第29話

「……俺のことが信じられないか?」

「どういう理屈でそれを確かめようとしているわけ? 私が君を信頼していないから、吸血鬼の気配を教えないなんて卑怯なことをしていると思っているんじゃないだろうな?」


 睨むように言い切ると、伴君は手を上げて降伏した。


「そんなこと言ってないだろうが」

「じゃあ、何の確認なんだい。俺が信頼しているんだから、ってことか?」

「……別に、そういうんじゃないけど」


 唇を尖らせてぶつくさと呟く。

 図星じゃないか。素直というよりも幼かった。子どもじみた態度は、同年代にしてみればウザいのかもしれない。だが、こちとら数百年を生きている。子どもじみた態度だって、微笑ましいだけだ。

 私がぐっと肩を組んでやると、伴君は気まずげに眉を顰めた。


「これくらいはパーソナルを明け渡してやっているところから、察するところはないのか?」

「……この場合は、俺が許しているって言うんじゃないのか?」

「私だって気を許さなければ噛みつく距離まで寄らないさ」


 そういって、牙を見せてやる。伴君は眉間の溝を深くはしたが、私から離れることはなかった。

 ……確かに、これは私が伴君へ気を許しているというよりも、伴君が私を許容し過ぎているというのかもしれない。


「君ね、少しは距離を取りなよ。本当に危ないことだぞ」

「ラツェナドが俺を襲うメリットなんてないだろ。観察者を襲ったなんてバレたら一発で施設送りだぞ。協力することを知っている吸血鬼がそんな橋を渡るとは思っていない」

「妙に冷静に分析できているところが腹立たしいな」


 何も考えず、ただ人が良いってだけでもないのだ。計算しているってわけでもないし、頭が切れるって感じでもない。何とも繊細なバランスの上に成り立っている。どういう精神と思考のバランスでいるのだろうか。


「とにかく、別に疑ってないし、ラツェナドですら見つからないんだからこそ、頑張るしかないじゃん。このままってわけにはいかないんだし」

「まぁ、それはその通りなのだけど」

「なぁ、吸血すればもっと気配を探るのは簡単になるか?」

「その前に他のハンターに見つかって大変なことになるんじゃないか?」

「同意書をちゃんと書くと言っただろう」

「この時勢じゃ悪手だ」

「……お前が捕まるか」


 やはり、考えていないわけではない。理路整然としている。


「そうすれば、君も観察対象が捕縛になって迷惑を被るよ」

「迷惑で済むならいいけど、さすがに職を失うかもしれないのは困る」

「おおらかに過ぎる」


 いくら言っても、伴君に自覚はない。さすがのラインが高過ぎるのだ。

 しかし、伴君は事もなげにしているものだから、私の感性がおかしいのではないかと疑ってしまう。今もまた、私の感想に疑問を抱いているらしい。説明して人の良さを減少させる気はなかった。

 肩を竦めて流す。


「とにかく、吸血は奥の手だろうね」

「……奥も奥か」

「お互いにね」


 致命傷ではあるが、絶対に取り戻せない最後の一線というわけではない。努力次第では取り戻すこともできる。途方もない苦労をすることに違いはないが、挽回の余地はあるだろう。

 協会へ強烈なツテがあるのだ。栗飯原さん、という伴君に惚れている人間は、そうした無茶をしでかしてしまうタイプに思えた。伴君が願えばいよいよだが、そうでなくても動いてくれそうだ。

 私がその恩恵に与れるかは賭けだが、伴君は私を見捨てるほど非情ではないだろう。だから、致命傷ではあるが回復の見込みはある。そのため、奥の手として取っておくことに、躊躇はなかった。

 もしものときに求められれば、要求に応える用意をする。しばらく能力を使ってもいない。人間社会の真ん中でそれを解放するには、私といえども覚悟は必要だった。

 そうして、奥の手があると分かっていると、突破口を探すにもわずかに心の余裕が生まれる。楽観視しているわけではない。しかし、講じる手段がないという切迫感がないだけ、気持ちは楽になった。それは恐らく、伴君も同じだっただろう。

 そして、それはある種の油断であったのかもしれない。四人目の被害者が出たのは、その日の明け方だった。




 私と伴君の間では、犯人人間説が深まっただけだったが、現場はそういうわけにもいかなかったらしい。

 ハンターたちは今まで以上に、立場を危うくしたようだ。そして、その余波は私たちに降りかかってきた。

 協会だって、本気で私を犯人と見据えているわけでもない。だが、その日うろついていた吸血鬼は私以外に見当たらなかったようだ。

 そのことを警察に突かれてしまったらしい。協会と警察は協力体制を結んでいる。だが、この体制が作られてから百年も経っていない。お互いの信頼関係が組織として組み上がっているとは言い難かった。

 警察の縄張り意識に、協会はいつも足を取られていると聞く。そして、今回も見事にその流れに巻き込まれた形だ。

 伴君は協会所属のハンターではないので、かなり粘ってくれたらしい。自分がずっと同行していたと、ハンターとして強く申し出たと。

 私の元を尋ねてきた栗飯原さんが苦い顔で、伴君の奮闘っぷりを教えてくれたのだ。そして、伴君は不機嫌な顔で私に頭を下げた。


「すまん」


 罪悪感がオーラとなって漏れ出ているかのようだ。伴君のせいではないだろうに。ここまで反省していると可哀想になってくる。私は下げられた頭の上に手のひらを置いた。それから、とんとんと撫でるように叩く。


