第24話
視線を逸らしてやると、靴がぶつかってきた。思わず視線を戻してしまったのは、伴君の思うツボだっただろう。
懇願するような瞳がぶつかった。今まで自分で栗飯原さんを退けてきただろうに。私がいなければ自分でどうにかする力があるだろうに、それを放棄してくるほどに疲れるものらしい。
だが、そうされたところで、私にはどうしようもないことだ。栗飯原さんをくぐり抜ける技など持ち得ないし、ヘイトを集める気は更々ない。
こつんと靴をぶつけ返すと、伴君は目を細めて肘打ちをしてきた。本当に手が出る。力で解決したいと言っていたのを思い出した。
そのとき言い出したシチュエーションとは違うだろうが、仕草のほうが優先される辺り、あながち冗談でもないのかもしれない。やり返せば膝などがぶつかってくる。げしげしとやり合うことに躊躇はなかった。やられたらやり返すのは私の主義だ。
お互いにそうした性質を持っていれば、終わりはなかなかやってこない。引き際をなくしたやり取りは続いていく。
そこに、ばんと机を叩く音が乱入した。私と伴君は、お互いを小突いていた手を止める。ぎくりと目を向けた正面の栗飯原さんは、憤怒の表情になっていた。真っ直ぐに射抜いているのは私だ。
「……わたくしのお話よりも、吸血鬼とじゃれるほうが大切ですの?」
「……そういうわけじゃない」
「では、どういうわけですの? わたくし、伴様とお話しているのですわ」
怒りを示す栗飯原さんは、場合が場合なら可愛らしいのだろう。しかし、そのギラついた瞳に貫かれる私は、そんな悠長な気分でいられるわけもない。伴君も頬を引きつらせていた。
「悪かったよ。それで? なんだっけ? シェラのことはこれで問題なし?」
頬を引きつらせるほどには、ダメージを食らっている。そのくせ、空惚ける余裕はあるのだから、伴君の心境を察するのは難しい。
空惚ける態度は彼によく似ていたが、はたしてこのように言い寄られて切り返すような態度を取れたのか。それを確かめる術は既にない。
「シェラのことは構いませんわ。今は伴様とその吸血鬼のお話をしているんですの」
「観察対象ってこと以外に何もないよ」
「……そのわりには、仲がよろしいのではありませんか?」
私と伴君は目を合わせて首を傾ぐ。そうした仕草すらも気に食わないのは、注がれる視線で明らかだった。
「一応、観察対象として保護することを考えるくらいだからな」
「伴様は今までだって吸血鬼に優しかったですけれど、そうした保護に踏み切ることまではありませんでしたわ。どういった心境ですの?」
「いや、それは、なんというか……まぁ、流れで」
こればかりは正体が掴めない。不思議だ、と感じながら、流れに身を任せた。それ以上の説明がひとつもできない。理由をでっちあげることすらも、難しいものだ。伴君もそう感じているようで、曖昧な返答をすることしかできていなかった。
「わたくし、詳しく知りたいですわ」
「色々とあるんだよ」
「そのように誤魔化さないでくださいまし」
「色々は色々だよ。こればっかりは、栗飯原に話すつもりはない」
「ハンターとして事情は共有しておくべきではありませんか?」
「ハンターとして、伏せるべき事情もあるってのは理解してくれるだろ?」
ばちばちと散っている火花は、本当に職務としての戦いなのか。伴君は面倒な事柄を避けることに躍起になっているだけに過ぎないだろう。
実際、私と伴君の間には何もない。探られて痛い腹もないのだが、何もないからこそ、勝手に作り出されると厄介なことになる。というか、もはやその道筋が燦々と輝いているように見えた。
伴君はまだ脇道を探しているのか。それとも、他にないものだから、無理やり獣道にでも何にでも分け入ろうとしているのか。どちらにしても、悪足掻きにしか見えなかった。
「ですけれど、わたくしと伴様の間柄ではありませんの?」
「独立ハンターと協会ハンターだろ? 事情は違う」
「それほどラツェナドとの関係が大切なのですか? わたくしにもお話しできないほどに?」
伴君の中で、栗飯原さんの地位は高くはないはずだ。逐一引き合いに出して比べるほど、伴君の思考を占めていない。相対して、私が統べているなんてこともないだろう。そもそも、こういうものは比較するものではない。
伴君は長いため息を吐き出した。
「もし栗飯原に話さないことが大切になるなら、そうなるな」
「ちょっと、伴君」
飽き飽きしているのは態度で察していたが、まさかそちら側に舵を切るとは思わずに声が出る。
ぎろりと見つめると、伴君は眉尻を下げてこちらを見た。まだ私に救出を求める気をなくしていなかったようだ。妙なところがしつこい。
