あの日の鼓動

4年前、酷い別れた方をした彼氏がいた。

当時高校1年生だった私は、其奴そいつの態度や暴言が許せなかった。特に共通の友人への嫉妬が激しくて、狂った其奴が放った言葉は「あいつらと関わり続けるなら俺は別れてもいい」だった。

悪口、暴言、束縛、嫉妬。何もかも許せなくて――「友達と貴方なら、友達を取る。だから付き合い続けることはできない」そう、伝えた。面と向かっては言わなかった。

PS4のパーティでそう言った。

画面に映っていたのはAPEXの、1人になったロビー画面。直前まで、ここに其奴はいた。

現実で知り合い、仲良くなって信頼を築いてきたのに、別れる時はオンラインだった。


ぼんやりロビー画面を見ていたら、明け方になっていた。寝てたのか、起きてたのかもわからない。

モニター横の時計は5時を指していた。オレンジ色の光が部屋に差し込んできた。

別れた日の日の出は、涙で何重にもかすみ、視界が歪んで、たまらなく綺麗だった。


その数ヶ月後、ゲリラ豪雨の日にレンタルビデオ屋の前で再会した。特に会話をすることもなく、私は其奴に酷い言葉をかけて、そのまま会うことは無かった。もう、二度とないと思っていた。


LINEの履歴は全て消した。

貸したPS3の、私のアカウントに残った最後のデータは龍が如くだった。――ああ、自分のアカウントを使ってって言ったのに。情けなく残ったトロフィーやプレイ履歴に目をやれば、たまらなく不愉快になった。

独特の柔軟剤の香りを街中で嗅ぐと、鮮明に君を思い出していたが、今は何もわからない。

細身男性がタイプだった私が、初めて付き合ったぽっちゃり系の男性。パッと見は筋肉質な男に見えるけれど、実際は全て脂肪。

高校1年で180cmを超える身長は、めちゃくちゃ大きく感じた。

当時150cmだった私には、守ってくれそうだと思った。


其奴との思い出は、友達だった頃の思い出の方が多い。スポッチャで遊んだり、私が飲めなかった紅茶を代わりに飲んでくれたり、寒空の下50分歩いてラーメンを食べに行った。

付き合ってからの思い出は、殆どない――というよりかは、思い出せない。

お家デートが多かった気がする。

ああ、そうだ。よくいくレンタルビデオ屋さんでホラー映画を借りて、2人で見た。

パラノーマル・アクティビティ。

其奴のオススメだった。


其奴の愛情表現は独特だった。

不器用なのかはわからないが、とにかく不思議なハグが多かった。部屋に入るとすぐ、強いハグをされた。力加減がわかっていないのか、大きな異性に強く抱きつかれると、まるで熊に襲われているような気持ちにもなった。

また、人気の無い夜道を2人で歩けば、さりげなくハグするのではなく、強く抱き寄せられるようなハグをされた。

今考えれば気持ちの悪い話だが、当時の私は「不器用で力の加減ができない男…♡」なんて、メロメロになっていたんだ。


強く抱き寄せられる度、胸がドキドキして仕方がなかった。不整脈かと思って、鼓動を確かめるほどに。

ああ、好きなんだと思えば、顔が赤くなり、夜道でそれは隠された。


それ程に惚れていても、無理なものは無理だ。くだらなかった。本当に、本当に。






馬鹿みたいに酔った日、駅まで30分の距離。

ベロベロになりながら、誰かに道案内をして欲しくて連絡した相手は其奴だった。


「駅まで歩くから一緒に来てくれない?」


脳裏には、昔言われた「彼の事を気にしてるのは、彼への未練じゃなくて上手くいかなかった事への未練」という言葉がよぎっている。


上手くいかなかった未練は、どうやったら解消するのか。こんな奴とはやっぱ続けられなかったわ!って思えば、解消されるんじゃないか。そんなことも、酒に酔っている脳では細かく考えられない。ほわほわした視界と、秋の空気。


