第32話

 そこからはトントン拍子だったように思う。

 というよりも、そこから先は、俺の手を離れたと言ってもよかった。そこまでは主導していたのだ。栗飯原に頼んでからは、使われる身になった。

 そこに文句があるわけではない。解決するのであれば、誰が主導だろうが誰が動こうがどうだっていいくらいだ。しかし、ラツェナドへ啖呵を切った身としては、肩身が狭い。

 今まで、自分の手柄に頓着したことはなかった。無能のような扱いを受けるのはごめんだが、そうでもなければさして気にすることはなかったのだ。しかし、ここに来て、わずかばかりの欲というか。プライドというか。そういうものが噴出していた。

 その渋い感情に支配されながら、俺は粉骨砕身で邁進していた。警察の俊敏な動きは、栗飯原のおかげだろう。

 俺の抱擁は、栗飯原に対して想像以上の効力を発揮したらしい。奮起した栗飯原の影響が、警察の下っ端にまで注ぎ込まれたようだ。何より、栗飯原もその作戦を強く引っ張っていた。

 正式には、指揮権を持ってはいなかっただろう。ラツェナドの相手を主にしてくれていた。しかし、警察からの情報とラツェナドとの情報を擦り合わせられる存在はでかい。

 ラツェナドは万能で、この事件について詳しいわけではなかった。それでも、異能の存在は無視できない。吸血鬼の気配を探る力を使ってもらったという。

 それを虱潰しにする人海戦術で、ことを大きく動かした。いくら協力者を得られても、俺一人では動かせないものだ。栗飯原に協力を申し出たことは、正解だっただろう。自身の力不足を思い知らされてもいるけれど。それでも、そんなちんけな反省など、得られた成果に比べれば取るに足らないことだ。

 犯人は人間だった。

 こうなると、俺が逮捕に関わることはない。警察に決定打を明け渡し、人員として現場にどうにか滑り込めたくらいだ。

 そのあっけない幕切れには、手応えがない。決着はいいことだ。翻弄され続けた町の住人も平和に過ごせる。

 ここのところ、町の中には緊張感が漂い続けていた。それは警察やハンターが警戒心を剥き出しにしていたこともあるだろう。そんな環境下にいて外出制限が出ていれば、住人たちとて平然としていられるわけもない。いくら日頃は共存関係を築けていると言っても、いつだって完璧ではないのだ。

 その掛け合わせで、町は一触即発な雰囲気が漂っていた。それから解放される。喜ばしいことだ。

 実際、自分たちだって激務から解放される。良いこと尽くめだ。だが、どこか合点がいかないものはある。

 ラツェナドへ見せる顔がないというのもあった。何とも情けなく狭量なことだ。自分にそんな一面が眠っていたとは、ラツェナドとの出会いがなければ知らないままだったかもしれない。

 そして、当のラツェナドの疑惑は晴れて、無事に解放された。実際には、無事というには大変な問答があったようだ。

 協会にはシェラが捕縛されているままだった。捕縛時の取り調べの際には、二人の関係性は伏せたままに済んでいた。しかし、同じ場所へ捕縛されてからは、黙ったままというわけにはいかなかったようだ。

 二人のやり取りは気心が知れてしまっている。それを察せないほど、協会の目は節穴ではない。ましてや、栗飯原となれば、ラツェナドの会話の間合いを分かっている。

 シェラとの仲を探ることになり、師弟関係であることが知れたらしい。ラツェナドはその関係を認めているとは言い難かった。シェラだって、今回に関しては折れる心くらいは持っていたはずだろう。しかし、反駁の仕方や言葉遣い。そういった間合いは、栗飯原に見抜かれてしまったようだ。

 そして、それはラツェナドの立場を更に危うくするものだった。栗飯原はラツェナドを疑うことはなかったらしい。その根拠がどこにあるのかは不明だ。個人感情で判断していないのは確かだろう。

 他のハンターからは、疑惑の目を避けられなかったようだ。解放に関しても、渋られたと聞いている。その現場を栗飯原が収めてくれたらしい。

 その報告は、協会から解放された日に栗飯原とラツェナドが事務所へやってきて聞いた。正直に言えば、栗飯原がここまでラツェナド寄りで対応してくれるとは思っていなかった。

 俺が疑問を抱いていることは、栗飯原には筒抜けだったらしい。栗飯原は唇を尖らせて俺を見上げてくる。不貞腐れるのは、よくあることだ。しかし、今それをされる理由が分からずに、苦笑いをしてしまう。

