第六章

第30話

 元から、吸血鬼の可能性は低いと思っていた。

 だが、町が危険であることは違いなく、仮に人間相手であったとしても、パトロールには意味がある。そして、低いとは言え、吸血鬼の可能性もあるのならば、と万全を喫してラツェナドを話に引き込んだ。

 そのときのリスクは、同等だろうと思っていた。それが過度な楽観だったとは今でも思っていない。しかし、バランスが崩れることはある。

 時勢はラツェナドを劣勢へ陥れた。自己嫌悪に、俺はラツェナドへ宣誓して動き出したのだ。

 重ねた手のひらの低い体温が、俺の心をじくじくと蝕んでいた。ラツェナドと接触を持ったのは初めてのことではない。これまでも、触れ合うこともあったし、交流を深めていた。

 それだというのに、握手の瞬間が瞳に焼きついている。俺を信頼すると言ってくれたその仕草も声も何もかもが、やたらと鮮烈な印象を残した。不思議な感触。ずっと存在し続けていたそれが明々と輪郭を強くする。きっかけが掴めず、動揺は広がった。

 しかし、そんなものにこだわっている時間はない。俺は事件に突っ走った。元より、手を抜いてなどいない。ラツェナドを引き込んだことも含め、全力を賭していた。

 ただ、その時点では人間と吸血鬼が五分五分というところだったのだ。奇しくも、四人目が出たことで、人間の確率が高まった。行き詰まりに一筋の光明が差す。

 俺は警察との協力を強くし、できることをひとつひとつ潰していった。とはいえ、俺が捜査の基本を知っているわけではない。体力面での協力が主になった。それは協会とパトロールしていた日々と、やることはそこまで多くは変わらない。

 それでも慣れないことばかりで、俺は疲労感を携えながらただただ走り回るだけになっていた。


「伴様、そんな働き方では身体を壊してしまいますわ」


 ラツェナドに協力を願い出ていたときも、それなりにパトロールの時間を強化していた。そのころと今で、動く時間が変わっているとは思えない。ギリギリを攻めていることに変わりはなかった。

 だというのに、俺に突撃してくる栗飯原の様子はがらりと変わって、鬼気迫る。まぁ、鬼気迫っているのはいつものことだけれど。


「早く解決したいのは、協会だって同じだろう」

「そうですわ。ですから、もっとわたくしたちに力を借りて動くことも考えていただきたく存じます」

「そっちだって十分忙しいだろうが」

「わたくし一人ならば、都合をつけることは可能ですもの」

「そんな恩を受けたくはない」

「失礼ですわ!」


 栗飯原は珍しく眉を吊り上げて俺を見上げてくる。

 栗飯原はいつだって威勢がいい。俺に向かってくるときは、勢いばかりで言い募る。だが、鋭い顔をすることは少なかった。稀有な顔つきには、多少は感じるところがあったが、それはそれだ。


「わたくしが今回のことを恩に着せると本気でお思いですの!? 見くびらないでくださいませ」


 肩幅に足を開いて、力強く踏ん張る。啖呵を切るような態度には慄くほどだ。栗飯原には慣れきっているつもりだった。驕慢だろうが、すべてを知っているとさえ。初めて見る顔には、驚きを隠せないでいる。


「ラツェナドを不利に扱うとでも思ってらっしゃるのですか!?」

「そんなことは思っていない」

「ならば、何故わたくしが手伝わないと思いますの? 伴様に言っていただければ、わたくしはいつだって身を粉にして働く意志がありますわ」

「とにかく、落ち着いてくれ」


 こうした言葉で栗飯原が沈着してくれるとは思っていなかった。日頃の態度を見ていれば、そんなことを想像することは容易に過ぎる。

 案の定、強い姿勢も視線もびくともしなかった。むしろ、熱量はどんどん引き上がっていく。表情だけでそれをつぶさに感じさせられることは、栗飯原の能力だろうか。


「伴様がお話を聞き入れてくれればよろしいことですわ」

「……だから、落ち着いてくれ」


 身を乗り出してくる肩を掴んで、ぐっと押し戻す。

 ラツェナドも呆れていた。こうした接触はすべきではないのだろう。分かっていたが、栗飯原から逃れることは難しい。俺から触れざるを得ないことも多かった。

 そうして掴まえられた栗飯原は頬を赤くする。照れてくる感情そのものを否定することはない。ただし、それを押し付けられ続けられれば辟易するものだ。この場合は、ただの制止でしかない。

