人生

ミマル

ファンでありたい


人混みの都会駅。

みんながみんな自分の人生でいっぱいで、周りなんて見ていない。

俺もそうだったはず……だった。


今俺の目の前に広がっている光景は、毎日通る駅の単純な光景なんかじゃなかった。

確かに人混みの中に、彼女推しがいた。

―――男と一緒に。





毎日必死に働く冴えないサラリーマン。

上司に怒られ、同僚は出世していき、後輩からは尊敬すらされない。

容姿も良くはないから、結婚なんかできない。そもそも恋もしたことがない。


そんな俺は疲労で死にかけているような晩に、深夜番組でとあるアイドルを見た。

エミコと名乗るそのアイドルは、笑顔が可愛くて明るくて……完璧なファンサービス、ウインクのタイミング、マイクの持ち方……何もかもが計算されつくした世界でも輝く人間がいるんだと、果てしなく感動した。

―――気がつけば、涙が溢れていた。


エミコへの気持ちはガチ恋なんかじゃなく、ただ『見ていたい』『推したい』

そして、エミコが幸せでいてくれればそれで良いと思った。たとえ今のグループを抜けてしまっても、熱愛が出ても、それでもエミコが幸せなら良いと思っていた。


今、男と見つめ合う彼女を見て――同じ気持ちでいられたかはわからなかった。

俺の行先は、某線のホーム。

エミコたちがいるのは、ホームに上がる階段の少し手前。

そして、その階段まではまだ少し距離があった。

わざわざ2人の会話の聞き耳を立てたいわけではないし、彼女に近づきたいわけでもない。素通りしたい、いちファンとして、素通りしたい。


そんな事を考えながら、2人を視認してから2秒。

2人が堂々と抱擁を交わす。


堂々と。


こんな駅の中で……。


さすがの俺も、歩みが止まってしまいそうだった。甘い変装に、目立つ位置でのハグ。一般人ですらあんな場所でアツアツなハグをしようものなら…気持ちとしては、市中引き回しって感じだ。

なのに、なのに…なのに。

今、彼氏と思われる男とハグをするエミコは幸せなのだろうか。幸せならなんでも許せるんだ、そのはずなんだ。

だけど―――プロ意識なんか求めてないのに、心の底から溜息をついてしまいそうな気分だ。


更に1秒、1秒と時間は経つ。

階段前の電光掲示板には、『あと2分』の文字。

エミコは一度彼から離れ、その文字を確認したように見えた。そしてまた、磁石が引き合うかのように深い…深いハグ。

道行く人は気付いていないのか、『熱々のカップルがいたぁ〜』なんて笑っている。

俺は1ミリも笑えない。もうすぐ電車は来るし、必ずエミコの横を通過しなければならない。いや、おそらくエミコは俺と同じ電車に乗るんだろう。

俺が乗る電車は快速、それも空港に向かう電車。エミコは飛行機にでも乗る気なのか――と考えたところで、俺は思い出した。


ほんの数週間前のエミコのブログ。


『実は近々、海外へ修行しにいくことになりました!!事務所初の試みですが、日本を離れて活動し、パワーアップしてきたいと思います。ちなみに、ライブ配信やブログ更新は今まで通りやるし、音楽ライブはオンライン配信で行おうかと思ってます。みんな寂しがらないでね! とか言いながら、日本離れるの寂しいよお〜〜( > <。)』


まさか、修行に行く為に空港に向かってるんじゃ――いや、そうに違いない。

あの文章からするに、エミコは海外に行く事を嬉しいとは思っていなさそうだった。『事務所の試み』って明かしてるし、本当は行きたくないんだろうな。

そして行きたくない理由がなら…。

男なら、ここであそこまで必死にハグを繰り返す理由もわかる。


そうこうしていて、また更に1秒が経つ。


電光掲示板が1分に切り替る前、全てに気付いた俺はエミコの横を素通り…した。

素通りしたが…。


『行きたくないよ、離れたくないよ、いつ帰って来れるかわからないよ。もう嫌、行きたくない…』


ただ、その声だけが鮮明に聞こえた。

黙って頷く男と、行きたくないと嘆く女。

俺は意外にも、止めない彼氏側に関心してしまった。


素通りしたはずだったが、電光掲示板が残り1分に切り替わり急ぎサヨナラをしたのか、泣き腫らした顔のエミコが、階段で俺を追い越していった。


一瞬だけ…一瞬だけだったが、エミコの顔は酷かった。あんな泣き腫らして、ぶくぶくになって、赤くなって、髪もボサボサなエミコは初めて見た。

あんなに泣いてまで、別れたくないものか。

俺が心から幸せを願ったエミコは、エミコは…今、幸せなのだろうか。

あそこまで彼女を苦しめてまで海外に行かせる事務所も、なんなんだ。もう。なんなんだよ。


「なんなんだよ……」


声に出ていた。


前を歩いていたOLが冷たい目で見てくる。

そう、その目なんだ。

俺が世の中で何度も向けられた目は。

でも、エミコは違った……画面越しだったけど、直接ライブに行くこともできなかったけど、エミコは笑いかけてくれた。計算されててもいい、彼氏がいてもいい。その笑顔に救われたのは事実だった。

救われたのに、俺はあのままにするのか?


『まもなく電車が参ります。危ないですので―――』


アナウンスとともに、俺は足を踏み込んだ。


「エミコ!!!!!!!」


少し離れた場所にいるエミコの名を叫ぶと、エミコはこちらを見た後に知らない人のフリをした。


「エミコ、俺、エミコの笑顔に救われたんだよ!!でもさ!!さっき泣いてたろ!!」


相変わらず、エミコら何も聞こえないふりをする。

周囲の人間は冷たい目を浴びせてくる。

電車の轟音も迫ってくるが、そんなのどうでもよかった。


「俺は!!エミコに!!幸せでいてほしい!!だから、修行なんてやめちまえ!!強要してくる事務所もやめればいい!!愛する人と共に過ごす、それがだろ!!!」


エミコは、俺の目をじっと、じっと見つめてくる。


「好きな人と好きなように生きろ!!海外なんか行くな!!俺は一生お前を応援してるから―――」


俺の声をかき消すように、電車が入っていた。激しい音で、何も聞こえない。

ただ、エミコがこちらに向かって走っていて、泣き腫らした目を細めながら「ありがとう」とだけ言ったのは聞き取れた。



階段を下りるエミコ。

俺を避けるように電車に乗る人々。

呆然と立ち尽くす、俺。


人生で1番、長くて短くて、勇気を出した瞬間だったと思う。

電車は発車メロディを奏で、発車していく。


「あ、次の電車じゃ遅刻じゃん…」

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