新天地へ
策略
「――失礼致します」
夜闇に暮れた、ベルスタン城にある一室の扉――それをノックの体で叩く音と、そう言った女の声が同時に廊下へと響いた。
「……どうぞ、入ってくれ」
それに呼応する体で、くぐもった声音で更に響いたのは――案の定に、その一室の中から放たれた、入室を促す声……これはどうやら男の声の様だ。
女は、あまり音が響かない様にという配慮が伺える手順で扉を開くと、中で待っていた者とは……何やら、くつろいだ様子のアルムで、他に部屋の中には人影が見当たらないトコロを思うと、さっきの男の声の主とは、どうやらこの王子殿下の様である。
アルムの顔を視認した女は、少し怪訝とした表情を浮かべると、彼女はぶっきらぼうに写る態度で、おもむろに部屋に置かれていたダイニングチェアーに腰を下ろす。
「……王子殿下、お呼びとの事ですが、私に何用でございますか?」
女は一国――いや、この世界においては一種族の王子殿下足る者を目の前にしながら、豪気にも無礼に等しい態度でそう告げると……
「何時ぞやの様に――"夜伽の方"をご所望ならば、今宵は他を当たって頂きたいのですが……」
――と、なかなかの爆弾発言も付けて、アルムの顔色を伺う様な目つきを見せた。
かなり鋭角に、アルムとの只ならぬカンケイに触れたこの女の名は――"アイリス・ヒュマド・ロトバナラ"。
ヒュマド王族の身辺警護を司る、近衛兵の一人である。
そして今は、例の凱旋式典を終えてからは、3日程を経た後の夜である。
「……手厳しいねぇ、まだ根に持って――いや、それとも僕と過ごした"あの夜"は、そんなに忘れ難いモノだったかな?」
アルムは小さく、ニヤリとヤラシイ笑みを浮かべると、おもむろにアイリスの対面の席に座った。
「忘れ難い――という意味においては、そのとおりでしょう?
共に研鑽を磨いた学友であり、後の君主として信頼もしていた御方に……寝床へ押し倒されて、手籠めにされる経験をしてはっ!」
アイリスは、からかう様な返しをしてくるアルムに、私怨がこもった抗議を激昂気味にぶつけた。
――これまでの、イケメン王子という風体とは、一線を画す……いや、むしろ真逆な鬼畜っぷりを暴露されているアルムは、アイリスのその抗議に対して……
「――それが、"王子付き女性近衛の役目の一つ"だと、キミもよぉ~く解っただろう?」
――と、呆れた様に腕を組み、更なる鬼畜っぷりを自ら晒した。
会話の内容が色っぽいモノを含んでいるせいか――思わず、話を持って行きたくなる、アイリスの容貌とは……茶色い長髪を無造作に背へと垂らし、体格や肢体の造りには大きな特徴は無く、一言で言えば平均的な中肉中背――強いて挙げるとしたら、武器を扱う職業に身を置いているせいか、ニーナと似てよく鍛えられているのが解る姿だ。
顔立ちも整っている部類なので――
「――まあ、キミを今回呼び出した理由は、長旅から帰って早々に、”ソッチの事”を所望しているんじゃあないから安心してよ」
鬼畜王子はそう言うと、アイリスへ向けて一通の書状を渡した。
「これは、キミへの転属辞令――コレでキミは、処女を奪った憎き僕の側から離れられるってワケさ♪」
書状の大まかな中身をアルムから告げられた彼女は、眉間にシワを寄せながら、その書状を手に取り、それの封をゆっくりと開ける。
「――アデナ・サラギナーニアの側近に、私を?」
「ああ……コータ殿が、このワールアークに滞在する間――キミを護衛に付ける事にした。
その後、キミにはヒュマドの代表として、正式に彼の臣下へと出向してもらう」
驚いた表情で辞令を読み上げるアイリスに、アルムは端的な後の動きも補足して説明する。
「ふっ……今度は、"魔神憑き"の夜伽係というワケですか」
アイリスは顔をしかめ、ワナワナと指を震わせながら書状を握り締める。
「ふふ……その心配は無いよ。
巷に聞く、"異界の者は好色"だという噂は、少なくともコータ殿にはそれは当らない――何せ、片抜けを患った影響で『そーいうコト』は難しいらしいからね」
アルムはわざとらしく、お手上げと言った体で両手を掲げ、残念そうに小さく溜息を吐き……
「何より、彼は"本当の僕とは違って"、紳士的で精錬された好漢だ――異界では、市井に甘んじていたというのがウソの様に感じる程にね。
それは一月の間、彼と旅をして来た僕が保証する――彼に仕えれば、きっとキミが子供の頃から望んでいる、女性ながらに武人として身を立てるという理想にも、理解を示してくれると思うよ」
――そう続けて、頬杖を突きながら、目の前のアイリスに返答を促す。
「策士な一面を持つ殿下の事です――そんな、歯が浮く様なキレイゴトが、意図の全てではないのでしょう?」
アイリスは、何かを見透かした様な素振りで、アルムの意図を勘繰って見せた。
「ふふふ……僕はそういう、痒いトコロに手が届く様な、キミの繊細さが好きだったよ――近衛としての鋭い気配りや洞察力も、"床の中でのアレやコレ"やも……」
アルムがしたり顔でそう呟くと、それを聞いたアイリスはギリっと歯軋りを発て、特に後者の表現には恥ずかしさを覚え、頬を紅く染めた。
「さっき言った様な好漢に、小さな国に等しい権力が譲渡される――ロドバスマからも道中で言われたが、軍部はそれを警戒しているのだろう?
