第35話
「ラツェナド……!」
横っ面から俺を押し退けたラツェナドが、そのまま俺を抱きかかえて空中へと飛び立っていた。
横から飛ばして、後ろへ回り込み、二の腕の辺りを掴んで持ち上げている。怪力も異能のひとつだと理解していても、実際に痩身に抱え上げられていると驚きが勝った。
何より、支えられているとは言え、身ひとつで滞空しているのだ。落下ならアクティビティで体験できるだろう。しかし、滞空など人の身では叶うものではない。その状況下に突如として祭り上げられて、動揺が隠せなかった。
ラツェナドがここまで手を貸してくれるとは思わなかった、という点もまた、俺の動揺を誘ったかもしれない。
「動くぞ」
「このままか?!」
「空中戦は初めて?」
「当たり前だろ! せいぜい、人がジャンプできる程度だ」
「常識的なハンターだ。私たちの時代とは随分違う」
「どんな強者がいたんだよ」
「乱戦などよくあることだった。彼は私に抱えろとよく命令したものだ」
「全盛期と比べるのはやめてくれ」
「じゃあ、できないと弱音を吐いて、あの吸血鬼にまんまとやられるかい?」
ラツェナドは吸血鬼と距離を取りながらゆらゆらと間合いを計っている。その距離感が戦闘慣れを感じさせた。
相手の吸血鬼は口を開くことはない。それが何を考えているか分からずに、不気味さを加速させている。ここで会話をされても困るし、没交渉であると分かりきっていることは構わない。
ただ、その分隙を突くことも難しくなる。会話で気を逸らせたところで知れているだろうが、手段のひとつが消されていることは確かだった。
「構えろ」
ラツェナドが言うのと自己意識で構えるのと、どちらが早かったか。そんな些末なことにこだわっている場合ではないだろう。俺は即座に拳を振り抜いていた。
しかし、地上から天空を狙うよりも、空中戦のほうが比べものにならないほど難しい。そもそも腕を掴まれているため、可動域が狭くなっている。この状態でまともに戦うには、慣れが必要だ。体勢や状況は無論、相手との呼吸の合わせ方も。
俺とラツェナドでは、易々とはいかなかった。どれだけ会話を楽しんでいても、不思議と大切に思う気持ちがあったとしても、現実的な出来事として距離を近付けた事実はない。いきなり相性抜群とはいかなかった。
無言で迫ってくる吸血鬼から逃げ惑いながら、狙い定めることを繰り返した。ただし、魔力には消費がある。
逃げる側に回りながら、体勢を整えて拳を振るう。それだけで重労働であるし、残り魔力も心許なくなってきた。その切迫感はラツェナドにも伝わっているだろう。
何より、ラツェナド自身も敵対しているのだ。自分たちの立場を理解していないはずもない。このままでは埒が明かないことも。
ラツェナドは様子を見て、廃墟のビルの屋上へ着地して中へと入り込んだ。吸血鬼は意図すれば、その気配を消すこともできる。異能を使うとなれば無駄ではあるが、息を潜めるなら有用だ。
そうして影に滑り込み、息を整える。静まり返っているラツェナドは、本当に闇に溶け込んでいた。ここまでの同化を見たのは初めてのはずで、けれども、どこかに懐かしさが生まれる。得体の知れないものに煩わされている場合ではないというのに。
「魔力は?」
「危ない」
「長期戦はまずいね」
しみじみと零される。その憂いに気がつかないほど、鈍っているつもりはない。このまま下手な鉄砲を撃っていても、解決はないだろう。
このままというわけにはいかない。手段を講じるしかなかった。その心当たりはたったひとつしかない。
「伴君」
「ラツェナド」
ほぼ同時に呟いた声が空中でぶつかって、地面へ落ちる。言葉は落ちたが、提案は採用されたようなものだった。
奥の手だと話したそのとき。そのときが来るとは、思っていなかっただろう。実際、本当に奥の手だ。
だが、今は四の五の言っている場合ではない。空中戦になってしまったがために、他のハンターは参戦できない状態になっている。あちらもこっちに夢中になっていて、よそに目をやっていない。
被害を出さないことは僥倖だろうが、逆に言えば捕縛の機会を失わせてしまっている。こうなれば、俺たちが決着をつけるしかない。責務だろう。俺とラツェナドは闇の中で目を合わせた。
「同意書の準備はないだろうに、いいのかい?」
「そんなこと言っている場合じゃないだろ。首か?」
「そちらのほうがいいだろうな」
「他があるのか」
「女性相手なら内太腿というのもあるが、男相手にそんな真似する趣味はないからね。腕は困るだろう」
「ああ」
他の候補を検討している時間も惜しい。頷いて、マフラーを外して首を差し出す。
赤いマフラーは伝説的な吸血鬼ハンターへのリスペクトだ。かつて、この世を守るような大戦を勝ち抜いたと言われるハンターだった。その人の話を聞いたのは小学生のころだ。無邪気に憧れて、無邪気にその道に進んだのだった。
「覚悟はいいか? 青年」
「吸血鬼に近付けるんだろうな」
「シェラのお墨付きだ」
「シェラの実力を知らないんだが?」
「気配は分かっているだろう。吸血と同時に見つかると思っておくことだ。魔術の準備はいいか?」
「いつでも」
戦闘中だったのだ。隠れるにしても、警戒をなくしたりはしなかった。作戦会議を相手が待ってくれる道理はない。太刀打ちができないからこそ、最低限の準備は整えていた。
俺は既に覚悟も決めて、首を差し出している。肩にラツェナドの手が乗っかった。首を晒してそばに近寄られても、嫌悪感はない。
応戦中で、警戒心は十分に尖っているはずだ。そんな最中でありながらも、ラツェナドを許容できている。不思議だなんて言葉で片付けるには、無警戒にも等しい。
ハンターとして転覆している。それでも、これは覚悟の上であるのだから、何も迷うことはなかった。どちらかといえば、ラツェナドのほうが迷っているようで、肩に手を置いたまま動こうとしない。
「……伴君」
「大丈夫だ」
目を合わせて頷くと、ラツェナドも深く首肯を返してくれた。それ以上、多くは語らない。ラツェナドはそのままゆっくりと俺の首に唇を押し付けた。
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