャンセルした人が居るらしくてさ。一か月後の予約とれるって言うからさ、予約してきちゃった~!」
鼻息がフン、と勇ましい。
うまくことが運んでいるからと、これからもそれが続くと思い込んでいるのやら、もうすでに内定祝いを買う気満々のようだ。
そしてその費用は、なぜだかコウタ持ちという決まりらしい。
「姉の内定祝いくらい、出しなさいよね」
「はいはい。喜んでお出ししますよ」
「ん……なんか少しも抵抗されないの、気持ち悪い。『なんでぼくが』とか言わないの? やめてよ、いつもと違うことするの。そんなことして、あたしにプレッシャーかけて、内定取れなかったらあんたのせいだからね」
内定を取れなかったとしたら、それは誰のせいでもなくただのミスマッチだ、と心の中で呟く。
「もう予約しちゃったんだから! 内定取れなくても買ってもらうからね!」
不採用の場合は祝い、ではなく健闘祈願になるのだろうか。企業から祈られ、弟からも祈られたいとは――
「姉ちゃんは、神様みたいだな」
「そうよ! あたしは神よ! 崇め奉りなさい!」
「アーメン」
「ああ! もう! 本当に変!」
姉は逃げるようにその場を去った。コウタは晴れて自由の身となると、大切な手紙をそっとカバンに入れ、家を出た。
向かう先は、今まで足を踏み入れたことのない未知の地、製菓材料店だ。
最近知った名前の色々なものを、総額いくらになるのやら、暗算しながらカゴに放り込んでいく。珍しく財布に入れた万札が溶けそうだ。この出費は痛いが、この買い物では少しも妥協したくない。
バターといえば冷蔵品であるイメージだったが、売られているそれは冷凍だった。程よく溶けて欲しいからと、急がずゆっくり、世界を見ながら帰る。
街を歩く、モブA。
誰かが自分を気にするでもない。
変な格好をしたり、変な行動をしたりしてようやく、誰かの物語の中で役名をもらえる世界。
――この世界とて、実は複製世界だったりして。
どこにも本物がない世界を想像した。
どれもが複製という名の本物である世界を夢想して、クスッと笑った。
奇異の目が向けられた。
この世界でひとつ、役名を得た。
役名はなんだろうか。変人A、といったところか。
家に帰るも、まだバターは硬い。計量はできそうだからと、必要分を常温に出し、残りを冷蔵庫へしまった。
じっくり、焦らず、時を待つ。
手紙を読み、ブルマジを読み、思いを馳せた。
バターを練り、砂糖や聞き慣れず言い慣れない名前の小麦粉、エクリチュールなどを加え、生地を作る。
調理器具が全く一緒、というわけではないが、体は勝手に動く。染みついた工程を、なぞっていく。
キッチンに広がったクッキーの香りを嗅ぎつけて、姉が部屋から出てきた。
「お母さん、出かけるんじゃなかったの? って、うわ……。何やってんの? コウタ」
「クッキー焼いてんの」
「いや、見ればわかるけどさ。なんなの? どういう風の吹き回し? 怖……キモ……」
人に対してさんざん失礼なことを言ったくせに、いざ焼き上がると、そんなことはまるでなかったかのように平然とクッキーを食らう。
「ヤバ、ウマ」
声色にほんのりとミントっぽさを感じるも、姉のほうが可愛くない、とコウタは思う。
そして、姉とて人を蔑むようなことを言わなければ、ミントのように可愛くなれるだろうに、とも。
玄関の方から、「ただいまー」と声がした。
「なんかいい匂いする! ヒロコ、何作ってるのー?」
「お母さん! コウタがめちゃウマいクッキー焼いた!」
「え……コウタが? 熱でもあるの? 大丈夫? 変な薬とか飲んでる?」
クッキーを焼いただけなのに、酷い言われようだ。心には確かに傷がつく。しかし、ちとせの懺悔を聞いたからだろう。それは、撫でるように表面を削るだけ。
そういう人間かもしれないが、そういう状態で苦しんでいるのかもしれない。過剰に被害的になる必要はない。そっと受けとめ、流してしまうのも優しさだ。
母はどれどれ、と一枚口に放り込んだ。コウタの顔をムニムニと揉みながら、
「どうした? 何があった? 頭打った? どこで習ったの? 彼女? できたの!?」
こうも疑問ばかりを並べられても、どこから答えればいいのやら。わからず思考の沼に落ちる。
「ヤバいよ、タルト買ってきたり、あたしに反抗的な態度とったり、クッキー焼いたり。こいつ、コウタによく似たニセモノだよ!」
「そ、そんな。こんな瓜二つの人、いる?」
「あれだよ、バッカルコーンだよ!」
「姉ちゃん、それを言うならドッペルゲンガーじゃない?」
「ドッペルゲンガーって、なんだっけ? パプリカみたいなやつ?」
「母さん、それはたぶんレプリカ……」
「「こわいー!」」
「ってかキモい!」
結局、姉は誰かの背後に隠れることになるらしい。
また、怯えている。
けれど、今回は、家族の一員である自分の奇怪に怯えている。
「え? あんた、倍速で生きてんの? それで色々身につけてる? いやいや、だとしてあんたがクッキー焼こうとするとは思えないんだよね。こんな高級店の味みたいなやつ。ん? あれ、もしかして、あたしの時間、止まってた?」
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