そうして22時、私の突然の連絡に驚きながらも其奴は迎えに来た。


4年ぶりに見たその顔は、たとえ街中で見かけても其奴だなんて思えない程に変わっていた。

「太ったね」

久しぶり、の前に出た言葉がそれだったことは、発してすぐに口を塞いでしまうほどにヤラカシだと自覚している。


「あ…ああ、受験のストレスで」

「へ〜」

「そっちも、結構………」

「チャラくなった?」

「うん」

過去と比較した容姿の話は、何も産まない。

太りきった元彼其奴、金髪になった元カノ。そんな二人だった。

あの時、其奴の横に並んでた私は黒髪ロングで、自分で切ったガタガタのパッツン前髪に、スカートは膝より3cmだけ上だった。

今の私は金髪ショートで、ぼあぼあの黒いジャンバーに、ミニスカートとロングブーツ。


変わったのは、其奴だけじゃない。


なんだかぼんやりしていたが、歩き進ると酒が抜けて意識がハッキリしてくる。そしてなんだか、不思議な気持ちになる。

声はあの時のままなのに、容姿が違う其奴を、私はどんな目で見ればいいのかわからなかった。

ただ、お互いの大学の話をしたり、他愛もない会話をして歩いていた。

閑静な住宅街を突き抜けて、高架下の先へ向かう。


「……ほんとに変わったね」

「でも、可愛いっしょ」


変わったのは其奴だけじゃない。


かつての私が絶対に言わなさそうな言葉を口にすれば、其奴は私の事をのように抱き寄せてきた。


「ずっとこうしたいくらい、可愛い」

「久々に会ってすることがそれ?」

「……ごめん」


夜空を見上げた。

早く帰りたいと心から思った。

あはは、と笑いながら、心の底は1ミリも笑えなかった。ただ、気持ち悪かった。


「走って帰ろ〜よ」

「酒飲んだんでしょ、危ないよ」

「大丈夫だよ」

「手、つな…」

「つながないよ」


あの日の鼓動は、もう帰ってこないんだと。

私の気にしていた気持ちは、其奴への未練ではなくて、上手くいかなかった過去への未練にすぎなかった。証明されてしまった。

其奴の顔はもう見れなかった。恐怖だろうか、罪悪感だろうか。

酒が抜けていく。秋風が、抜けていく。





月日は流れる。

あの日、帰った後にオシャレなバーのHPがLINEに送られてきて、「今度ここに行こう。その時には伝えたいことがある」なんて書かれていた。

私はそっと、友達リストに並ぶ其奴の名前を左に向かってスワイプして、赤いボタンを押した。


ああ、向こうからしたら最低な女なんだろう。いや、私からしても最低な女だ。

嫌という程自覚している。


けれども、変わってしまった2人は―――もうあの頃の鼓動は、戻らないんだとよく理解した。

なんだかそれがすごく悲しくて、切なくて、未だにあの日からずっと日の出を見ていない。

もう遊ばなくなったAPEXには、何が残っているだろう。いや、私たちの足跡なんて、何も残りやしない。残っていなくていい、もう、私たちの間に何も残っていないのだから。

愛情も、友情も、未練も、何も無い。




あの日から物が増えた部屋。

正午頃、片耳にスマホをつけて電話する。

「もう着いちゃった?待ってて、すぐいくから」

玄関前の姿見で自分の服装とヘアアレンジ、メイクを確認する。

―――うん、今日も可愛い。

綺麗な黒髪ロングに、ロングスカート。可愛らしいスニーカー、シンプルなコーディネート。露出もない、派手さもない。自分の顔立ちを活かしたお化粧。

そうして、公園に向かう。



「あ、指輪…つけてきてくれたんだ」

「うん、あたりまえじゃん」

「俺もだよ」

「だよね。お揃いだね」



細身の彼氏と手を繋いで歩く街は、もうすぐ春を迎えそうだ。

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