だから……軍部から、一種の監視役として彼の側に一人着けたいという事なのでね――僕は、そんな重要な任務にキミを推挙したってワケだよ。
思慮が深い優秀な武人だし、時には
マジメな部分と色っぽい部分を交互に繰り返す、緩急を交えた理由を挙げるアルムの話に、アイリスは更に頬の紅潮を強め……
「そっ、その理由を、軍部のお偉方にも?」
――と、耐えられないといった体で俯き、グッと両拳を握った。
「ははっ!、それは流石に――だけど、キミの経歴を見れば、丸わかりだろうとは思うけどねぇ♪」
アルムは楽し気に笑ってそう言うと、卓に置いていた盃を寝酒で満たし、ソレをクイッと喉元に煽り……
「とりあえず明日の朝――その辞令を持って、コータ殿の寝所を尋ねてくれ」
――と、アイリスにコータとの面会を命じたのだった。
――ドンッ!
アルムの部屋から出て、城の門へ向けて廊下の角を曲がろうとした時、アイリスは悔し気にその壁を強く叩いた。
(理想の進捗云々というキレイゴトと、任務の重要さを説いたとてっ!、要はっ!、私という肉玩具に飽きただけであろうがっ⁉、鬼畜王子めぇっ!)
彼女は大粒の涙を流しながら、小さな蝋燭が照らしている夜闇へと向かい、勇猛な素振りでその中へと消えて行った。
「失礼、致します」
その頃、同じベルスタン城の別の一室でも、奇しくも同様な文言とノックの音が響いていた。
コチラはミレーヌに充てられていた部屋で、ノックとその文言の主はローラン――彼は、中に居るはずな彼女の応答を待っていた。
「どうぞ、入ってください」
部屋の中から響いた声の主は、何らかの期待がこもった様な楽し気な声音で、扉の前に立つローランに入室を促す。
「――それで、ちゃんと"渡り"は着きましたか?」
ミレーヌは、何やら気持ちが早っている様子で、彼が扉を閉め終えるのも待たずに、何かを頼んだらしい用向きの概要を急かす。
「はっ……姫様が明日、コータ殿と共に我らエルフィの難民キャンプへと行幸される旨は、先方にもちゃんと伝わっております」
対してローランはゆっくりと畏まり、ミレーヌの問いに少し困った素振りのまま答えた。
「それは――ちゃんと”
ミレーヌは、ローランの表情と曖昧にも受け取れる言い方に懸念を抱き、自分から更なる詳細な報告を求める。
「姫様――"あの方"に対して、その呼び名は……」
「今、この部屋に居るのは私と貴方だけですし、この呼び名は、たとえ母様に咎められようとも、私は姉様と呼ぶ事を止める事は無い――と、皆の前で宣して述べたはずですっ!」
ミレーヌが言う『姉様』に、過ぎた懸念を示すローランに対し、彼女は強い言葉でそれを制し、強い意思を感じる物言いで彼を叱咤する。
そう――ミレーヌには一人、
だが、ローランがその者に対しての呼び名を濁した面からも解る様に、何やら浅からぬ事情があるらしい……
「――それに、此度に私が挙げた方策は、貴方たちが忌み嫌う姉様を、更に側から遠ざける結果となるモノ……貴方たちにとっては、願ってもない考えなのではありませんか?」
ミレーヌは渋い表情をして不満気にそう呟くと、身の内で沸く怒りを抑える様に、拳を強く握った。
「はっ、はい……此度の姫様からの進言は、重臣たちの間からも英断として喜ばしい反応が出ておりますし、先方たる『あの方』も――姫様の意をよく汲み、謹んでその任を承るつもりとの事」
「……そうですか、流石は聡い姉様です」
冷や汗混じりに、ローランが事の進捗を説明すると、それを聞いたミレーヌは安堵と、寂しさが混じった様な複雑な表情を浮かべた。
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