第五章
第25話
その後、私たちが注意したのはただひたすらに栗飯原さんだった。
観察対象になった結果、手に入れたのは面倒くささという始末だ。伴君も、今まで以上に面倒事になったらしい。時折、私のところへやってきては愚痴を零していく。
栗飯原さんとは毎日会うわけでもないし、来るタイミングは掴めているらしい。だから、私に会いに来るときに同行していたりすることはなかった。なので、絶対に辞めて欲しいと希うまでではない。
しかしながら、こういうことをしているから、という愚痴はこちらからも漏れた。そんな不毛な顔合わせを繰り返していれば、そのうちに友好度は幾ばくか上がる。
元々、親近感のようなものを感じてはいた。それが三週間も経てば、実質的に近付いたと言える。
時間経過の分だけそばにいるほど、べったりな生活をしていたわけではない。私もパトロール中の伴君を見つければ声をかけたし、伴君も私を訪ねてきたりしたが、それはまさに気まぐれと呼ぶものだった。
だが、町内のことだ。そのうえ、伴君はハンターとして私を観察対象に設定している。恐らくは今までも被っていた生活圏が、意識して被るようになっているはずだ。そうなれば、出会う確率はうなぎ登りに引き上げられる。
結局のところ、二日に一回。時には日に二回などということさえあるのだから、頻繁と呼ぶより他にないことになっていた。
そんなものだから、これもまた時々現れる栗飯原さんに言い訳をするのは難しい。そもそも疑いだけしか持っていないのだから、何をしたって怪しいばかりだ。おかげさまで、私たちが栗飯原さんを警戒する日々は強まっていた。
「またお二人で内緒話ですの?」
二人でいるだけで、特別な会話をしていると判定される。理不尽極まりない。
シェラが未だ協会で捕縛されていると、栗飯原さんが私に伝えたときは、私と栗飯原さんの二人きりだった。栗飯原さんの理論を用いれば、邪推したっていい。しかし、栗飯原さんは伴君を介さなければ、そうした思考回路は発動されないようだ。仕事の報告としてきりきり言い切って、さっさと帰って行った。
伴君がいなければ、私に対する興味関心など路傍の石ころ以下なのではないだろうか。そのくせ、伴君と一緒にいるときだけは、警戒対象として存在価値が莫大に引き上げられる。
自分の立ち位置がこれほどフラフラする羽目に陥るとは思っていなかった。もちろん、そんな対外的な立ち位置で存在を揺らがすようなことはない。しかし、扱いを変えられるのは釈然としないものだ。
そして、伴君は時間経過とともに仲間を見つけたような顔をするようになった。それがまた栗飯原さんのボルテージを上げて悪循環だ。
だからと言って、解決策があっさりと手に入るのであれば、この惨事はなかっただろう。伴君も諦めているから、仲間意識を高めてやり過ごすという手法を取っているらしい。それに気がついてしまえば、邪険にするのも可哀想になってくる。
確かに私は巻き込まれているが、今までは伴君がこれを一身に受けていたのだ。よくなびかずにいられたものだった。なびかなくとも、折れそうな威勢だった。
まぁ、折れれば複雑骨折では済まない。踏ん張るしかないし、私がぶつかられている張本人だとしても、折れることはないだろう。
しかし、お人好しの気がある伴君が、頑愚に距離を維持できていることは意外だ。早々に隙を突かれて、付け入られそうなところがある。私にも、半ば付け入れられていると言ってもいい。私は栗飯原さんのような真似はしていないが、吸血鬼を胸の内に入れることをすんなりやっているのだ。
私がほだされた。その点を無視するわけにはいかないだろう。しかし、それにしても、というやつだ。
そうした経緯に鑑みても、伴君が立場を守っていることには驚きが勝る。あまりにも堅牢であるので、ついぞ口をついてしまったくらいだ。
「なびいちゃえば楽じゃない?」
そろっと嘯いた私に、伴君は白い目を向けてきた。