 栗飯原は腰に手を当てて胸を反らした。


「わたくし、いただいた報酬に相応のお仕事くらい致しますわ」

「それはそうだろうけど……」


 それにしたって、である。

 ラツェナドの肩を持つところまでは仕事に含まれてはいない。職務の範囲は、犯人を捕まえるところまでだったはずだ。ラツェナドの解放は俺の領分であったとも言える。

 栗飯原がそこまで歩み寄ってくれるとは思わなかった。その内心に食い下がると、栗飯原はぎゅっと眉根を顰める。それから、俺の手のひらを掴んで握り締めてきた。


「伴様が頼りにしてくださったのですもの。ご褒美も先払いでいただいてしまいましたし、ね?」


 握られた手のひらが引き寄せられて、頬擦りをされる。片目が上目にこちらを窺った。

 意味深な仕草に、同行しているラツェナドが視界の端でニヤついているのが見える。そういう顔をしているから絡まれるんじゃないのか。指摘をしたくなる気持ちをぐっと堪えて、栗飯原から手を引き抜こうとしたが、上手くいかなかった。

 栗飯原は一見すれば、ただのご令嬢だ。しかし、腐ってもハンターだ。鍛えている俺からしても、緩い手解きでは抜けられない。

 力任せに引き抜くことはできる。だが、栗飯原を張り倒すまでするつもりはなかった。これが栗飯原の中では、許容とされているのかもしれない。


「こんなに効果があるとは知らなかったな」

「どうしてですの? あんなことをしてくださったのですから、当然でしょ?」

「安上がりだろ」

「伴様は自分の価値を甘く見積もり過ぎですわ。十分過ぎる対価ですもの。ラツェナドのことでも、全力を賭します。伴様のためですもの」


 自己都合で盲目的に陥る。今回はそれがよい方向に転がったために、文句を言うわけにもいかない。

 しかし、こうして訴えかけられると喉が引きつりそうになる。確かに対価は払ったが、たった数秒の抱擁だ。しかも、栗飯原は気絶している。興奮の結果だとは分かっているが、卒倒させておいてのうのうと価値に含めることはできない。コスパが良すぎる対価には、引いてしまうものだ。

 いくら何でも、自分の価値をそこまで引き上げられない。自意識過剰かもしれないが、自己評価が高いかどうかはまた別物だ。


「助かったよ」


 報告の最中。そして、ここまで傍観者となっていたラツェナドがようやく口を開く。どうせ入ってきてくれるのならば、もう少し気の利いた切り口で現場を掻き乱して欲しかった。

 正直、栗飯原に捕まったままでいたくない。


「伴様のためですもの。仕方がありませんわ」


 栗飯原は根強く断言する。ラツェナドも苦笑で収めるしかないようだった。そこは踏ん張って、それ以外の言葉を引き出して欲しかったところだ。


「ありがとう、栗飯原」

「はい!」


 どれだけ主張されても、これ以上の答えはない。お礼を言えば、満面の笑みが返ってきた。

 その弛緩の隙に、さっと手を引き抜く。栗飯原は無念そうな顔をしたが、付き合っていられない。隙を見せれば、どこまでも付け入られるのは目に見えている。


「残念ですけれど、わたくしはもう戻りますね」

「ああ。解放の手続きまでしてくれてありがとう」

「お気になさらないでくださいませ。伴様だって、警察との後始末があったのでしょう? 始めに呼びかけたのは伴様ですから。今回の功労者でしょう。報奨が出るかもしれないと協会でも持ちきりでしたよ。わたくしも、鼻高々ですわ」

「そりゃ、栗飯原の手柄だろうからな」

「わたくしは伴様の意見を補強して利用しただけに過ぎませんわ。煽動者ってだけですもの。首謀者は伴様でしょう?」

「黒幕のように言うのはやめてくれよ」

「策略家ですわ」


 俺がどれだけ訂正しても、栗飯原が意見を翻すことはないだろう。俺は肩を竦めて、納得とも否定とも取れぬ態度でやり過ごした。栗飯原は拗ねた顔をする。流すには拙過ぎたようだ。


「もっとお伝えしなくてはならないようですけれど、時間がありませんのでやむを得ませんわね。今度こそ、またお話の時間を作っていただきますわ。それでは、失礼致します」


 勢い尽くしの言葉の締めにしては、お淑やかなお辞儀をして事務所を出ていく。あまりにも見事な捨て台詞で、俺はその姿を見送ることしかできなかった。

 ……俺たちは、が正確だ。残された俺たちは顔を見合わせて、吐息を零した。

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