 だが、栗飯原相手では、それすら勘違いを生む。今回ばかりは、元来の意味で通じてくれたようだが。


「頼りにしてないとは言ってないだろう。協会だって、引き続き警邏をしているし、何もしていないわけじゃない。それに、栗飯原は協会でラツェナドの相手をしてくれてるだろ」

「……贔屓できているわけではありませんから」

「ラツェナドと俺の橋渡しになってくれているだけでも十分だ」


 栗飯原は唇を引き結んだ。

 ラツェナドのことは、見えている地雷だった。男女が俺を取り合うライバルになっていると言うつもりはない。だが、栗飯原はそうした関係によく似た感情をラツェナドに抱いているようだった。

 俺とラツェナドにそんなものはない。同性だからというわけではなく、ただそんなものじゃないと確かな感触があるというだけだ。ラツェナドに確かめたことがないにもかかわらず、そう思っているとどこかで納得しているような気すらしていた。

 不思議な繋がりだ。俺自身、それを認めている。それを特別だと言うのであれば、栗飯原が敵対心を抱くのも分かる気がした。

 ただ、感情の推測と理解をしたからと言って、許容できるかどうかは別問題だ。こうして逐一仕草に出されてしまえば、尚のこと。

 橋渡しと言う言い方が気に食わないと気がついてしまうから、余計になのかもしれない。自分の言葉遣いを責められているような気がしてしまう。これこそ、自意識過剰だろうけれど。不貞腐れた栗飯原の肩を叩いて離す。


「俺は栗飯原の仕事ぶりを信頼している」


 限定的な枠組みを聞き入れてくれるかどうかは怪しい。確率としては低いだろう。事実、煌めいた瞳の色は、仕事を褒められただけに収まっているとは思えない。


「でしたら、もっと頼ってくださって構わないのですよ? わたくし、足を引っ張るようなことは致しませんわ」

「そのときが来たら、栗飯原に頼むよ」


 おためごかしのつもりはなかった。栗飯原にしか頼めないことは確かにある。もしもの奥の手を使うときには、栗飯原に頼るしかない。

 だから、嘘ではなかったが、栗飯原には諌めるためのおざなりな相槌に聞こえたようだ。俺にベタ惚れであるにかかわらず、こういうときには奇妙な明晰さがある。盲目的であるのなら、常に目を瞑っておいて欲しいところだ。


「警察とやり取りするなら、個人のほうがまだ自由が利く。協会所属として不始末をしでかせば、上層部から目をつけられるだろ」


 ラツェナドの二の舞いだ。自分のラフな対応で、栗飯原の立場を危うくしようとは思わなかった。どれだけ雑に扱っていても、不幸になればいいとは思えない。心遣いのつもりだったというのに、栗飯原は不満げな顔をして、鼻を鳴らす。

 一体何が、と思ったところで、栗飯原はぐいっと胸を反らして腕を組んだ。巨乳を腕に乗せる形になるポーズは迫力がある。何が、とは下世話だろうし、俺が言うことで邪悪さも割り増しだろう。


「わたくしの立場をお忘れでありませんの?」


 組んでいた片腕を立てて、頬に手を当てて首を傾ぐ。お嬢様の印象を際立たせる仕草に、言葉が脳髄に到達した。

 はっと見つめると、栗飯原の笑みが深まる。いつも俺に向けるのは、柔らかくふやけたものが多い。それが強気な笑みになると、造形の美しさに気付かされた。

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