誰かを助ける勇気


白昼の都内某線車内。

ラッシュではないものの、空席はなく、立っている人が10人ほど見られるような時間帯。

大半の人がスマホをいじっていて、勿論俺もスマホを触る。

特に意味は無い。見たいものがある訳でもない。ただ、こんな世の中でぼんやりとスマホもいじらずに過ごす気にはなれなかった。


電車が駅を発車してすぐ、2個隣の人が俺の目の前に立つ人に声を掛けた。


「どうぞ、座ってください」

「ありがとうございます、本当にありがとうございます―――」


30代くらいのサラリーマンが、20代くらいの男性に席を譲ろうとした。

「は?」なんて声が出そうになって、20代くらいの男性の手提げについた赤いマークに気がついた。


―――なんだったっけ、アレ。






退屈でつまらない人生を送っている。

でも、情熱的な人生は望んでない。

――望んで、ない。


数日前のことだった。


馬鹿みたいに人が行き交う駅で、空港行きの電車を待っていた。

隣に並んだ女が妙に綺麗だった。ただ、目が腫れていた。なんか変だな、って思いながら、ぼんやりとスマホ片手に電車を待つ。

突然現れたリーマンのおっさんが、めちゃくちゃデケェ声で隣の女に向かって叫び始めた。


―――おもしれぇ。


ただ、そう思った。

周りの人間は、突然大声をあげる人間に脅えながら何も無い顔をする。

隣の女も、知らんぷりをする。


美人って大変なんだな。

あんなリーマンに……なんて思っていたら、リーマンはなんか情熱的な事を説きはじめた。次第に知らないフリをしてた女は、リーマンをガン見するようになった。


『俺は!!エミコに!!幸せでいてほしい!!だから、修行なんてやめちまえ!!強要してくる事務所もやめればいい!!愛する人と共に過ごす、それがだろ!!!』


そんな言葉に呆然としていれば、やがて隣の女は駆け出し、階段を降りていった。


俺にはちゃんと聞こえた。

あの女が、リーマンに言った言葉。


『ありがとう』



乗り込んだ電車の車内、女子高生達が「さっきのおじさんやばかったね」とか喋ってる。みんな何も無かったように、スマホをいじっている。

でも俺は解ってる。リーマンが叫んだエミコという言葉………前に掲示板で見た『売れないアイドル』だ。ってことは、多分リーマンはあのアイドルの熱狂的なオタクってとこか。

スマホをいじって、あるいは会話をして、車外を見ないようにする世界。俺だけが車外を見ていた。窓から見える、あのリーマンを。

電車は発車する。あのリーマンと、エミコを置いて、発車する。

視界から消えていくリーマンを見て、心の奥底で笑った。みっともないリーマンを、誰も見ないリーマンを、俺は最期まで見届けてやろうと思った。情けない、周囲の見えないリーマンを、『お前恥ずかしいぞ』って気持ちを込めて。


誰もがスマホをいじる車内で、俺はまたスマホを取りだした。

『○○駅でリーマンがアイドルに叫んでた。キモすぎ‍www』

鳥の消えたSNSに書こうとして、入力した。



家に帰って、窓を閉めた。

別に夜になったわけじゃなく、窓を閉めたくなった。布団を頭まで被って、沈み込む。

俺も、俺も……ああなれたら、幸せなのに。周囲のことを気にせず、他人を見下さず、全力で誰かを応援したり支えたり、助けられる人に……なれたらいいのに。

本音はダサい。いや、ほんとにダサいか?

カッコつけて見下して、誰も助けない奴の方がダサいんじゃねえのか?

今日も支え合う人間を見た。昨日も見た。明日も見るだろう。妊婦のマーク、高齢者、笑顔で席を譲り合う人々。俺には、席を譲る勇気も知識もない。ないんだ。


今日もSNSと掲示板では、みんながみんなを見下している。俺もみんなを見下す。でも本当は…本当は、支え合いたいんだって。

勇気がねえんだよ。勇気が。

なんでみんな…人助けができるんだよ。

なんで一声が出ないんだよ。

悔しい、苦しい、俺も…勇気が欲しい。






塞ぎ込んだ次の日も、俺はまた同じ電車に乗る。何も変わらない光景。みんながスマホを弄っている。俺は席に座ってるし、立ってる人はちらほらいる。


電車が発車する前に、俺は席を立った。

何も言わずに立ち、少し離れたところで立ち止まった。横目で元いた場所を見ると、青年が会釈してくれた。俺も思わず頭を下げる。

彼のカバンには赤いマーク―――ヘルプマーク。


声は出なかった。

ただ、少しだけ勇気は出せた。

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