第28話

「背に腹は代えられない」

「今でも十分悪評が立ち始めてるって?」

「捕縛できていないどころか、正体も掴めていないんだからな。行動制限が出ていることもあって、当たりは強い」

「それもそうか」


 私は自由を楽しむことを知っている。だから、そこまで喫緊のことだとは思っていない。しかも、今よりもずっと治安の悪い時期を知っているし、その中を生き抜いてきたのだ。困ったことなどそうないものだから、行動制限についても深く考えていなかった。

 吸血鬼が跋扈していることも自然だからということもあるだろう。だが、人間にしてみれば、自分たちを捕食するものを放し飼いにしているようなものだ。

 偏見があるのも間違いないが、事実であることもまた間違いない。被害者意識で責め立てることもできそうになかった。納得する私に、伴君は苦い顔がデフォルトであるかのようになってしまっている。


「だから、気配で容疑者だけでも、と思ってな」

「被害者はそれほど出てるのか?」

「三件だ。すべて殺人だからな……とても看過できるものじゃない」


 他のことでもこのハンターは看過なぞしやしないだろうに。いや、だからこそ、事態を深刻に見て私に協力を求めてきたのか。


「現場検証で何か出てないのかい?」

「確証と同じで、しっかりと追えるような手がかりは一切ない」

「まぁ、出てれば吸血鬼かどうかすらあやふやだなんてことにはなっていないか。その状態で、私に労働を求めるって?」

「雲の一欠片でも掴めそうにないか?」

「現場を回っていくしかないだろうね」

「……頼みたい」


 それが大変な仕事量だと理解はできているらしい。いくら人間調べといえど、ハンターが全力を挙げていて、手がかりがない状況だ。その状況は吸血鬼だからって、ひっくり返せるものではない。

 シェラに能力のお墨付きがあるといえど、私にだって同じことだ。万能ではない。超常的なことに足を踏み入れている。それでも、ないものを作ることはできない。

 伴君はそこまで含んで理解しているはずだ。それでもなお、頼みたい。それだけで、切羽詰まっていることは知れる。それでなくても、想像は可能なのだ。それをこうして言質を取らせるのだから、後は推して知るべしだろう。

 伴君は姿勢を正して、改めて頭を下げてきた。そこまでか、と私はその旋毛を見下ろす。


「吸血鬼ラツェナド。俺に力を貸してくれ」


 改まる場面がよく分かっている。これは勘なのだろうか。感性なのだろうか。まったくもって悪くない。

 私は短く息を吐いて、不遜に顎を持ち上げて見下ろした。伴君の旋毛がわずかに持ち上がって、瞳が私へと向く。黙って返事を待っていた。


「仕方あるまい。吸血鬼たる私の血が必要であるというのなら、君に力を貸してあげよう」

「……ありがとう。助かる」


 ぱっと顔を上げた伴君は、心底安心したような顔をする。それだけで問題が解決するとは思っていないだろうが、多少は光明が見えるということだろう。


「どういたしまして。もちろん、報酬はもらうよ」

「ああ。用意するよ」


 俺ができる範囲で、と口にはしなかったが、そう思っていることが筒抜けだ。安請け合いもほどほどにすればいいものを。

 しかし、私に何の不利もないので注意することもない。交渉は成立しているのだから、食い下がるつもりもなかった。伴君も満足そうにしているので、余計なことはしない。

 そうして、私の長閑な日々は、ハンターに手を貸すかつての刺激的な生活を取り戻したのだ。




 進捗ははかばかしくない。伴君が表情で訴えかけていた通り、事件は膠着状態だった。

 被害者たる三人に共通点はなく、次の事件が起こることもない。こうなると、詰んでいるも同じだ。ひたすらに警戒を続けるしかなく、長期戦にもつれ込まされる。私も警戒に混ざり、吸血鬼の気配を探るしかなかった。

 そうして連れ立っていると、栗飯原さんに見つかる率も引き上げられる。おかげさまで、そちらのアタックも厄介なことになっているが、栗飯原さんも伴君ばかりに意識を向けていられないようだった。

 協会もほとんど総員が出払って、網を張っているらしい。栗飯原さんも任されている区域があるため、伴君だけに構ってはいられないようだ。その点だけはありがたいが、私だってその一員になっているわけで、猶予がないのは同じだった。


「こうも進展がないと、手も足も出ないものなんだねぇ」

「見つけた吸血鬼は平和主義だしな。やっぱり、人間の線のほうが高いんじゃないかと思うんだが」

「伴君は存外冷静だよね」

「お前がこれだけ見つけられないんだから、ってことだよ」

「でも、現在進行形の事件なのかさえ分からなくなりつつあるからね。前回から一週間音沙汰なしでしょ? もうこの町では手を引いた、ということもあり得るだろう。人間だと思うのなら、元来の刑事たちの捜査に頼るしかないだろうね」

