第50話
ひと通り綺麗になると、今度は処分するものと、ちとせが持ち帰るものを分類していく。週刊誌は要らないか、と一度はすべてを不用品としたが、何かが心に引っかかったらしい。一冊だけ、持ち帰るもの袋に入れられた。
コウタの胸が、ドクドクと鳴った。
その一冊というのが、先の器物損壊物だったからだ。
「あの、その古いやつは」
「これはね、ここにいる魔法使いさんが、お話をしてくれる本なの」
ぱらりとめくる。異変に気づいた。
「あら……?」
「あの、すみません。実は――」
コウタは三通の手紙を差し出し、頭を下げた。
「すみません。ビリビリにしちゃったの、ぼくです。さっき言った渡したいものは、コレで。コレがその中に入ってまして、だから、そのぅ」
「そうだったんだ。じゃあ……お部屋と一緒に、お手紙もおしまいってことね。きっと、このお部屋が、私を誰かと繋げてくれていたのね」
「この三通は、全部、ちとせさんへのものです。あの、一通だけぼく宛のものがありまして。それは、ぼくがいただきました」
「ふふふ。あなた宛なら、あなたが読まないとね。……でも、不思議ね。いつもは宛名のない、ただの言葉のやり取りだったっていうのに。今回は宛名があって、私とあなた宛。あなたはここへ来て、伸太郎の工作に気づいてる。それに、あなたはタイミングよくここに現れた。……もしかして、あなた、幽霊?」
口に出した言葉は消せない。声は泡のように空間を揺蕩う。
ハッとしてちとせは頭を下げた。生きる人間に向かって、〝幽霊〟と言うなど、言語道断だ。
「ごめんなさい」
「気にしないでください。幽霊みたいなものですから」
「……え?」
「ぼくこそ、ごめんなさい。ぼく、本当はユズキじゃないんです。ユズキさんによく似ているだけで……本当はコウタって言います」
困惑しながらも、ちとせは手紙を受け取った。ちとせの目に映るのは、シーリングスタンプ。差出人名は表に書いてある。ちとせにはまだ、誰からの手紙であるか、わからない。
ユズだと思った、コウタと名乗る不思議な青年。部屋について妙に詳しい、謎めいた男。
自分宛の手紙とは。
恐る恐る封筒を表に返す。
瞬間、口から魂が抜けるようだった。
「なんで、なんであなたがこれを?」
震える声を絞り出す。皆が「もう死んだ」と言う大切な人の懐かしい文字から、視線を動かせないままに。
「正直、ぼくも自分の身に起こったことがなんだったのか、よくわかってないんです。でも、これは確かに、みんなからの手紙です」
二通目の差出人を、三通目の差出人を確認する。ちとせは、涙を流しながら、笑った。
「ありがとう。ああ、どうしよう。今すぐ読みたい。でも――」
「でも?」
「これを持ち帰る勇気も、これをひとりで読む勇気もないわ」
コウタはちとせの目を見て、微笑んだ。
「ここで読んでください。ぼく、読み終わるまでここに居ますから。ひとりにしませんから」
感情の声を、ただ聞いていた。
透明人間のように空間に溶けて、ちとせの世界を邪魔しない。
言葉を聞くことができるまで、ずっと待っていた。
この場所での様々なことや、ミントやタイムと過ごしたあの場所を思い起こしながら過ごせば、ちとせがじっくりと三通を読み切る時間など、一瞬に近かった。
「伸太郎は」
ちとせの声は、明るかった。
「伸太郎は、なんだか大人になったみたい。そんな気がしたわ。もともと年齢は大人って言ってもよかったのだけれど、どこか子どもっぽい危うさがあってね。私のほうが常に年上だから、経験や知識がいやおうなしに入ってきて、積み重なっていくから、永遠に子どもっぽくて危うく見えてしまうのかもしれないけれど。でもね、なんだか、逞しくなった気がしたの。この文字の向こうにいるあの子。初香は、なんか変わらないなぁ。良くも悪くもそのまんま。あなたは……コウタくんは、そのまんまって、どう思う?」
「素敵なことだと思います。変わらないって、難しいことですし。良くなれたらいいのかもしれないけれど、悪くなっていないっていうのは、それはそれで幸せなことで。頂へとなかなか近づけないにしろ、逆境にも負けてないってことですからね」
「かっこいい言い方だね。本当に、ユズくんじゃないの?」
「え……」
「喋り方まで、けっこうそっくりなんだけど。びっくりね。双子みたい」
視線が便箋へと戻る。文字を指でそっと撫でる様は、障壁なく愛するものと触れ合っているように見えた。
「芹那ちゃん、元気そうでよかった。うちの子を選ばなければ、今もパティスリーで大活躍してるんじゃないかって思うの。ずーっと時間を巻き戻して、どこまで戻れば芹那ちゃんに笑い続けてもらえるかなぁって考えて。私が伸太郎を産まなければよかったんじゃないかって思ったこともあるの。伸太郎には申し訳ないけど、本当に。よそ様の娘さんを巻き込んでしまったから」
「別に、し、伸太郎さんが悪いわけでもなんでもないです」
「でも、芹那ちゃんが伸太郎と出会っていなかったら、芹那ちゃんのご両親だって、今も生きていたかもしれないし」
「ご両親は――」
「亡くなったのよ。だいぶ前に。芹那ちゃんを探して、その道中で事故に遭って。運命って、残酷よね」
すぅ、はぁと大きく深呼吸をすると、両頬を叩いた。自分が今し方発した言葉を叩き飛ばすかのように、パンパン、と二度。
「ねぇ、クッキー焼かない?」
「……い、今ですか?」
「そうよ、今! 材料は全部、ここに揃っているから」
「じゃあ、ぼくが」
「え、焼けるの?」
「めちゃくちゃ練習しましたから。任せてください」
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