「君のせいじゃないだろ。それで、私はどうするのがいいって?」

「……協会で保護しますわ」

「保護、ね」


 束の間の一拍が、栗飯原さんの葛藤を映し出していた。

 保護という体裁を整えたことは明白だ。それを理解できないほど、私は世間知らずではない。何より、手のひらの下で項垂れている伴君が、私の処置について切々と訴えかけていた。本当に分かりやすい男だ。


「安全と無罪を保証してくれる気はあるんだよね?」


 保護という体裁の捕縛を受け入れるためには、ここだけは確認しなければならない。その保証がなければ、圧倒的に不利だ。

 たとえ補導のようなものであったとしても、記録が残る。捕縛対象とされておいて、そのうえ補導の記録が残れば、後々の仕事に響くだろう。

 そろそろだと思っていたバイトは、今すぐ辞めざるを得ない。そうなると、経歴は大事だ。吸血鬼は雇われるたびに、身辺調査をされる。影響は直撃だ。

 確認をした私に、栗飯原さんが口を開こうとするより先に、俯いていた顔が思いきり持ち上がってきた。置きっぱなしにしていた手が勢い任せに放り出される。痛いとまでは言わないが、身体が振られてしまった。

 顔を上げた伴君は、ぎらりとした瞳で私を真っ正面に捉える。その泣きぼくろのある青い瞳が過去の瞳と重なった。


「俺が必ず保証する」


 大言で安請け合い。人が良いというより他にない。

 必ずなんてものは、この世にそうないことなど、伴君だって分かっているだろうに。それでもなお、口にせずにはいられなかったのだろう。強い意志で断定する表情を見て、無粋な指摘をしようとは思わなかった。


「君に免じて捕縛されてやろう」


 不遜に言い切ると、伴君は喉仏を鳴らすようにこくりと顎を引く。重々しいその動きは、信じるに値するものだ。必ずなんてないけれど。恐らく、この子は限りなく保証するだろう。それを信じられるのは、伴君が伴君だからだ。


「すまん」

「謝るなよ。私だって、協力を了承していたのだから、リスクは分かっていた。奥の手を使う前に、ここまでになるとは思わなかったけどね」

「奥の手を使わせる気はなかった」

「人が良い」

「観察者は観察すると同時に、庇護しているようなものだ」


 至極、生真面目に漏らす。自身の思想に何の疑問も抱いていないようだった。すべてが本気なのだろう。その眩しさに目を眇めた。


「では、その手に甘えよう」


 取り繕った体裁に乗っかる。伴君が私を庇護してくれるのだと。

 言葉通りに、手を取るかのように、伴君へ向かって手を差し出した。私は協会に保護されるのではない。伴君の庇護に入るのだ。

 握手に答えた伴君の手のひらは分厚い。闘いを日常にしているそれは、頼り甲斐と親しみを覚えるものだ。何度もこうして手を引き合った過去が、目の前で像を結ぶ。

 彼がどう思うかは定かではない。だが、私の中でその像は難なく重なり、腑に落ちた。生き残りだなんだ、なんてものはきっかけだ。もちろん、それが信頼する基礎を作っていることは間違いない。でなければ、伴君に興味を抱きもしなかったし、協力なんてするわけもなかった。

 けれども、今はもう眼前の伴君の存在を認めている。


「任せてくれ」


 首肯に加えて、深い響きの声がトドメを刺してきた。

 栗飯原さんが横で苦くなっている。そうされるのも分かるほど、伴君は私に対して真摯で確固とした男前だった。それから手を離した伴君は私の肩を掴んで、栗飯原さんのほうへと押し出す。


「栗飯原、協会内のことはお前に任せる。頼めるな」


 さすがに、この場で個人感情を優先することはない。栗飯原さんはぴしりと背を伸ばして伴君を見上げた。その瞳の鋭さは、決して揺らがないハンターのそれだ。


「お任せください。伴様の足を引っ張るような真似は致しませんわ」

「ありがとう。頼んだ」


 何の衒いもない。すんなりと全権を委ねる。日頃のプライベートのやり取りに思いを馳せることもしていない。そんなものを吹っ飛ばして、信頼を平気で投げ渡す。

 こんなことをされちゃ、栗飯原さんは何を持ってしても叶えるだろう。これを計算で行わないのだから、栗飯原さんの見る目はとんでもなくいい。


「待ってろ、ラツェナド」

「……ああ。気をつけてね、伴君」


 まるで騎士物語で騎士を見送るお姫様だ。

 シェラを筆頭に、他の吸血鬼が知ったら、落ちぶれたと嘆くのだろうか。私はひとつもそんなことを考えなかった。守られることを喜んでいるわけでもない。

 伴君を信頼している。それだけのことだ。

 そうして、私は栗飯原さんに連れられてハンター協会へ捕縛されることになった。

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