「そっちでも、そこまで進展はないみたいだな。本腰入れてるのかどうかは怪しい」


 冗談紛いのやり取りで、不思議だなんて不透明な会話ばかりを繰り返していた。それが、今となっては、業務的な会話に変貌している。

 真面目であるというだけで、味気ないとは思っていない。しかし、意外性はあった。私と伴君がこのような間柄になるとは、予想外だ。

 友ともそうした話をしたことは何度かある。だが、あのときの私たちは協力関係とは言えなかっただろう。気まぐれや偶然を幾度も繰り返して、突発的に背を預けていた。たったそれだけのことだ。

 だから、今の伴君とのように過ごすというのは初体験だった。相棒のように過ごすこと。そのむず痒さのようなものもある。

 自分の中にそんな初めてが、未だにこうして湧き上がることがあるものか。

 長年生きてきたって、まだ若いほうの吸血鬼だ。だが、経験値が溜まっていけば、真新しいことと触れ合う機会も減ってくる。

 いくら人間とのやり取りが少ないと言っても、感情の揺れには程度があるものだ。微細な違いはあるかもしれないが、ある程度の傾向というものはある。大抵のことは、行く先を予測できるようにもなる。意外性だって、選択肢のひとつとして予測可能だ。

 別に理論武装しようってわけじゃない。それでも、感情を思考で納得することが増えてくる。新鮮味を感じられることは滅多にない。

 だからって、楽しいばかりではいられなかった。最初のころは、まだ余裕があったのだ。少なくとも、私はまだ参戦したばかりで、伴君たちに比べれば随分気楽だっただろう。

 自分が万能でないことなど、骨身に染みていた。けれど、痕跡が一切合切見つからないほどだとは思っていなかったのだ。

 吸血鬼の気配を察する力を持ってしても、そんなものは欠片も見つからなかった。これは時間経過もあるだろう。だが、犯人がここまで用心深いとは。

 私が見つけられないという部分を取り上げれば、伴君の犯人人間説を後押ししたくなるくらいだ。自分が見つけられなかった、という感情面ではなく、論理的に考えても一理ある、と。


「限界が近いよね」


 それは我々の捜査の限度ではなく、町の抑圧に対する限界だ。

 警戒注意報による行動制限は、どうしたって期間限定の処置でしかない。いつまでも引き延ばせない。

 そして、こればかりは私も他人事ではいられなかった。そろそろ、と退職を促されているところだ。いくら生活に困窮しないといえど、バイトでも仕事を失うのはそれなりに痛い。

 身体能力や健康は人間よりも強固で、何でもやれる質だ。ただ、資格はないので、できるものは限られてくる。吸血鬼という立場で職を探すのは大変だった。


「ハンターもな」

「そう?」

「俺たちは万能超人じゃないぞ」

「でもちゃんとシフト制でしょ」

「どうしても多く出てるやつは多い」

「正義感か?」

「それもあるし、評判に押されてるってのもある」

「……君もか」


 私は伴君の正式なシフトに準じて同行している。

 それ以外を一人で散歩するには、情勢はよくなかった。私だって要らぬ容疑をかけられたくはないし、住民の不安を煽りたくもない。そのため、伴君に同行してもらえないときは、自宅に引きこもっている。

 こうなると、伴君にかなり頼っているような気がしてくるものだ。栗飯原さんに難癖をつけられるのも仕方がない。それほど時間をともにしているつもりでいたから、伴君がそれ以上をこなしているとは知らなかった。

 明らかに過剰労働だろう。ハンターの業務形態がどうなっているのか。私が知っているのは、労基がどうだのという規則が成立していないころだ。今の規則社会ではどうなっているのかまでは想像がつきづらい。

 ただ、過剰労働であることだけは間違いなかった。


「ほどほどにしないと伴君が倒れて無意味になるぞ」

「ラツェナドがどうにかしてくれるだろ?」

「私に全幅の信頼を置き過ぎじゃないか?」

「信頼してなきゃ頼んでない」

「私たちにそういうものが育まれていたとは知らなかったな」


 それこそ、言ってもどうしようもないことだ。それを言うなら、私だって現状ほぼ無報酬で伴君に協力している。この信頼関係は不思議な感覚を基盤にして作られている砂上の楼閣のようなものだ。

 にもかかわらず、いつの間にかその砂はコンクリのように固まっていたらしい。自覚はなかった。誤認でも何でもなく、私たちに絆を確かめるようなイベントは何も起こっていないのだ。

 これには伴君も苦笑を浮かべるしかなかったらしい。

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