その辺は、栗飯原さんと良い勝負ではなかろうか。……こんなことを言えば、全力で否定されることだろうが。
「栗飯原からそう見えるんだったら、そうなんだろって話だ。認めたつもりはない」
「だからって、栗飯原さんに判断を委ねることはないだろう。どうしてここで投げ出しちゃうんだよ」
ここまで粘っていたのは何なのか。自分に矛先が向いていなければそれでいいのか。不満を刺すと、伴君は肩を竦める。ここでしれっとした態度を取られても、苛立ちを煽るだけだ。
「私たちの間には何もないでしょ」
「当たり前だろ」
「だったら、変に栗飯原さんに誤解を与える真似をしないでくれよ」
「何を言っても、栗飯原は勘違いをし続けるだろうが」
「分かっているからって投げ出していいことにはならないんだよ。栗飯原さんが君を大切に想っていることは間違いないのだから、安心させるように甘い台詞のひとつで吐いてあげればいいだろう」
「お前は俺のことをなんだと思ってるんだ」
やっていたではないか、と行間を含んで睨み上げる。あちらも負けじと眉を顰めた。
「そういうことができる子でしょ?」
「だからって、変に気を持たせるような真似をさせようとするなよ。見てただろ」
「君、正面切ってなかなかひどいこと言うね」
「言っても無駄だったからな。もはや、遠慮する段階はすっ飛ばしてんだよ」
「だったら、初めから探るような言い方をせずともよいだろう。私を生贄にしようとするのはやめてくれ」
「生贄になんかしてないだろ」
「私が栗飯原さんの目の敵にさせられるのは目に見えているだろうが。君と大切に想い合っているなんて誤認してもらっては困るんだよ」
「仮にそうじゃなくても、お前が俺のそばにいる限り、付きまとい続けるから無意味だ」
「おい」
どんと肩を小突いてしまったのは、まだやり合っていた感触が残っていたからだろう。私は普段、他人とこのようなパーソナルスペースで生きていない。
伴君が特別であるような気がして、苦々しくなってしまった。栗飯原さんの誤解を加速させて、証左しているようなものだ。
私ですら思ってしまったことに、栗飯原さんが思い至らないわけもない。ぱんと両手を叩く音が立てられて、私たちは口を閉ざしてそちらへ目を向けた。栗飯原さんの表情は厳しいが、ヒステリックに騒ぎ立てることはない。その冷静さが面倒くささを倍増させる。
「お二人が仲良しなのはよーく分かりましたわ」
どうしても捻れて伝わるものらしい。いや、これは私たちが悪いのだろうか。確かに、他人を置いてけぼりにして会話を繰り広げる二人の仲が良好と見る目はズレていない。ひくりと唇の端がひくついた。
「わたくしの魅力が足りないのも分かりましたわ」
にっこりと微笑んでいる瞳が、まったく笑っていない。これを馬鹿正直に受け止められるほど、栗飯原さんが軽い女でないことは分かりきっている。私ですらそうなのだ。伴君が分からないわけがない。
「そんなことは言ってないだろ」
「言ってなくても態度が物語っていますもの。わたくし、もっともっと精進致しますわ」
「いや……」
「きっと伴様の気持ちに気がつかせてみせます」
キラキラとした瞳で熱意を掲げる。ここまで来ると妄想力逞し過ぎて、手に負えない。気持ちに気付かせるも何も、伴君の中に栗飯原さんへの気持ちはないだろうに。
ゼロってことはないだろう。だが、栗飯原さんが求めているものが胸中に眠っているかもしれないなんてのは、希望的観測だ。
私が見破れていない可能性はある。もしかすると、伴君でさえも気付いていない何かがないとも言い切れない。とはいえ、現状は宣言ではなく夢想を語っているだけにしか思えなかった。
それは伴君とて同じだっただろう。私よりも切実に辟易していたかもしれない。焦点が遠ざかっていた。
「きっと、お伝え致しますわ」
恋愛がひとつの暴力であると認識させられる。それほどまでの豪語だった。
そうして、正面から伴君の手のひらを握り締める。きゅっと絡みつくそれは、実際には伴君の身体や心に纏わり付いたようなものだろう。伴君はそれに比例するかのように、ぎゅっと眉間に皺を寄せた。
再びの一悶着は予想に容易い。しかし、それが繰り広げられるよりも先に、栗飯原さんの逆の手のひらが次の挙動に映った。その指先が、行儀悪くこちらを指差す。動作こそ静かで音がなかったが、そこに含まれた意志の強さはひしひしと感じた。
「ラツェナドにも負けませんので、お覚悟してくださいませ」
きっぱりとした鈴の音のような声が、会議室に凛と響く。私と伴君はその手のひらに絡められ、突きつけられ、前途多難な未来が約束されたようなものだった。
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