「結婚まで一直線だって言っただろ」
「結婚してしまえばいいじゃないか。栗飯原さんなら、君に存分に尽くしてくれるだろう。未来は明るいと思うけど」
「あの威勢の良さに毎日付きまとわれ続けるなんて精力を奪われる」
「正当な理由でも奪ってくれるだろうに」
下世話ではあるが、結婚や交際には付きまとう話だ。男同士でもあるし、配慮するつもりもなかった。伴君も横目で私を睨みこそしたが、話の内容に対するものではなかったようだ。
「だからっていいってもんじゃないだろ?」
「操を立てるタイプ?」
「そこまで清純に見えるのか?」
「まーた、その言い方か。見えないけどね。でも、栗飯原さんは別って、どういう心境なの?」
伴君は腕を組んで、ゆったりと首を傾げる。
改めて思考することなのか。翻弄されている。思考を巡らすことはよくあるはずだ。改まらなければ出てこないのか。そう思っていたが、どうやら言語化することに時間を要したらしい。伴君がこう言葉を探るのを見たのは初めてだ。
即断即決だと思っていたわけではない。だが、吸血鬼を相手にして躊躇うことはなかった。
「俺には栗飯原に返す気持ちがない。そんな状況で、答えるなんて馬鹿な真似できるわけないだろ」
なるほど。徹底した態度は、栗飯原さんを心底嫌煙しているからだと思っていた。だが、実際は違う。
そして、その中身はお人好しな伴君らしい。誠実で純真。自分のことを清純ではないと言うが、その発想はあながち外れてもいない。むしろ、それを補強するようなものだ。
あまりの律儀さに、私は苦笑いをしてしまった。伴君は、不思議そうな顔になっている。ここに疑問を抱かないところが、伴君の伴君たるところだろう。
「……律儀だねぇ、君は」
「当たり前のことだろうが。それに、あれと付き合い続ける根気は正直ない」
「今とあまり変わらないと思うが」
「今より楽になるって思ってるんだろ? 束縛されそうじゃん」
「遊び歩きたいわけじゃないんだろう?」
「ラツェナド、お前は俺の遊び相手なわけ?」
ことんと首を傾げられて、一瞬バグが生じた。意味が到達してから、どっと笑いが零れ落ちてくる。
「何? 君が私と?」
くつくつと堪えきれない笑いに喉を震わせた。伴君もくすりと笑いを零す。
「まったくあり得ないよ」
「だろ? それでも、絡まれてるし、対抗心ギラギラじゃん。別に女じゃなくても、束縛はあり得るだろ」
「……なるほどね」
栗飯原さんのことを理解している。そして、それは十分に想像できるものだ。
栗飯原さん本人は、伴君が強く求めれば認める用意はあるのかもしれない。けれど、それはどう大目に見ても譲歩でしかないだろうし、別のところへ余波が流れることも明白だ。
どうしたって、ろくなもんじゃない。これは理解というよりも、絡まれた期間だけ考えてきた結果だろうか。苦い顔を保っている伴君が、かしかしと襟首を掻く。それから、ゆっくりと目を逸らされた。
「まぁ、迷惑かけてるのは悪い」
ぼそっと零された謝罪は、やっぱり人が良い。いや、これは正当な謝罪か。
「しょうがないな、君は」
「でも、あれをどう回避すればいいんだよ。遅かれ早かれ、ラツェナドのことは栗飯原にバレてただろうし、あの様子でどんどん押し入ってくるのも分かりきってたし。下手に俺のいないとこで交流持たれたほうが、よっぽど面倒なことになっただろうし」
「しょうがないって言ってるでしょ」
べらべらと捲し立てる伴君に苦笑で伝えると、伴君はへの字に唇を曲げた。
「すまん」
私としては、大丈夫というニュアンスで伝えたつもりだ。だが、伴君としては呆れられていると思ったのだろう。
再びの謝罪に、私は肩を竦めた。それから大仰に腕を広げて見せる。伴君はこの動作が、本来ならマントを翻す行為だと分かっているようだった。
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